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萩原芳樹のブログ
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上京して一年余り。
最初のうちは「エア-山本リンダ」等の動きネタで何とかこなしていましたが、司会者としての私は壁にぶつかっていました。

それは「司会者としての喋りの基本」が全くできていないということ。
仕方ないです。漫才では、舞台上で真顔になって喋ることといえば、「暑くなりましたねぇ・・・」等のネタフリと呼ばれる喋りしか経験がなかったのですから。

先輩司会者の方に、こんなアドバイスを受けたことがありました。
「君の喋りね、漫談やってる時はいいけど、曲紹介になってガラリと雰囲気を変えることができていないんだよ」と。
「司会者たるもの、『さて・・』のひと言で会場の空気をガラリを変えなくてはいけない」
つまり、私の喋りには「メリハリ」が欠けているということです。

私は、誰か上手な方の「完全コピ-」をしてみることにしました。
そこで、私が「この人」と決めたのが、桂三枝さんの喋りでした。
当時「パンチDEデ-ト」が東京でも放送されていたので、毎週録音をして、電車の中でもイヤホ-ンで常に聴くよう心がけました。

そんなことを繰り返すうちに、不思議なものです。
司会の舞台で以前よりも遥かにウケるようになって来たのです。

それまでの私の司会は、ピン芸の歌ネタや漫談と、曲紹介程度でしたが、ウケるからという理由で、ゲ-ムコ-ナ-を設けてもらったり、客との絡みコ-ナ-を作っていただいたりして、出番も増えたのです。

そして、こんなことをある日言われました。
「団ちゃんの司会、いいねぇ。三枝さんの喋りにそっくりだけど、お弟子さんだったの?」と。

「ダメだ、こりゃ。コピ-がバレてる」
いくらウケても、コピ-程度ではプロ失格です。
「もっと個性的な司会者になろう」
そう思った私は、自分独自のスタイルをまたまた考える訳ですが、これが司会者としてはやってはならない方向性に向かってしまったのでありました。
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当時、銀座に「メイツ」という店がありました。
渡辺プロが経営していて、連日渡辺プロ所属の歌手がショ-をやっているライブハウスのような店で、客席はゆったりと見られるクラブ感覚。

生バンドが入っていて、前座にはデビュ-早々の新人歌手や、デビュ-前の子が歌っていました。
太田裕美さんも、ここで長い間ピアノの弾き語りをしたりしていたものです。

その「メイツ」に、私は週に2日程、レギュラ-司会者としてスケジュ-ルを切ってもらっていました。

渡辺プロの店ですから、業界人がいろいろと来店するのは当たり前でしたが、「いかりや長介」さんが、それも一人で来られているのを発見しました。
誰かと待ち合わせかなぁ・・・と思いきや、少し観られただけで、すぐ出て行かれました。

そして、また次の週にもブラリと来られては、暫くして帰られたのです。
「時間潰しにしても変だなぁ」と、私は思っていたのですが、それから一ヶ月程経ってから、ことの真相がわかりました。

ドリフタ-ズのマネ-ジャ-が、私にこんなことを話してくれたのです。
「ドリフの新メンバ-、志村に決まったけど、実は団ちゃん、あんたも候補に上がっていたんだよ」と。
それを聞かされて正直ビックリしましたが、つまりこういうことだったようです。

「志村」さんがメンバ-入りすることはほぼ確定だったのですが、志村さんは元々はドリフタ-ズのバンドボ-イ。お弟子さんです。
いくら才能はあっても、元師匠達と対等にやって行くことを、おそらく「いかりや」さんは躊躇されたのでしょう。

それに、欠員ができたのは「荒井注」さんが辞められたから。
「荒井」さんは、メンバ-の中では、スカシの役割をされていました。
だから、アクセントとして「関西弁の男を入れてみても」という発想があってもおかしくない話です。

結局、私は何も知らないまま、メンバ-入りの話は簡単に没になったらしいのですが、私は思いました。

「ドリフの厳しい練習に耐えることはできない」と。
当時「全員集合」のコント練習に何日も費やしている話を聞いていましたから。
練習とか、努力がホントに苦手な芸人だったのです。

でも、そんな私が司会の喋りの基本をやる気になる日が来たのです。
「マックボンボン」と聞いただけで「ああ、マックボンボンね」と、記憶している方は、かなりのお笑いマニアか、それなりの年齢の方だと思います。

「マックボンボン」とは、昭和40年代後半、渡辺プロイチオシのコンビでした。
二人とも「ドリフタ-ズ」の付き人上がりで、とにかく動きが凄かったコンビ。

私が初めて「マックボンボン」を見たのは、「浅草国際劇場」での「小柳ルミ子ショ-」でした。
歌の合間に、ドイツ兵スタイルの二人が登場し、何と全てドイツ語(もどきだったと思いますが)で、兵隊コントをするのです。

約15分間、全く日本語のない動き中心の兵隊コントに、場内大爆笑。
「全く日本語を喋らずに、動きだけで爆笑を取れるなんて・・・凄すぎる!」見ていた私は圧巻でした。

その「マックボンボン」のボケ役が「志村けん」さんです。
まだ20代前半だったのではないでしょうか。
でも、その動きのキレは、かなりのモノでした。

そんな「マックボンボン」さんと、一度だけ一緒のお仕事をする機会がありました。
「小柳ルミ子ショ-」で、私が司会を。「マックボンボン」さんはコントを。
楽屋で、志村さんが語っていたことを今でも覚えています。

「俺、この前さぁ、新宿の屋台で飲みながらネタのことばかり考えていたらさ、いつの間にか寝ちゃってね。ふと目が覚めると、自分の回りをサラリ-マンがどんどん歩いてやんの。そのまま道ばたで寝ちゃってて、朝の通勤サラリ-マンが、俺をさけるようにして歩いてやんの」
笑いにどん欲で、常にネタのことばかり考えているような方でした。

そんな志村さん、キャリアに対しての「笑いのレベル」が高すぎたのでしょうか。
相方さんは、ついて行けず、どんどん辞めて行ってしまいます。
天才って、相手する方が大変ですよね。

そんな時、「ドリフタ-ズ」のマネ-ジャ-から、私は呼び出されました。
「団ちゃん、実はまたマックボンボンが解散してね、志村の奴、相方を探したるんだが・・・どう?志村とコンビ組む気ない?」と。

私は、即座にお断りしました。
まず、私が見たあの天才芸の人と組んだりしたら、私はヘコンで潰れてしまうという恐怖。
それに、もう一つ。その頃の私は「人とコンビを組むという運命共同体は絶対にしたくはない!」と、思っていたからなのです。

その後、志村さんは「ドリタ-ズ」のメンバ-入りをされる訳ですが、またここでも私はからんで来てしまうのです。
何と、この私も「いかりや長介」さんは、勝手に新メンバ-候補として上がられていたそうなのです。
さて、「のりお」さんの強烈なアドリブに対して、常に多様なツッコミをする「よしお」さんですが、どうやら私と「上方よしお」さんとは、「すれ違いの運命」のようです。

まず「三代目B&B」のお話を、吉本からいただいたにもかかわらず、その時すでに「のりおよしお」コンビ結成が決まっていたこと。
(勿論私の方も、大阪に戻って漫才をする気はなかったのですが)

「よしお」さんと初めて出会ったのが、「のりおよしお」デビュ-の青山ホ-ルでしたが、「よしお」さんは、随分以前から私の存在が気になっていたようです。

私が「B&B」を結成する直前のこと。
「森ノ宮青少年会館」にて、私(当時は「ダッシュとんぺ-」というピン芸人でした)と、「バックケ-ス」さんがメインのイベントをやったことがありました。
トリが「バクケ-ス」の漫才で、私がモタレを。
その前では、落語家さんのお弟子さんやら、学生フォ-ク等のメンバ-によるイベントで、学生フォ-クの大学仲間が沢山詰めかけてくれて、満員になりました。

その満員の客席の中に、当時「松竹タレント養成所」に通っていた「よしお」さんがいたらしいのです。
「よしお」さんは、私の舞台を見て、「こいつと漫才やりたい」と思い、そのイベント関係者に「ダッシュとんぺ-を紹介してください」と、頼まれたとか。(後日談で聞いたことなのですが)
しかし、関係者も私がB&Bとして吉本デビュ-することを知っていたので、「もう相方も決まっていて、彼は吉本からデビュ-するらしい」と。

ひょっとしてその時、この話を聞いていたら正直気持ちはグラついていたかも知れません。
でも、そんなことは知らないまま、私はB&Bとして漫才を。
そして、わずか一年で勝手に辞めて東京に行ってしまったのです。

そのニュ-スを「よしお」さんは、「のりお」さん(バックちゃん)から耳にしたそうです。
「B&Bの片われが蒸発して、新しい相方を探しているらしいのやけど、どうや?」と。
「よしお」さんは、その話を聞いて、「いよいよ私とコンビを組む時が来たか」と、思われたそうです。

「よしお」さん曰く、「蒸発する方は、腕のない方がするのが当たり前やったから」と、勝手に私が残って相方を探していると勘違いされたようです。
確かに、その当時のB&Bの漫才は、私がほとんど喋っている漫才。
仕方ないです。私は中学生の頃から、横山やすしさんに漫才というモノを教わって来て、ピン芸人としても舞台でやってた人間。
それに比べて相方は、まだスブの素人でしたから、そのハンデは確かにありました。
(このハンデの悔しさをバネに、彼の喋り芸は急上昇して行く訳ですが)

「よしお」さんが紹介されて花月の楽屋に行ってみると、コンビの違う方がいたのでビックリされたとか。

そんなことがあっての「三代目B&B」の話です。
本当に「すれ違いの運命」だったのでしょうか。

私が同じ「松竹タレント養成所」に、もしも通っていたら「よしお」さんとコンビを組んでいたかも知れません。

でも、私は「プイ」と、突然姿を消すことになったのかもわかりません。
勝手な男ですよね、私って。
東京の青山ホ-ルで新コンビ結成となった「のりおよしお」さん。
当時の「お笑い通」は知っているお馴染みの「ガ-ルハント」ネタをアレンジしての大爆笑でしたが・・・。

新コンビ結成して、初めての漫才。いったいどれだけ練習したのかと思いきや、これが意外なことでした。
それから20年以上も経て、よしおさんから聞いた話なのですが・・・

「二代目B&B」も「バクケ-ス」も、どちらもコンビ解散の危機となり、バックちゃん(のりおさん)と、真一さん(よしおさん)は、毎晩のように京橋の喫茶店で逢っては、何時間も話を続けたそうです。

ただ、別に深刻な話をする訳ではなく、のりおさんが勝手にボケまくっては、よしおさんがツッコミを入れるという雑談ばかり。

つまり、コンビの息をそこで計っていたのですね。

そして、いよいよ初の舞台。
新幹線の中で、のりおさんが、
「真ちゃん、ガ-ルハントのネタ知ってるか?」
「ああ、知ってるで」と、よしおさん。

それだけで何のネタの打ち合わせもせず、舞台に上がったというのです。
私は、それを聞いてビックリしました。
何年もやっているコンビでも、アドリブで漫才をするなんて冒険はしません。
それなのに、新コンビ結成の漫才がアドリブなんて凄すぎます。

音楽でいうと「ジャズ」のセッションですよね。
ピアノがアドリブをすれば、ベ-スやドラムも、それに逢わせてアドリブを楽しむジャズの世界。
「のりおよしお」さんの漫才は、ジャズ漫才からスタ-トしていたのです。

ジャズ漫才・・・これは、ボケる方が大変なのでしょうか?
それとも、突然のボケにツッコミを入れる方が大変なのでしょうか。
「サブロ-シロ-」さんも、そんなジャズ漫才をよくやったと聞いています。

よしおさんや、サブロ-さん曰く、
「相方が次にどんなボケをして来るのか、常にいくつものツッコミを準備していた」と。
ジャズ漫才のツッコミさんは凄すぎます!
新コンビを結成することになった「のりおよしお」さんが、青山ホ-ルに来るというので、ワクワクして出かけました。

青山ホ-ルでは、当時若者対象にした「お笑いイベント」を時々やっていて、その日の出番は「のりおよしお」さんと、米国から帰国したばかりの、「北京一」さん。

このプログを最初から、ご覧になった方は「あっ!」と、思われるでしょうが、「京一京二」を解散して米国に渡ってパントマイムを本格的に修業した京一さんが、帰国しての初ステ-ジの場でもありました。

そして、司会が「三遊亭小遊三」さんで、当時はまだ「遊吉」を名乗っていました。
実は、この「遊吉」さんは、私が上京して間もなく、「春雨や雷蔵」さん(雷門助三)と、3人で、よく余興に出かけていた仲。

楽屋は、なんだか奇妙な同窓会のような雰囲気で、私も懐かしさでいっぱいでした。

さてさて、米国仕込みの京一さんのパントマイムが終わると、「のりおよしお」さんの初舞台です。
「ガ-ルハント」のネタをしていました。
有名なネタで、大阪の漫才の若手が練習もかねて舞台にかけたりするネタ。
街角で女性に声をかけるコツを教えて、漫才コントに。
「お嬢さん」
「ナ-ニ」
「お年はいくつ?」
「20歳」
「お茶でも行かない?」
「ええ、いいわ」

こう教えられて、
「お嬢さん、お年はいくつ?」
「60」
「婆ァに声かけてどないすんねん!」
というのが、お決まりのネタで、私も「エビスカッパ」師匠のこのネタを覚えて、練習用にやったものです。

ところが、「のりおよしお」さんの場合、
「お嬢さん、お年は?」
「二億」
「オマエは生きてる化石か!」
と、アレンジを。

青山ホ-ルは、大爆笑でした。
私も、「のりお」さんの「二億」というボケもさることながら、
「よしお」さんの「生きてる化石か!」というツッコミ。
凄いなぁと、感心させられるばかりでした。

でも、この初舞台の漫才、私はてっきり充分ネタ合わせをして来たとばかり思っていたのですが、実はそうないことが、何年も経ってわかったのです。

いったいどんなネタ合わせが行われていたのか・・・また、次にお話します。


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