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萩原芳樹のブログ
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キャンディ-ズの次の曲目を紹介しようと思ったら、頭は真っ白。何も出て来ません。
というか、進行台本も斜め読みをして、打ち合わせも適当にやりすぎたバツです。

困りました。「いったいどうしたらいいのか」と。
その時、あることがひらめいたのです。
バックで演奏しているバンドメンバ-のことです。

その頃のショ-には、一応フルオ-ケストラがついていました。
バンドの人達には、譜面がある。
その譜面に曲目が書いてあることに気付いたのです。

ステ-ジのセンタ-に立っていた私は、
「さて、続いてのキャンディ-ズの曲ですが・・・」と、ジワリジワリと後ずさりを。

そして、バンドの位置までバックをして、その譜面をチラリと見ようとした時でした。
バンドのメンバ-は、譜面を手で隠してしまったのです。

つまり、私が次の曲目を忘れて譜面を覗きに来たことがバレていて、イタズラで譜面を手で隠してしまったのです。
顔は笑っていました。

もはやこの時点では、客の何人かは気付いていたかも知れません。
私は、開き直りました。
「見せて!」と、叫んで、譜面を隠すその手を無理やり外しにかかったのです。
もう客にはバレバレの状態。
前列の客からは「曲目忘れたんだろ」と言われる始末。

結局バンドのメンバ-と、もみあったあげく、次の曲目がやっとわかり、
「では聞いていただきましょう!」と、私は平然と曲目を紹介して、舞台の袖に。
キャンディ-ズも笑っていました。
スタッフから叱られると思いきや、みんな笑って許してくれました。

そんな楽しかったキャンディ-ズショ-。
「早く売れてほしいなぁ」と、いつも思っていました。
でも、なかなかヒット曲の兆しはナシ。

そして、私が芸能界をやめたとたん、あの「年下の男の子」で、キャンディ-ズは大ブレイクし、スタ-街道を進み始めたのです。

芸能界をやめて、田舎の姫路のTVでブレイクしたキャンディ-ズの姿を見て、「良かったなぁ、ス-ちゃん、ランちゃん、ミキちゃん」と、ウルルンとなったことを記憶しております。
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さてさて、「ヘンテコマン」を卒業した私は、元の司会者に戻りました。
でも、とてもヘタクソ司会者で、トチリばかりを。
そんな司会トチリ話を少ししたいと思います。

私が「キャンディ-ズ」の専属司会を任せられたのは、デビュ-間もなく。
正直デビュ-はしたものの、ヒット曲に恵まれないキャンディ-ズでした。
3人とも「スク-ルメイツ」という渡辺プロ音楽学院出身で、実に行儀の良いお嬢さん3人でした。

単独でリサイタルをするまでにはなっていなかったので、ショ-のほとんどは、遊園地の余興や、デパ-トの屋上イベントでした。

でも、キャンディ-ズの仕事は楽でした。
まず、その頃から熱烈なファンがいて、上野駅に着いた時点で、ファンの男の子が、私のカバンを持ったりしてくれるのです。

それよりも、ビッグ歌手に比べて、どんなトチリをしても叱られないのが、私に余裕を与えてくれていました。

だからなのでしょうか。キャンディ-ズショ-では、本当に沢山のトチリをしてしまいました。

例えば、歌が3コ-ラスまであるのに、私は間違えて2コ-ラス終わりで、拍手しながらステ-ジに出て行ってしまったことがありました。

キャンディ-ズのメンバ-は、まだ歌が残っているのに、出て来た司会者にビックリの表情。

私は曲が終わると思いこみ、センタ-まで行って喋ろうとすると、キャンディ-ズは、3コ-ラス目を歌い始めたのです。

トチリに気付いた私は、拍手しながら、そのまま舞台を横切って去って行ったこともありました。

客は大爆笑。
キャンディ-ズも、吹き出しながら3コ-ラスを歌っていたことを記憶しています。

それよりも、私がキャンディ-ズの次の曲を紹介しようと思った瞬間、曲目を忘れてしまった経験がありました。
(というか、ろくに曲目も覚えずに舞台に出てしまったのですが)

キャンディ-ズは、着替えを終えて次の歌の準備を舞台の袖でしています。
でも、どうしても私は、次の曲目はわからない・・・司会の私が次の曲目を紹介しないことには、ショ-は進行しない訳です。
そこで、私が考えた方法がありました。
さて、どうしたと思われますか?
また、これも次にお話します。
キャロルのマネ-ジャ-が提案した「ヘンテコマン」とは、こんなキャラと活動でした。

「どんな格好でも良いから、とにかく奇抜なスタイルで、極力人の集まる場所、つまりデパ-トの屋上なんかに出没しては、メガホンで風刺ネタを叫び続ける。それを繰り返すうちに、新宿や渋谷辺りで評判になるから、『ヘンテコマン明日3時に参上!』等の予告ビラを貼っては出没する。
そして最後には、自分の背中に長いメッセ-ジを書いた紙をつけて、デパ-トの屋上からぶら下がる・・・どう、これ?」と。

余りにもメチャクチャなブランなので、私は躊躇して、
「それって、警察に捕まったりしませんか?」と、聞くと、

「捕まるんだよね。それで君は新聞記事になり、更に有名になる。見も知らないバカが捕まった訳ではなく、以前からデパ-トの屋上で知られているから、それが伏線になってるんだ。捕まっても刑は軽いから、すぐ出て来られる。そしたら、TVでは引っ張りダコの人気者だよ」

さすがに、私もそこまでやる勇気はありませんでした。
そんな話を渡辺プロで、笑い話としてしたところ、
「ヘンテコマン、面白いじゃない。団五郎としてではなく、ヘンテコマンとして、売ってみようか」と。

こうして、私は暫く「ヘンテコマン」としての芸能生活が始まりました。
レギュラ-で、いただけたのは「ヌ-坊」という4メ-トルもある巨大人形ショ-の仕事。
「ヌ-坊」は、当時「天知真理」のTV番組に出演していた人気キャラで、各地のイベントに引っ張りダコでした。

ヘンテコマンは、そんな「ヌ-坊」ショ-のパッケ-ジとなり、司会とコントを。
自分で考えた「ヘンテコマン」の衣装は、スパンコ-ルのマントに、ラメのTシャツ。海水パンツにタイツ。地下足袋。頭には大きなリボン。

そんな格好で、イベント会場に出没し、見に来ていた子供を泣かせては、抱きかかえて連れ去ろうとします。
そこに現れるのが、巨大人形のヌ-坊。
ヘンテコマンはヌ-坊と、戦った末、負けて泣き出して許してもらいます。
そして、善人に生まれ変わったヘンテコマンは、ヌ-坊の良きお友達として、司会役になるというショ-。

全く子供だましのバカげたショ-でした。
「こんなん近所に親戚いてたら、俺やってられんわい!」等のアドリブが子連れのお母さんに大ウケだったことだけ記憶しています。

結局「ヘンテコマン」キャラは、その後暫くして、自分自身で封印してしまったのですが、今から考えれば「ヘンテコマン」をマット-してたら、ひょっとして爆発的に売れていたかも知れない・・・と思ったりしてしまうのです。

昭和40年代に、「子供をいじめて泣かすヒ-ロ-」なんて、時代の先駆者すぎていたのかも知れません。

キャロルの司会の当日。
本番前に、メンバ-が楽屋入りしたのですが、服装も地味だし、髪の毛もボサボサの状態。

「えっ?これがキャロルなの?」と、思っていたら、「本番10分前です!」の声に反応して、メンバ-は見事なリ-ゼントスタイルに変身です。

私は、いざステ-ジへ。
私がキャロルを紹介しようした段階で、もう客席は狂乱状態に。
「ギャ-!」という声で、私も自分が何を喋っているのか全く聞き取れない状態です。
「うん?これはもしや楽なのでは?」と、私はズルイ心理状態に。

つまり、私が何を喋ろうと、客はギャ-ギャ-騒ぐだけ。
ならば、「意味不明のことを叫び続けてみようか」と、私の発した言葉は全て意味不明の英単語の連発。

そして最後に「ファンキ-モンキ-ベイビ-!」と、叫ぶと、客席の興奮は絶頂に。

キャロルのメンバ-が、登場して「ファンキ-モンキ-ベイビ-」が始まりました。
私は、楽屋に戻って「やれやれ」と。
「何を喋ってもギャ-ギャ-の客って、ホントに楽やなぁ」と、思っていました。
すると、直後にとんでもないことが起こったのです。

ボ-カルの矢沢さんが、「ノラねぇ」と、一曲でステ-ジから、下りて来てしまったのです。
勿論メンバ-全員、ステ-ジを下りて楽屋へ。

関係者や、マネ-ジャ-は、大慌て。
「団ちゃん、とにかく舞台をつないで来てよ」と、マネ-ジャ-。

困りました。
「どうやって、つないだらいいのですか?」と、聞くと、
「そんなこと、自分で考えてよ」と、とりあえずは私をステ-ジに送り出し、マネ-ジャ-は、もう一度メンバ-にステ-ジへ上がってもらえるよう説得しようとしていました。

ステ-ジに上がりました。
そこは、針のむしろ。
せっかくのキャロルが、早々に引っ込んでしまい、ノコノコと現れた司会者に全員冷たい表情。
前列には、ヤンキ-バリバリの連中が腕組みして立ってしました。

でも、何故か私には少々の自信があったのです。
というのも、当時ブレイクしていた「ペドロ&カブリシャス」のステ-ジの司会を任された時、メンバ-が一時間も遅れて、私が漫談と勝手なゲ-ムコ-ナ-で、バッチリ一時間をつなげたと自信があったからなのです。

しかし、キャロルの客は違いました。
その時、とっさに思いついたネタが、花月で以前見ていた「滝あきら」さんの漫談ネタ。
なんと、そんなベタな漫談ネタを、いきなりやってしまったのでした。
「最近の若い女の子、ホットパンツちゅうのを、よくはいていますが、あのホットパンツ、女の子がはくのに、前にチャックついてるんですね。
男やったら、わかります。ポロンと出すモンがあるから。けど、出すモンもないのに、何でチャックがあるのか、私聞いてみたんですわ。
出すモンないのに、何で前にチャックあるのや? と聞くと、出すモンないけど、時々入れるモンある・・・あのねぇ」
滝あきらさんが、花月でされていた時は、ここで爆笑でした。
でも、時と場合が違いすぎました。
「あのねぇ・・・」と、一応オチを言った瞬間・・・。
「何なんだよぉ!テメエ!」と、前のヤンキ-客が。

でも、私も負けてはいません。
「この間、電車に乗りますと・・・」と、喋り始めると・・・
「知らねぇよ!オメエが電車にいつ乗ったかなんて!」と、また前のヤンキ-客からのダメ出しが。

当たり前です。せっかく楽しみにキャロルを見に来ていたのに、一曲で下りてしまい、訳のわからない司会者が突然の漫談を始めたのですから。
それも、コテコテの大阪弁。
場内は異様な空気のまま時間だけが流れました。
いつ「引っ込んでイイよ」という合図があるかと、ステ-ジの袖をずっと気にしていましたが、結局30分近くも、私の漫談ショ-を続けるしかありませんでした。

結局次のバンドにタッチして、楽屋に戻ると、キャロルの姿はなし。
でも、マネ-ジャ-は、私の肩を叩いて「ご苦労さん」と、言ってくださいました。
そして、「君は売れるよ!いや、売りたいなぁ。そうだ!もっと強烈なキャラクタ-を作ってみようか」と。

こうして、キャロルのマネ-ジャ-に提案されたアイデアが「ヘンテコマン」という強烈なキャラクタ-でした。

「ヘンテコマン」・・・いったいどんなキャラクタ-で、どうやって世間にアピ-ルして行くのか・・・。
キャロルのマネ-ジャ-には、すでにそのブランが出来上がっていました。
そして私は、「ヘンテコマン」の道を歩むことになる訳ですが・・・。
またまた続きます。
こうして「渡辺プロダクション」を紹介していただいた私は、渡辺プロの営業部さんから、司会の仕事をいろいろさせてもらいました。

当時の渡辺プロの大物歌手といえば「森進一」「小柳ルミ子」「沢田研二」を始め、ビッグがズラリ。

「ドリフタ-ズ」を始め、大物には専属の司会者がすでにおられるので、私は、それ以外の若手担当に。

「アグネスチャン」は一年半程専属司会にさせてもらいました。
他には、まだ売れてなかった頃の「キャンディ-ズ」や「あいざき進也」

「天知真理」の司会もさせていただいたことがありました。

でも、司会の勉強など何もしていなかった私は、ショ-の司会者としては最低だったと思います。
ただ、着替えの間をつなぐ漫談が、他の司会者の方よりもましだった程度だったでしょうか。

それに、「21歳」という若さだけでお仕事をいただいていたような気もします。

そんなある日のこと、「キャロル」のマネ-ジャ-を紹介していただきました。
当時「キャロル」はデビュ-したばかりでしたが、爆発的な人気。
そのマネ-ジャ-が私のステ-ジを見て、「今度キャロルの司会やってよ」と。

「ロックの司会なんて、いったいどうしたらいいのか・・・」
戸惑いましたが、とにかくやるしかありません。

そのステ-ジは、何バンドも出て来る「ロック祭り」のような内容で、
私は「キャロル」の持ち時間(40分)の前後に出て、紹介と最後の挨拶をするだけ。

「この程度だったら何とかなるわ」と、たかをくくっていたのですが、
これがまた、とんでもない結果になってしまったのです。

また続けます。
(続きで引っ張りすぎてゴメンナサイ)
まるでインチキめいたプロダクションのマネ-ジャ-に、私は天下の渡辺プロへ連れて行ってもらいました。

当時は、銀座の有楽町に渡辺プロがあり、その敷居をまたぐことにも緊張したものです。

デタラメな事務所とばかり思っていたマネ-ジャ-でしたが、渡辺プロとは、信頼関係があるようでした。

渡辺プロの営業部に連れて行ってもらい、早速紹介を。
営業部の課長だった市川さんという方が、明るく迎えてくださり、
「じゃあ、早速今夜テストをかねて、アンルイスショ-の司会をやってよ」と。

急な話でしたが、衣装を取りに帰って、アンルイスショ-の現場に向かいました。
場所は、渋谷のビアガ-デンの余興です。

司会という仕事は、メインの方を持ち上げて紹介したり、気のきいた
ト-クをしたりするのが仕事。
でも、私は必死です。
アンルイスなんかどうでもいいのです。
まず出て行って、アンルイスを紹介するまでの時間が私のステ-ジ。

またもや、「エア-山本リンダ」を、やりました。
屋上ビアガ-デンは、大爆笑。
その席に来てくださった渡辺プロの方々も、「いいねぇ!」と、早速スケジュ-ルを入れてくださることになりました。

大阪から、何の頼りもなく上京して来て、半年も経っていませんでした。
21歳の誕生日を、間もなく迎えようしていました。


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