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萩原芳樹のブログ
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さてさて、茨城県潮来の夜のショ-は二日目を迎えました。

最終列車に乗れる時間までの約束だったので、果たしてお客さんが来るのか心配していましたが、その日は日曜日で、早くから家族連れのお客さんが入り、何とか10人そこそこでショ-を。

私の「エア-山本リンダ」に、家族連れは大喜びでした。
昨夜の悪夢も、吹っ飛びました。

そして、帰る時に集金を。
実は事務所から、「現金集金をして来てほしい」と、頼まれていたのです。
「ろくに客も入ってない店・・・果たして無事に集金できるのだろうか」と、心配していたのですが、すんなりと現金を手渡してくださいました。

これで全て終了。
帰りの列車の中で、気になる集金袋の中身を、私はそっと開けて覗いてしまいました。
ビックリしました。中には8万円入っていたのです。

ということは、一日の私のショ-が4万円で売られていたということ。
キャバレ-のギャラとしては妥当な金額なのですが、私は自分が貰っている給料と比較してしまったのです。

私はそのプロダクションから、月給8万円でのキャバレ-まわり。
確かに歌とダンスのレッスン代は面倒を見てもらっていましたが、月に20日以上も、キャバレ-まわりの仕事をさせられ、TVやラジオに売り込んでくれている様子もなし。

ざっと計算してみると、プロダクションが90%以上も、「ピンハネ」していることに気付きました。

「アホくさ!やってられるかい!」
東京に着いた私は、集金した現金を手に夜の街で散々飲み明かして使ってしまったのです。ヤケ酒です。

しかし後日、事務所から「集金したお金は?」と聞かれ、
「使ってしまいました」と、答えると、
「では、今月の給料から引いておきますから」と。

8万円を勝手に使って、8万円の給料から引かれたらゼロです。
「こんなプロダクション、やめたるわい!」
私は、そもそも話をかけてくれたマネ-ジャ-に切り出しました。

「えっ?やめたいって?夜のショ-をやりたかったのじゃないの?」
「そんなことひとことも言ってませんよ!僕は売れたいし、昼の仕事をしたいのです!」
私が熱く語ると、「わかった」と。

そして早速、天下の「渡辺プロダクション」に、その足で連れて行ってくれたのです。
当時の渡辺プロといえば、芸能界を牛耳る巨大プロダクション。

こうして、ホントに奇妙な「ひょうたんからコマ」のように、突然、渡辺プロとのつながりができたのです。

また続きます。


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そっと店の様子を覗きに行くと・・・
店はテ-ブル席が5~6あり、10人程度座れるカウンタ-が。
そのカウンタ-の隅に、マネ-ジャ-と、私を案内してくれた50歳位の女性。そして、もう一人もっと年配の女性(ママさんらしいのですが)の3人が、ほうづえをついて力なく座っていました。

「あのぉショ-タイムは?」と、聞くと、
「まだ一人も、お客さんが来ないんです」と、泣きそうな顔のママ。
「すみませんねぇ。まぁ水割りでも一杯いかがですか?」と、ママの言葉に甘えて、カウンタ-で水割りをいただくことに。

マネ-ジャ-が私の傍に来て、小声で、
「ビックリされたでしょう?実は私、一週間前まで新宿の歌舞伎町で働いていて、ここにスカウトされて来たのですが、話と違うので驚いてるんです」と。

「で、連日こんな感じですか?」と、こちらも小声で聞くと、
「昨日までは、まだまぁまぁでしたけどね」
(まだまぁまぁって、いったい何人の客だったんだろう・・・と、思いましたが、失礼なので聞けません)

確かに田園地帯のド真ん中で、NO1ホステスが50歳位の目つきの鋭い陰気な女性。飲みに来る客に目的を聞いてみたくもなります。
でも、「ショ-をやってる」が売りなのでしょうか。

「このままそっと、ずらかってしまおうか」という気にもなりました。
「すみません、時刻表ありますか?」と、時刻表を見せてもらうと、すでに最終列車はなくなってました。
「あきらめるしかないか」と、思っていると、
「ママ、僕も水割り一杯もらっていいですか?」と、マネ-ジャ-。
「どうぞ」と、ママが水割りを作ると、
「水割り一杯いくらでしたっけ?」と、マネ-ジャ-は、ポケットから小銭を出してママに支払ったのです。
「?・・・あの、僕も水割り代を」私も払おうとしたのですが、
「タレントさんから、お金をいただく訳では行きません」と。

何だかパツ悪くなり、また楽屋と称するロッカ-ル-ムに戻って、待機することにしました。
そして、ショ-タイムの声がかかるのを待ち続けました。

12時を過ぎても、マネ-ジャ-は呼びに来ず。
「結局、客は一人も来なかったということか・・・」と、私は押し入れから湿った布団を出し、ふて寝気味に寝ようとしていました。
すると・・・

ロッカ-ル-ムを激しく叩く音があり、
「団五郎さん!ショ-タイムです!スタンバイ、お願いします!」と、超ハリキリ声で、マネ-ジャ-が。
「私が司会で紹介しますので、紹介されたら店の扉を開けて入って来てください」と。

急いで支度をしました。
フリルのシャツに蝶ネクタイ、タキシ-ドの衣装に着替えを。
2階の店の扉の前まで行くと、マネ-ジャ-の声が聞こえて来ました。
「本日のショ-タイムは、団五郎さんによるボ-ドビルショ-で、お楽しみいただきます。では、団五郎さん、どうぞ!」
その声を聞いて、店の扉を開けると、店はガラ~ン。
カウンタ-で飲んでいる客が二人だけ。
作業服に足もとは地下足袋姿の二人づれでした。

私がステ-ジに上がって、まずは挨拶をすると、何の反応もなし。
ちょうどステ-ジは、カウンタ-で飲んでいる客の背中越しにありました。
二人の客は、NO1ホステスを相手に機嫌よくベラベラ喋っていました。
いわば、誰も見ていない状態でしたが、漫談を続けるしかありません。
すると、突然客の一人が、振り向いて、
「さっきから、ペラペラしゃべってうるせぇんだよ!静かにしろよ!」
怒られてしまいました。
仕方なく私は、無言でステ-ジに直立したまま。

ママが口をはさんでくれました。
「うるさいって、ショ-やってるんですから」と。
客「ショ-?今日はストリップじゃなかったの?」
どうやら、その客は以前ここでストリップショ-を見て、そのストリップをまた見られると思って来たようです。

私も芸人、こう返しました。
「じゃあ、私が今からストリップやります」と。
「見たかねぇよ!バカ!」と、早速お叱りの声が。
すると、もう一人の客が「歌唄えよ」と。

「あのぉバンドもいないし、カラオケもないですが」と、私が返すと、
「そんなもの、なくても唄えるだろうが!」と。

「承知しました。では唄わせていただきます。平浩二のナンバ-で、バスストップ」
私がアカペラで唄い始めると、
「そんな歌聞きたかねぇや!○○音頭やれ!」
と、聞いたこともない曲をリクエストされました。

「あのぉ、その歌知らないんですが」と、返すと、
「俺、よく知ってるから、俺が唄う」と、ステ-ジへ。
私はマイクを、その客に渡して、隣りで手拍子するしかありません。

一番が終わると、「二番よく覚えてねぇな」と、その客。
すると、もう一人の客が「俺、二番も知ってる」と、その客もステ-ジに上がって来て、歌い始めたのです。

全くおかしなショ-タイムとなりました。
二人しかいない客が、二人とも舞台で歌っている。
私はいったいどうすれば良いのか・・・「そうだ、私が客になれば良いのだ!」と思い、私がカウンタ-に座って、手拍子しながら「ええぞ!最高!」と、声援を送りました。
客のビ-ルも勝手に飲み、つまみも勝手に食べました。

私の拍手に、二人の客はご満悦。
「アンコ-ル!」と、私が叫ぶと、次から次へと、歌い続けたのです。

ママを始め、店の人達はカウンタ-の中で、もはや何もできず頭を抱えていました。

そんなことが30分程続いたでしょうか。
二人の客は、私の拍手にノリノリ。
私は、客の酒とつまみですっかり良い気分に。

ママが私の傍に来て、泣くような顔で、こう言いました。
「すみませんが、もうやめてもらえないでしょうか」と。
「わかりました」と、ステ-ジに上がり、二人の客からマイクを取り上げた私は、締めにこう挨拶。
「どうも、ご声援有り難うございました。あれ?声援してたんは私やっか。失礼!」

ステ-ジを終えて、また楽屋と称するロッカ-ル-ムで、今度こそ本当に「ふて寝」を決め込みました。

散々だったショ-タイム・・・しかし。この後、まだ驚くへきことが待ち受けていたのです。


茨城県潮来の「女の城」というキャバレ-。
周囲は見渡す限りの田園地帯。
そんな中にポツリとある、三階建ての小さなビルでした。

「キャバレ-は閉められたのですか?」と、私が聞くと、
「そうです」と、生活に疲れたような50歳位の案内してくださった女性が。
「代わりに、2階のコンパでショ-をやっていただきます」と。

どうやら1階のキャバレ-は閉めた様子ですが、2階にある「コンパ」(今でいうラウンジのようなものです)で、ショ-をするとのこと。

「とりあえず楽屋に案内しますから」と、通された場所は・・・。
驚きました。8畳程度の小汚いスペ-スに、ロッカ-が5~6個あり、その隅に、畳が二畳だけ敷いてあるのです。
「ここが楽屋です。ごゆっくりと。今マネ-ジャ-を呼んで来ますから」

とりあえず靴を脱いで、二畳程の畳の上にヘタり込み、私は思わずため息を。
小窓が一つありました。
が、網戸が破れていて、いつでも蚊が進入できる状態になっています。
勿論ク-ラ-や扇風機などある筈ないです。
そして、隅には何ヶ月前のかわからないボロボロのマンガ本が積み上げてありました。

暫くして、マネ-ジャ-という若い男性が現れました。
「あのぉ、楽屋で泊まるということは、ここで?」と、私が聞くと、
「そうです!布団はそこの押し入れに入ってますので」と。
ヘコみました。でも、気分も変えて、
「ショ-タイムは何時ですか?」と、聞くと、
「決まってないです」と。
「決まってないって?」
「お客さんが一番多い時間を見計らって、2回行いますので」と。
「そうですか・・・わかりました。で、バンド編成の件ですが」と、譜面を出そうとすると、
「バンドはやめていません。バンドなしでもやってもらえると聞いていたのですが」と。
「別にバンドなしでもいいですが・・・」
本当にえらい所に来てしまったなぁと思いつつ、
「すみません。何か出前を取りたいのですが」と、私が言うと、
「ショ-のタレントさんは、一日一食と決まっているのです。今食べたら、もう夜まで何も食べられませんが、よろしいですか?」と。
(一日一食?動物でも二食はもらえるやろ・・・ひどすぎる)
「自腹だといいのでしょ?自分で払いますから」と、言うと、
「それなら結構です。今出前メニュ-を持って来ますから」と。

結局、出前の丼でとりあえず空腹を満たした私は、TVすらもない楽屋と称するスペ-スで待ち続けるしかありません。

ところが、夜7時になっても、8時になっても、何の連絡もなし。
時計は九時を越えてしまいました。
「いったい、どないなってるねん!」
イライラした私は、ショ-をやる予定の2階のコンパをそっと覗いてみました。
すると、そこには恐ろしい光景が待っていたのです。

また続きを。
大阪の吉本をやめて、いざ上京したものの、結局プロダクションに所属して、与えられた仕事は「キャバレ-まわり」の芸人暮らしでした。

場所や状況によって、ウケたり、全くウケなかったりする訳ですが、それも客がいるからこそのこと。

客も入らない店で、悲惨な体験をしたことがあります。

場所は、茨城県の潮来という所。
鹿島神宮の手前の、田舎です。

事務所からの電話で、いつものようにバンド編成を告げられ、一人列車に乗って、潮来に向かいました。

駅に到着して、すぐ店に電話を。
「ショ-のものですが、少し早く来たので、先にホテルに入りたいのですが」と、告げると、
「えっ?ホテルに泊まられるのですか?」と。
「あの・・・旅館とか用意していただいているのでしょう?」と、聞くと
「ウチでは、楽屋で寝泊まりしていただいているのですけど」と。

一泊二日の仕事だったので、私はてっきり泊まりのホテル位あると思っていたのが甘かったです。
キャバレ-まわりの仕事は、行く先々の店によって、扱いが変わります。
一流とは言えなくても、そこそこのホテルを用意していただく場合。
古ぼけた旅館泊まりの場合。
そして、ホステスさんの寮の一室に泊まる場合もありました。
が、さすがに楽屋泊まりは初めての経験でした。

駅から、タクシ-に乗って、そのお店へ。
「キャバレ-『女の城』まで行ってください」と、運転手さんに告げると、運転手さんは何やら怪訝な表情に。

「ここです」と、下ろされた場所にビックリしました。
周囲は見渡す限りの田園地帯。
たんぼのド真ん中に、ポツリと小さな建物が建っていたのです。
隣りの建物までは、見る限り500メ-トルはあると思えるような立地条件。
「こんな場所で、キャバレ-なんかやって流行るのかな?」
と、恐る恐るそのビルに近付くと、
「キャバレ-女の城は閉店しました」と、貼り紙が。

どうしたものか・・・と、途方にくれていると、ビルから50歳位のやつれた女性が出て来ました。
「あのぉ、この店に今日と明日ショ-に来たタレントなのですが」と、話かけると、その女性はギロリと私を見て、
「ついて来てください」と、ビルの中に案内してくれました。

そして、この夜・・・とんでもないショ-タイムを迎えることになってしまうのでした。
昨日、北朝鮮からミサイルが飛んで、
土曜の朝の生放送も、とぶかと思った。

結局、ミサイルは飛ばす、番組もとばなかった。

そんな日、私はお葬式。
大切な家族の一員が、天に向かって逝った。
15年間、有り難う!
お疲れさまでした。

こんな時だが、たまっている「お笑い台本」を書かなくてはならない。

お笑い作家の宿命・・・なのだ。




連日のキャバレ-のステ-ジは正直テンションが下がっていました。

夕方アパ-トを後にして、ラッシュの電車でキャバレ-へ。
ショ-タイムは、8時と10時頃の二回。
バンドと打ち合わせをして、同じネタをこなすだけ。

「エア-山本リンダ」に関しては、さすがにどこでも爆笑を取れましたが、しゃべくりネタが今一つの結果。

しかし、東京と一口に言っても、その地域性に少し驚いていました。
というのも、関西弁の私のしゃべりを支持してもらったのは、意外や「江戸っ子」と、呼ばれる東京下町。
「山の手」と呼ばれる地域では、「何だ、大阪の芸人か」と、しゃべり始めた瞬間から、小バカにされてしまうのです。

「山の手」と呼ばれる地域は、地方から出て来た人の集まり。
それに対して、下町は古くから東京に住んでいる人達。
つまり、「山の手」と言いつつ田舎者の集まりは、芸を正面から見ることができない奴の集まりだと思ったのです。

TVで「これが流行」と騒がれれば、それを並んででも買いに行く。
自分で価値判断ができない奴ばかりということに気がつきました。

それに反して「下町」の人達は、大阪と同様に、人に優しかったのです。

まぁ、そんなことがわかっただけでも収穫としておきましょうか。

そんなキャバレ-まわりのある日。
確か「赤羽のキャバレ-」でのことでした。

私のような売れていないショ-芸人は、特に楽屋という控え室が用意されてなく、ホステスさんのロッカ-ル-ムを共同で使わせてもらう場合が多かったです。

その日も、ホステスさんが着替える横で、私も舞台衣装に着替えて、ステ-ジに上がりました。
財布は衣装のポケットに入れて舞台に上がっていたのですが、タバコとライタ-は、そこに置いたまま。

すると、舞台を終えて戻ってみると、なくなっていたのです。
普通ライタ-を盗むのが順当だと思います。
カルチェ等の高級ライタ-ではなかったのですが、5千円程するライタ-です。
でも、そのライタ-は、そのまま。
盗まれていたのは、私のタバコ。セブンスタ-でした。
それも、確か20本入りほとんど入っていた筈の箱が、残り数本になっていたのです。

被害はタバコ15本程度。
実にくだらない話のようですが、私はそのタバコをそっと盗んだホステスさんの生活を考えてしまいました。

母子家庭で、子供を託児所に預けて、ホステスとして嫌な酔っぱらい相手をしてるかも知れません。
好きなタバコも、生活の為にきりつめていたのかも知れません。
目の前に、タバコがある・・・誰も見ていない・・・。

私は、勝手にそんな想像をしてしまいました。
せつなすぎます。
高いライタ-に目もくれず、タバコのケ-スから何本か抜き取ったホステスさんの気持ちを考えてしまうと・・・。

その日から、キャバレ-まわりのステ-ジ。酔っぱらい相手に芸をしていく訳ではなく、ホステスさんに喜んでもらえるような芸をやろうという気持ちになりました。

キャバレ-の仕事って、いろんな人生を感じたりしてしまいます。
キャバレ-まわり時代の話、まだまだ続けます。


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