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萩原芳樹のブログ
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「お茶子のブル-ス」6人のゲスト。
続いては、「桂きん枝」さんについてお話します。

きん枝さんとは、毎週関西テレビの「ぶったま」という番組で、ご一緒させていただいて、毎週お会いしている訳ですが。
私は、きん枝さんのことを「兄さん」と、今だに呼んでおります。

「お茶子のブル-ス」のお芝居の中でも、楽屋での芸人同士の呼び方について解説しているシ-ンがあるのですが、
楽屋では、師匠と呼ぶ以外の先輩方を「兄さん」「姉さん」と呼ぶ習慣が今も続いています。

かつて私が芸人時代「きん枝兄さん」と、呼んでいたのをそのままにしています。
私が作家という立場に転向した際、師匠と呼ばせていただく方は別として、「兄さん」と、呼んでいた方を「○○さん」と、あえて意識して変更させていただきました。
というのも、いつまでも芸人ではない訳ですし、TV局の人から見れば、「いつまで芸人みたいなノリやねん、この作家は」と、思われるからです。

でも、きん枝さんに関しては、今でも自然に「兄さん」と呼んでしまうのです。親近感を込めて・・・。それには訳があります。

私がB&Bの舞台に穴を開けて蒸発してしまった時、
私のことを本当に心配して一番探してくださった方だったからなのです。

当時、私の行きつけのスナックは、多くの芸人さんも知っていた筈です。
その店に、きん枝さんは何度も顔を見せては「あいつの行き先知りませんか?」と、心配顔で来てくださったとのこと。

きん枝さんは、人前でそんなそぶりを決して見せない方ですが、常に心遣いをされる優しい方なんです。

しかし反面、「トチきん」というニックネ-ムがあります。
「トチきん」つまり「トチるきん枝」の略。
仕事によくトチる(遅刻する)ので有名な方でもありました。

昔、ナンバ花月の舞台を終えた私に、「おい、今夜ワシと付き合うか?」と、誘っていただいたことがありました。
「兄さん、今日はもう仕事ないんですか?」と聞くと、
「ああ、もう終わりや。家に来いや」と。
きん枝さんのマンションで、その日は二人で飲んでいました。
ところが、夜12時を過ぎて、ピンポ-ン!と、寛平さんが現れて、
「きん枝、オマエ今日のTV何で来んかったや」と。
きん枝さんは、仕事があるのを忘れて私と飲んでいたのです。

その頃のきん枝さん、驚くことに手帳を持ってない芸人さんでした。
仕事が入ると、全部自分の頭の中の記憶のみで仕事に行っていた人。
そりゃ、トチるのも当たり前です。

そんなきん枝さん、最近「子育て本」を出版されました。
還暦近くになって、孫のような幼い子供を育てておられます。
「この子が大人になるまで、ワシはずっと元気で働き続けなアカンのや」
いつの日か、そうおっしゃっていました。

だからなのでしょうか。
最近は古典落語に真剣に取り組んでおられます。
以前は自ら「上方落語を聞く会の会長や、ワシ」と、おっしゃっていた方だったのですが、ここに来てやっと本格的に落語と向かい合うようになられたようです。

下町のボンボンとも呼ばれていた「きん枝」さん。
「ゆる~い、マジメな方」なんです。

初日のゲストは、そんな「きん枝」さんです。
ご期待ください!

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「お茶子のブル-ス」6人のゲスト、続いては「ぼんち・おさむ」さんについてお話します。

おさむさんは画面で見ると、実に脳天気な方ですが、実際はもっと脳天気な人です。

例えば、車を運転していたら、カ-ナビの声に反応して「ハイ!わかりました!」と、大声で運転している人。

奥さんと二人で自転車に乗っていたところ、奥さんが「あんた、電柱あるから気をつけてよ」と、言われると、
「電柱や、ぶつかったらアカン、ぶつかったらアカン」と、思っているうちに、ホントに電柱にぶつかってしまったこともあったそうです。

自己暗示にかかりやすいとでも言うのでしょうか。
「これをしたらダメ」と言われると、やりたくて仕方なくなる人なのですね。
おさむさんが、後輩の車に乗せてもらった時のこと。
「おさむ師匠、この車の天井、サンル-フで天井開いてますけど、絶対に頭を出したりしないでくださいよ」
そう言われて、「頭を天井から出したらいけない、いけない・・・」と、じっと天井を見つめていたおさむさん。
ついにガマンできなくなり、ピョコン!ピョコン!と、ことあるごとに、その車のサンル-フから、飛び上がっては頭を出されていたとか。

後続でついていた同じ後輩の車から見ると、それはまるで「モグラ叩き」のモグラのように、おさむさんの頭がピョコンピョコンと車の屋根から出ていたそうです。

そんなおさむさん・・・ホントに凄いいい人なんです。
ずっと昔の話になるのですが、「漫才ブ-ム」の終わり頃、
TBSの「ヤンタン東京」という夜のラジオ番組でのことです。

本番が終了し、ディレクタ-は、我々作家陣を引き連れて飲みに行こうとしていました。
当時、私は浦安に住んでいてタクシ-代もバカにならなかったのですが、「萩原さん、帰りのタクシ-はちゃんと手配しておいたから」と。
その時、おさむさんが「萩原さん、今夜ちょっとお酒付き合ってよ」と。
ぼんちのお二人は、すぐ傍のホテルに宿泊予定。
私は、ディレクタ-との約束を断って、おさむさんと一緒に飲みに行くことにしました。ところが・・・
「もう終わる人と一緒に飲みに行ってどうするの」と、そのディレクタ-。
ぼんちは、あと数ヶ月で番組を外されることが決定していました。
それだけに私は、おさむさんの誘いを断ったりできる筈ありません。

その夜、おさむさんと二人で飲み、約束の時間に手配してあったタクシ-に連絡を入れたところ、「萩原さんのタクシ-はキャンセルされていますよ」とのこと。
あのディレクタ-が、嫌がらせとしてTBSの配車センタ-にキャンセルの電話を入れていたのです。
本来なら、番組の出演者の方を囲んで「お疲れさん」とやるのが普通。
それを、出演者と一緒にいる私に嫌がらせをするなんて許せませんでした。
「あいつ!何ちゅうことをしやがるねん!」
当然私は怒りました。
すると、おさむさんは、こんなことを言ったのです。
「萩原さん、それはきっと何かの間違いですわ」と。
「そんな訳ない!」と、私が怒り続けると、
「ひょっとして、萩原さんの言う通りかも知れん。けど何の証拠もないし、先に帰ったと思ってタクシ-キャンセルしたのと違う?僕ね、他人がわざとやったかどうかわからん時ね、必ず何かの間違いや・・・と、自分でそう思うようにしてるねん」と。

おさむさんって、まるで仏さんのような方なんですね。

そんな仏さんですが、今度の「お茶子のブル-ス」では、勝手に大暴れをして自爆されることが予想されます。
お楽しみに。


6名の日替わりゲスト。
まずは、ぼんちの「里見まさと」さんについてお話します。

まさとさんは、私と同じ年。
しかも、どちらも姫路生まれで、何かと共感できるものがあります。

ぼんちのお二人は、我々B&Bと同じ年デビュ-です。
互いの漫才論を熱く語り合った時もありました。

その後、私は吉本をやめて東京へ。
そして、芸能界ともサヨナラして、私は一時故郷の姫路で婦人服店を経営していたことがありました。
そんなある日、私が店の表を掃除していた時でした。
まさとさんが、目の前を歩いているではありませんか。
「ぼんちのま~さんが、どうして姫路の駅前を歩いているんだ?」と、
私は夢でも見ているような気持ちで固まっていると、
まさとさんも、私に気付き、
「こんなところで、順ちゃん、何をしているの?」と、思ったのか、思わず立ち止まって、お互いビックリ。

二人は同時に「何してんの?」と。
私はここで店をやっていることを話すると、
ぼんちは近所のス-パ-マ-ケットに余興があって来ていると。

余興といっても、「エバラ焼肉のタレ」を売るという仕事。
ちゃんとした舞台があって漫才をさせてもらえる仕事ではなかったのです。

私は、自転車でそのス-パ-の前で、ぼんちの仕事が終わるのを待っていました。
まさとさんが仕事を終えて、懐かしい再会にいろいろ話は尽きませんでした。
以前このプログで、「北京一京二」の時に書いていたように、「このまま10年は辛抱して地味に漫才続けるしかないで」という京一との言葉。
ぼんちのお二人は、ずっと漫才を地道に続けて来られていたのです。

「頑張ってや。陰ながら応援してるから」
姫路の駅前で、私はまさとさんとお別れしました。
「いつか、地道な努力がむくわれる日が来るといいのになぁ」
そう思って、自転車に乗った私でしたが・・・・。

その2年後、あの「マンザイブ-ム」が日本列島を包み込んだのです!
衝撃的すぎました。

その後、TBSの「ヤンタン東京」では、ぼんちの「座付き作家」として、私はスタッフに加えてもらい、今度はタレントさんと作家の関係になります。

「まさと亀山」の時代を経て、「ぼんち再結成」となり、またまたお付き合いさせていただく機会も増えました。

昨年の「女芸人らん子のブル-ス・完結編」では、大切な役どころを見事に演じていただきました。
若いメンバ-に、ずっと稽古も付き合っていただきました。
まさとさんは、漫才は勿論のこと、舞台に立つ前に、稽古を積み重ねて計算し尽くして出られるタイプの方です。

そんな、まさとさんに今回は全編アドリブ芝居。
さてさて、まさとさんはどう対処されるのでしょうか・・・。
お楽しみに。
「お茶子のブル-ス」には、毎日日替わりゲストの方が出演してくださいます。
「風月亭遊笑」というベテラン落語家の役を日替わりゲストの方々が、入れ替わり演じてくださる訳ですが・・・。
実は、この役にはほとんどセリフがありません。
芝居の脚本には、ここだけ空欄になっていて、日替わりゲストの方には、アドリブで何かやっていただこうという、実に無謀な挑戦です。

大木こだまさん、オ-ル阪神さん、桂きん枝さん、里見まさとさん、
大平サブロ-さん、ぼんちおさむさんの6名の方がゲストとして
交代で同じ役をしていただく訳です。

皆さんにゲストとしてご出演くださるようお願いしようと思った時、
「忙しい方々ですから、稽古に付き合ってくださいというのは到底無理」と思ってそんな手段を選びました。

でも、よくよく考えてみると、日替わりで同じ役を、それもアドリブでやる・・・なんてことは、逆にひょっとして師匠方にプレッシャ-を与えることになったのでは?・・・と、始まる前から後悔すらしています。

果たしてゲストの方々の舞台・・・どうなるのでしょうか。
お芝居の本筋とは関係ない部分なので、思いっきり楽しんで舞台をやっていただけたらと、思っています。
是非、そのゲストの方々のアドリブにも注目ください。

一応、現時点で決まっているゲストスケジュ-ルを載せておきます。
3/5(木)桂きん枝
3/6(金)大平サブロ-
3/7(土)桂きん枝
3/8(日)ぼんちおさむ
3/10(火)ぼんちおさむ
3/11(水)オ-ル阪神
3/12(木)大木こだま
3/13(金)里見まさと
3/14(土)ぼんちおさむ
3/15(日)オ-ル阪神
3/17(火)オ-ル阪神
3/18(水)里見まさと
3/19(木)大木こだま
3/20(金)大平サブロ-
3/21(土)オ-ル阪神

さて、このブログでは、今後ゲストの6名の方々の「私から見た素顔」を勝手に発表して行きたいと思っております。
お楽しみに!
「お茶子のブル-ス」ちょっと頭の弱いファンの役を演じるのは、
「桂さろめ」ちゃんです。

「さろめ」ちゃんは、桂あやめさんのお弟子さん。
弟子入りして一年が経ちました。

落語家の弟子入り希望するのには、二つのタイプがあるようです。
まずは、落語そのものが好きで好きで、「どの師匠に弟子入りするか」を選択して決めるタイプ。
もう一つは、その師匠の落語が好きで、「どうしても、この師匠でなくてはダメ」と、師匠を決めて弟子入り志願するタイプ。

「さろめ」ちゃんは、後者です。
あやめさんの落語に魅了され、どうしても弟子になりたいと弟子入りされたそうです。

ちなみに、「桂ざこば」さんの場合、中学生の時、米朝師匠の高座を見て、幼い頃お父さんを亡くしたざこばさんは、「この人のお世話になりたい!」と思って弟子入り志願されたそうです。
亡き父親の面影をどこかで米朝師匠にWらせていらしたのでしょうね。

漫才さんの師弟関係に比べると、落語家さんの方が、はるかに師弟関係は深いと思います。
というのも、漫才の場合、師匠からお弟子さんには芸のアドバイス程度なのですが、落語家さんは違います。

「ハナシをつけてもらう」という落語家ならではのしきたりがあります。
それは、師匠と対座して、師匠のハナシを細かく模写して稽古をつけてもらうという教えられ方。
古典落語は台本を覚えるという形ではなく、師匠が目の前で、自分の為に演じてくださるハナシを、そっくりそのまま真似することで覚えて行く訳です。

今の「春団治」師匠が落語家になったばかりの逸話です。
父親は「二代目春団治」という大きな名前の落語家さんであったのに、今の三代目は、とりたてて落語に興味もなく、一度は社会人として就職もされていたようです。
それが、ひょんなことから、急に「落語家になりたい」と、二代目のお父さんに弟子入りをされます。
そこで、初めて稽古をつけていただく訳ですが・・・。

これまで家庭では、普通に父親でしかなかった人が、対座して目の前で落語をやっている姿を見て、余りにも面白いので、声を出して笑ってしまったとか。
この話を、私はじきじきに春団治師匠にお聞きした時、
「それで、お父さんは怒られたでしょう?」と、聞くと、
「いやいや、親父も一緒に笑ってしまって、結局二人して笑い、その日は稽古にならなんだんや」と。
いかにも、ほのぽのとしたエピソ-ドだと思いませんか?

「桂さろめ」ちゃんは、メチャクチャまじめな女の子です。
常に師匠のことを気づかい、一日も早く一人前の女落語家になろうと努力しています。
そんな「さろめ」ちゃんの熱演ぶり・・・是非観てあげてくださいネ。
さて、「お茶子のブル-ス」では、楽屋にチョクチョク差し入れを持って来る少し頭の足りないファンが登場します。
桂あやめさんの、お弟子さん「桂さろめ」さんが演じる訳ですが。

さろめさんは、「らん子のブル-ス・完結編」では、見事に超アホ役を演じきりました。なので、またまたアホ役です。
さろめさんに関しては、次にまた詳しくお話しますが。

お笑いのファンというのは、いくつかの部類に別れるようです。
今は「出待ち」と呼ばれる、楽屋口で待っている人達が主流ですが、
昭和の時代には、いろいろいました。

まず今のように楽屋口で待っていて、ひと言でも芸人さんと会話したいファン。
それに、必ずプレゼントを持って来ては、気を引こうとするファン。
それから、ケバイ化粧をして、何とか芸人と肉体関係を持とうとする「親衛隊」と呼ばれるファン。(お笑いには少ないですが、ミュ-ジシャンには、この手のファンが多いです)
そして、一番迷惑なのが、どこで調べたのか、突然芸人の家に、それも夜中にピンポ-ンと現れるファン。

そんな中で、私がB&Bとして花月に出ていた頃、印象に残っている一ファンの存在があります。

それは、ナンバ花月出番の時。
表のテケツ(切符売り場)を通って、我々は楽屋入りする訳ですが、
その日も普段のように、楽屋入りしようといていた時でした。
背後から「順ちゃ~ん!」と呼ぶ声が。
振り向くと、鉄格子越しに(表と楽屋口とは、鉄格子で仕切りがありました)隙間から手を差し出している女の子の姿があったのです。

「順ちゃ~ん!最中持って来たぁ」
鉄格子の隙間から、最中の箱を突き出し、私に渡そうとするのです。
「ああ、有り難いファンの差し入れなんやな」と、私は思って売れ取ろうとしたら、女の子は、じっと私を見てニタッと笑いました。
その笑顔、前歯がありません。
喋り方からして、「少し頭の弱い子やな」と、思ったのですが、
「有り難うな」と、私は素直に受け取り、その最中は楽屋の世話をしてくださっている「お茶子さん」に、そっくり差し上げてしまいました。

そしてまた翌日。
ナンバ花月の楽屋入りをしようとしたら、また背後から、
「順ちゃ~ん!最中持って来たぁ」と。
「有り難うな」と、私はまたまた「お茶子」さんに。

そのまた翌日も、楽屋入りしようとしたら、
「順ちゃ~ん!最中」と、また前歯のない顔で笑っているのです。
ついに私は、こう言いました。
「こんなもん買う金あるんやったら、入場料払うて、漫才見て行ったらええやんか」と。
前歯のない女の子は、首を振り、
「ううん、順ちゃんの喜んでる顔見れたらええねん」と。

それにしても、毎回同じ最中ばかり差し入れを持って来るなんて、少しおかしいなと思って先輩芸人にその話をしたところ、「ああ、今度は君のところに来たんか」と。
つまり、私の前には他の芸人さんに同じように最中を持って来ていたようです。
そして、何故毎回同じ最中なのか・・・その謎も解けました。
彼女は近所の最中屋で働いている子だったようです。

店の最中を黙って持ち出していた訳では決してないでしょう。
店員の割引価格で買えるからと、その女の子なりに考えた最高の差し入れだったのでしょうね。

一ヶ月ほど、彼女の最中ラッシュは続きました。
「今度くらいは、一度その最中をお茶子さんに上げずに食べてみようかな」と、思っていたら、もう彼女は現れなくなりました。

ナンバ花月に楽屋入りする時、背後から「順ちゃ~ん」と、いつ声が聞こえるかと、思っていたのですが、それからは全く、前歯のない女の子は姿を見せなくなりました。

あの前歯のない舌足らずの女の子は、それからどうしたのでしょうか。
頭の弱そうな子だったので、何か妙な奴等にいいようにされたりしてないか・・・と、心配すらしてしまいました。

その女の子、今元気に生きていたら50歳は過ぎていると思います。
幸せになっていたらいいのですが・・・。
あの前歯は、いつ差し歯を入れたのでしょうか・・・。

そんな女の子をモデルにした役を「桂さろめ」が演じます。
ご期待ください!


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