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萩原芳樹のブログ
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初代若松家すみれが、男にだらしなく、さくらと大ゲンカしてメンバ-から去って行ったことは以前にも、このプログでお話しましたね。

女性漫才トリオとして、一人メンバ-を欠き、さくらはどうしたものかと思案します。
そこに、「漫才作家」の「太一」(徳富が演じます)から推薦されたのが、二代目すみれです。

漫才作家の太一は、つい最近までアマチュアフォ-ク活動をしていて、二代目すみれは同じフォ-クグル-プのメンバ-だったのです。

さくらは、二代目を一目見て、OKを出します。
これからは漫才といえども、ビジュアルが大事だと思っていたので、二代目のルックスは待ちこがれていた存在だったようです。
それにネタ合わせをしてみれば、しゃべくりも達者。
さくらは益々二代目を高く評価します。

そして、そんな二代目が初めて楽屋入りするところから、この物語は始まる訳ですが・・・。

昭和44年は、フォ-クブ-ムで、随分たくさんのアマチュアバンドが存在していました。
太一と二代目が組んでいたグル-プは、女性一人に男性二人という編成。
おそらくPPM(ピ-タ-、ポ-ル&マリ-)という米国の人気グル-プのコピ-からスタ-トしたのでしょう。
(実際にPPMのコピ-をするグル-プは、掃いて捨てる程いました)

そして、二代目すみれが達者なしゃべりを出来たというのは、ステ-ジでウケるMCを随分やっていたのでしょう。
その頃のアマチュアフォ-クには、曲を演奏するよりも、面白いしゃべりが人気のグル-プも数多くいました。
「ムッシュ」というグル-プは、ほとんどコミックバンドに近い存在だったし、それから暫くして「あのねのね」が世に出て来ます。
「あのねのね」と聞いて、「ああ成る程」と思われる方も多いでしょう。
アマチュアフォ-クの人間が芸人になっても不思議ではない時代が始まっていたのです。

そんな二代目すみれが女芸人になって、果たして成功するのか・・・それはお芝居をご覧ください。

さて、そんな二代目すみれを演じる五十嵐サキちゃんについてお話します。
サキちゃんは吉本新喜劇のメンバ-で、今も新喜劇で活躍されております。
今回、私が無理を言って、無理やりサキちゃんに参加していただくことになりました。

私はサキちゃんの演技力を高く評価しています。「もっといい役やらせてもらえばなぁ」と、勝手に思っているのですが・・・。

今から5~6年前のことだったでしょうか。
当時の新喜劇のプロデュ-サ-が、「小籔とサキを将来の座長にしたい!」と、私に二人主演の芝居を随分依頼されたことがありました。

その頃から、私の作演出の芝居は、「お客さんを裏切る」ことが大好きで、「悲しいシ-ンかなと思いきや、笑いのシ-ンであったり、笑いのシ-ンかなと思うと、どんどんせつなくなる」そんな芝居が多かったです。
でも、そんな芝居を演じるには、本当の演技力が必要になるのです。
サキちゃんは、それを全て見事にこなしてくれていました。

例えば・・・・
あれは「うめだ花月」の「芝居もん」で、サキちゃんと、めだかさんメインのお芝居でした。
スト-リ-は、大金持ちのお嬢さん(五十嵐サキ)の家に、ある日突然大きな段ボ-ルの荷物が届きます。
「何だろう?」と、中を開けると、出て来たのは、「めだかさん」演じる珍獣。

実は、このお嬢さん、最近のら犬を拾って来て、「汚い!」と、両親に叱られて、彼女のいない時に拾って来た犬を捨てられたばかり。
そんなお嬢さんでしたから、誰が届けて来たのかわからない珍獣を内緒で部屋の中で飼う暮らしが始まります。
その珍獣は、まるでエロいおっさんのように、一緒にベッドで寝ようとしたり、大ボケの数々。

そして、最終的には両親に見つかってしまう訳ですが・・・
「お父さん、許して!私はこんなかわいいペットがほしかったの」と、言うと、
「ペット?サキ、オマエは頭おかしいのと違うか?これオッサンやないか」と。
「オッサン?・・・そんなアホな」と、言ってると、珍獣がやおら立ち上がり、初めて言葉を発します。
「すんません、私オッサンです」
「ええっ?」

つまり、捨てられた犬を探していたサキを見てかわいそうになり、自分が犬代わりになってやろうとして、荷物になったというメチャクチャな結末。
オッサンは、公園のホ-ムレスだったんです。

この芝居、お客さんもめだかさん演ずる珍獣を、すっかり珍獣だと思ってだまされています。
めだかさんが、「オッサンです」と、立ち上がった瞬間、客は笑う゛ころかキョト-ン。

私って、こんな風にお客さんをだますのが大好きなんです。(悪い作家や)
サキちゃんは、何の不満も言わずに私の演出につきあってくれました。

今回の「お茶子のブル-ス」でも、サキちゃんが、最高の不条理シ-ンを演じてもらえることを楽しみにしております。
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「お茶子のブル-ス」物語のメインになるのは、「スリ-こいさんず」という女性漫才トリオです。
今日はその「スリ-こいさんず」のリ-ダ-「若松家さくら」を演じる「杉岡みどり」さんについて、お話します。

昨年「ワッハ上方」で3部作上演致しました「らん子のブル-ス」
このお芝居で、彼女は「こまどり娘」の「ぴん子」役を見事に演じきりました。
「漫才センスは抜群だけど、性格はメッチャきつい」という役。
お芝居をご覧になった方は、素でも同じような性格だと勘違いされている可能性があるので、彼女の素顔を紹介しておきます。

私が彼女と初めて出会ったのは、今から何年前だったでしょうか。
NSCという「吉本タレント養成学校」があるのを皆さんもご存じだと思うのですが、
私は「NSC9期生」のみ講師として、一年間教えに行っていました。

9期の生徒さんには、今をときめく「ナインティナイン」「チュパチャップス」「矢野兵動」「川畑泰史」「へびいちご」等がいて、その中に杉岡みどりの姿もありました。
いつも前列の一番横に座っていたのが印象に残っています。

NSC9期生には、漫才・コント・芝居等いろんな講師が来て、講義内容も多種に及んで豊富。
なので、私の授業では「あるあるネタ」を専門にやっておりました。
毎週、生徒が「あるあるネタ」の宿題を順に発表して行くという授業です。

杉岡は、皆の中でも抜群のセンスを持ち、彼女の「あるあるネタ」には、生徒全員が爆笑でした。

そして卒業を迎える時、私は生徒達にこんなことを言ったのです。
「NSCを出たからて、吉本が何かしてくれると思うたら大間違いや。これからがホンマにゼロのスタ-トなんやで」と。
「卒業しても、私にネタを見てもらいたい人は○曜日○時に持っといで。ダウンタウンの番組収録で毎週その時間にはNGKに来てるから」

そして、翌週のこと。
私が車をNGKの駐車場に入庫しようとしたら、杉岡がポツンと立っていたのです。
「おはようございます。ネタ書いて来ました、見てください」と。

その翌週も、またその翌週も、杉岡の小柄な姿は駐車場にありました。
「何とマジメで熱心な子なんやろ」私の印象です。

その後、杉岡はプチブレイクし、私は彼女の為に「オナゴン」という女性4人組ユニットを作りました。
一時は、イベント会場を超満員にしたり、TVのレギャラ-も「オナゴン」として持っている位でした。

そういえば、「オナゴ゜ン」のイベントで「キャラクタ-女子プロレス」をやり、「ソ-プランド嬢VS女こじき」の闘いで大爆笑を誘ったネタがありましたっけ。
ソ-プ嬢は石鹸を手に「洗うたろか」と、迫るのですが、風呂に入ってない女こじきは恐ろしくて逃げ回るというプロレスコントでした。

杉岡は作家のセンスもあるので、「翠光」というペンネ-ムで作家活動もしており、いろんな番組を手伝ってもらっています。

よく夜中に彼女に電話してしまうことがあります。私は何か面白いことを思いついた時、杉岡にまず聞いてもらって「ホントに面白いかどうか」モニタ-代わりの役目もしてもらっているのです。

今流行りの「ピン芸人」とは、またひと味違った彼女の独特のワ-ルド。またイベントに足を運んでやってください。

そして「お茶子のブル-ス」では、男前の杉岡みどりが、男前の若松家さくらを全力で演じてくれると思います。
お楽しみに!

さて、「スリ-こいさんず」は、「さくら」と「初代すみれ」が大ゲンカをして、初代すみれは辞めてしまうのですが、昨日のブロクでも書きましたように、初代すみれは男クセが悪く、「汚れ芸人が」と、さくらに愚弄されてしまうのですが、もっと大きな要素として楽器の問題があったのです。

初代すみれは、音曲トリオとして楽器を手にしているのは当然と思っていたのですが、さくらは時代を先読みして、「これからはテンポの早いしゃべくり漫才の時代」になることを予期していたのです。
楽器を捨てることで二人の意見は対立してしまいます。

それに初代すみれは、どこか古い芸人臭い風貌だったのでしょう。さくらは、それも気に入らなかったのです。
「これからはTVの時代。TVではアカ抜けして、芸人臭さのないビジユアルが必要」だと。

これだけをご覧になると、さくらという女性は随分冷たい女だと思われるかも知れませんが、芸能界で生き残るには仕方のないことなのです。

実はこのエピソ-ド、あの「横山ノック」さんが「マンガトリオ」を結成される時のエピソ-ドを参考にさせていただいているのです。

横山ノックさんは、「秋田Oスケ Kスケ」というコンビを経て、「横山ノック アウト」になり、その後「漫画トリオ」を結成されます。
「ノック・フック・パンチ」のトリオで、パンチが上岡竜太郎さんであることは皆さんもご存じでしょう。
しかし、漫画トリオ結成時、実はパンチさん役は別の方でした。
ノックさんは、ビジュアル面でそのパンチさんに今一つ疑問があったのかも知れません。
「パンチはもっと洗練されたルックスとセンスが必要だ」と、あちこち物色されたようです。

そこで目に止まったのが、上岡さんだったそうです。
(この話は上岡さんの著書にもあります)
上岡さんは、当時ロカビリ-(今でいうとロックのような存在)の司会をされていました。
「ナンバ一番」というライブハウスで、後にあの「タイガ-ス」が「サニ-ズ」として出演していた戎橋にあった店。

そこにノックさんが突然現れて、上岡さんをスカウトされたそうです。
上岡さんは、漫才は素人でした。
しかし「俺に任せたら大丈夫」と、ノックさん。

そして、新生マンガトリオが誕生します。
ノックさんは時代を先読みされていました。
TV用にと、ニュ-スを題材にしたショ-トネタの積み重ねで「パンパカパ-ン!今週のハイライト」
これで、あっという間に漫画トリオは全国的にもその名を知られる人気者になります。

ノックさんはホントに凄い方でした。
ノックさんは、漫才で大きな発明もされた方。
それは何かと申しますと、「ドツキ漫才」です。
それまで漫才で「叩く」という行為は、扇子などで軽く叩く程度でしたが、ノックさんは「素手で頭を叩く」という荒技を考案されたのです。

勿論当時の客は、漫才師が素手で叩くという行為にビックリだったようですが、そこはネタとテンポの力で見事に笑いに結びつけられ、この「ドツキ漫才」が、お弟子さんである「横山やすし」さんに継承されて行きます。

そんな横山ノックさん・・・裁判の後、もっと世間に笑いをふりまくお姿を拝見したかったです。
ノック先生が、あの裁判後にもしTVに復帰できていたら、ガンなんかぶっ飛ばし、もっともっと長生きされていたかも・・・と、思ったらホントに残念で仕方ありません。

実は私の家のお隣りが「山田」さんです。そうなんです。ノック先生のお家の隣りに私は住んでおります。
(全く偶然なのですが)
毎日、お隣りの前を通るたびに、ノック先生のことを思い出してしまいます。

「お茶子のブル-ス」に登場する「スリ-こいさんず」の、杉岡みどり演ずる「さくら」には、
ノック先生の魂がどこかに入っております。
「お茶子のブル-ス」では、「スリ-こいさんず」という女性漫才トリオが物語のメインになります。
そこで、今日からは「スリ-こいさんず」と、その役を演じられる芸人さんについて語ることにします。

昭和30年代、「トリオ・こいさんず」という3人組がいましたが、あれは歌手の3人組であり、今回の物語とは全く関係ありません。ただただ「こいさんず」という響きが良いので使わせてもらっただけです。

「スリ-こいさんず」のメンバ-と、配役を紹介しておきます。
若松家さくら・・・杉岡みどり
若松家すみれ・・・五十嵐サキ
若松家つばき・・・こっこ

ただ、この女性トリオ、実は物語が始まる前の段階でメンバ-が替わっています。
どういうことかと申しますと、芝居に登場するのは、「二代目すみれ」であり、物語以前に「初代すみれ」がいて、メンバ-を外れるという事件が起こっていたのです。

「初代すみれ」は、男に対してだらしなく、誰とでも寝るような女だったのでしょう。そのクセ向上心がなく、結局は「さくら」と大ゲンカをした末に、辞めていったのです。

「さくら」は、古いタイプの芸人が嫌いな女で、まして楽屋の先輩男芸人を次々と渡り歩く「初代すみれ」のことを「この汚れ芸人が!」と、愚弄してしまったのです。

そして、「さくら」は、「二代目すみれ」を探し始めます。
「これからはTVの時代。TVに耐えれるようなアカ抜けした二代目を・・・」と、目にかなったのが、五十嵐サキ演じる「二代目すみれ」
お芝居は、そんな二代目が初めて楽屋入りするところから始まります。

昭和44年頃の大阪の寄席は、「女性音曲トリオ」の全盛期でもありました。
「かしまし娘」さんを筆頭にして、
「フラワ-ショ-」
「ジョウサンズ」
「ちゃっきり娘」
「グリ-ンスタ-ズ」
といった面々が寄席の舞台を華やかに飾っていました。

どのトリオにも共通しているのは、3人とも楽器を持ち、テ-マソングの後にも必ず一曲歌います。
(これが取り立てて笑いを誘う歌ではなく、普通に歌うだけですが)
そして、センタ-に立っているリ-ダ-は必ずと言っていい程美人。
下手の方がボケで、上手は頷き役・・・という何かお決まりがありました。

若い女性3人が楽器片手に舞台に現れ、歌ありのステ-ジは本当にその頃の寄席の華でした。
しかし、時代とともに、そんな女性音曲トリオも次々と解散されてしまいます。
時代の流れなのでしょうか・・・。

そんな中でも、一番印象に残っているのが、「フラワ-ショ-」のリ-ダ-だった「華ボタン」師匠のことです。
華ボタン師匠は、琵琶湖に入水自殺という悲しすぎる人生の末路を選ばれます。

ボタン師匠は、子供の頃から「なにわ節の天才少女」として評価され、後に漫才に転向された方。
道頓堀角座でも、常にトリをつとめられた大御所でした。

そんなボタン師匠に何があったのかは私もよくわかりませんが・・・・
琵琶湖に入水自殺されてしまうのです。
綺麗な着物を身につけたまま、浅瀬からどんどん深みへと歩いて行き・・・・
(その様子を遠くから、たまたま見ていたという釣り人の話)
ボタン師匠は、一番好きな「なにわ節」を大きな声で叫ぶように歌われながら、この世とお別れされたそうです。
悲しすぎます。

ちょっと湿っぽくなってしまいましたが、「スリ-こいさんず」と、その演者さんのお話、まだまだ続きます。
「お茶子のブル-ス」に登場する、お茶子「ナツエ」のプロフィ-ル紹介です。

昭和44年の設定で54歳ですから、大正4年生まれのオバチャンです。

性格は一言でいうと、「ドあつかましい、うっとうしいオバハン」です。
「ナツエ」という名のこの元気なオバチャン、実は悲しい過去を背負っているのです。
ナツエはそもそも戦前の昭和10年代、ジャズ歌手でした。
しかし、戦争が始まり、ジャズ歌手は皆弾圧され、ダンスホ-ルの営業もできなくなってしまいます。
そればかりか、「敵国の名前を名乗るとは何事ぞ!」と、
それまでの「ミス・ナツエ」という名前を無理やり「愛国ナツエ」に変えられてしまいます。

実際、歌手の「ディック・ミネ」さんや、漫才の「ミス・ワカナ」さんも国の命令で名前を変えさせられたそうです。

結局、ナツエはジャズ歌手をやめて、音曲漫才の一員になり、戦場の慰問に行ったりします。
(何故漫才に転向したのか・・・その理由は悲しいドラマがあるので、お芝居を観てください)

現実に戦前、「わらわし隊」と呼ばれた慰問団が存在していて、戦地で戦っている兵隊さんを癒やす為に、お笑い芸人が集まっては戦場まで出向いて漫才を披露していたそうです。

その後、「ナツエ」はお茶子として楽屋に居続けるようになるのですが・・・。
他の詳しいプロフィ-ルは、内緒にしておきます。お芝居で是非楽しんでください。


さて、その「ナツエ」を演じる、今回の主役「メグマリコ」さんについてお話します。

メグさんは、モノマネ芸人として吉本に所属し、達者なモノマネをいくつかされていたのですが、中でも亡くなった「若井小づえ」さんのモノマネが絶品でした。
そこで、吉本は小づえさんの相方であった「若井みどり」さんと、「新小づえみどり」として漫才をするよう二人を説得し、暫く漫才をされていました。
私は、その「新小づえみどり」さんの座付き作家で、お二人の漫才台本を全て担当していました。

そんなことから、お付き合いが始まった訳ですが、昨年「らん子のブル-ス」三部作では、「役者メグマリコ」の実力を充分に発揮。
特に、完結編では親子ほど年の違う二役を見事に演じきっておられました。

とにかくパワフルな芸人さんです。
よく「吉本が全然仕事をくれない」と、ボヤく若手芸人がいたりするのですが、この人は違います。
仕事がなければ、自分で見つけて来る!・・・そんなバイタリティあふれる方なのです。
今、「派遣切り」とかで悩んでいる方は、この女性の生き方を見習うといいですよ。

そんなとっても元気なメグマリコさんが、とっても元気なお茶子「ナツエ」を演じます。
是非パワ-をもらいに、京橋花月3月公演に来てください!
京橋花月よる芝居3月公演「お茶子のブル-ス」
いよいよ稽古が始まりました。

「お茶子っていったい何だろう?」
という方の為に、今日は「お茶子さん」についてご説明します。

現在関西の寄席で「お茶子さん」が存在するのは「繁昌亭」くらいですが、かつてはどこの寄席の楽屋にも「お茶子さん」はいました。

そもそもの語源は「お茶汲み」から来ているらしいのですが、
楽屋の掃除を始めとして、電話の取り次ぎや出前の注文、訪問客との応接や、楽屋の差し入れを受け付けたりと、楽屋全般のお世話をしてくださる方で、
大昔の話では、お客さんを客席に案内したり、落語家さんが高座を終えると、出て来て座布団をひっくり返したり、出演者の名前を記した「めくり」と呼ばれる名前ビラをめくったりと、大忙しだったようです。

「お茶子のブル-ス」は、昭和44年のお話です。
その頃の寄席楽屋には、どこも「お茶子さん」と呼ばれるオバサン達がいました。
だいたい平均年齢が60歳位だったでしょうか。
「うめだ花月」や「なんば花月」の楽屋に入ると、入り口にカウンタ-があり、その奥が「お茶子部屋」と呼ばれるお茶子さん達のたまり場です。
ここで、楽屋訪問に来たお客さんの受付をしたり、芸人さんにかかって来た電話を受け継いだり、出前の注文をしてもらったりしていました。

いつ頃から、「お茶子」として楽屋にいるようになったのか、私もわかりませんでしたが、ベテランの大師匠でも頭が上がらない存在。
つまり、昔から楽屋にいるので、かなりのベテラン師匠クラスでも、弟子時代から面倒を見て来ているからです。

でも、それまで呼び捨てにしていた若手芸人を急に「○○師匠!」と、呼ぶ時があります。
それはファンからいただいた差し入れを「どうぞ召し上がってください」と、お茶子さんにあげた時。
私もファンが作って来てくれた弁当を、差し上げては「順一師匠」などと呼ばれたりしていました。

お茶子さんが会社や劇場から、どの位のお手当をもらっていたのかはわかりません。
でも、決して裕福ではなかったのでしょう。

そんなお茶子さんに、芸人から「お世話してもらって有り難う」という意味を込めて、「ナカビ」というしきたりがありました。
劇場出番のちょうど真ん中の日、つまり中日に心付けとして、いくらか包むというものです。
我々は若手でしたから、ナカビは千円でしたが。

楽屋の雑用係なのですが、楽屋の主でもありました。
常に楽屋にいて、いろんなコンビのケンカしている場面を見たり、芸に悩む若手をそっと横からご覧になっていたのでしょう。
舞台でスボンが破れたら「縫うてあげるから、貸し」と言ってくださった優しいお茶子のお姉さん。
今どんな暮らしをされているのでしょうか・・・・。

「お茶子のブル-ス」では、主役となるお茶子「ナツエ」をメグマリコが演じます。
とても悲しい過去を持った女性ですが、元気いっぱいのお茶子さんです。
どんな過去なのか・・・それは今度少しだけお話します。

ところで明日の朝、ラジオ大阪「むっちゃ元気」に私がゲスト出演し、このお芝居の告知をさせてもらいます。
パ-ソナリティは、お芝居に日替わりゲストとして出演してくださる「オ-ル阪神」さん。
良かったら聴いてください。出番は朝の10時半頃の予定です。


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