萩原芳樹のブログ
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 さて、渡米した京一はバイトしながらロスのパントマイム学校に通い始めました。 PR
「このまま大阪で漫才続けてても、売れるまで10年辛抱せなアカンで」
京一と私は今後二人がどう歩むべきかを真剣に語り合いました。 「アメリカに行くというのはどうや?」 私が酔った勢いで言いました。 「あの横山エンタツさんも、渡米してロイド眼鏡にチョビ髭という当時オシャレな風貌で帰国して、それを認められてエンタツアチャコが誕生したくらいやから。今の俺達なら一年ほど渡米するというのも、一つの方法と違うか?マスコミがまず騒いでくれるしな・・・」 当時私は20歳で、京一は22歳。私は自分で選んだ芸人人生に不安を感じてそんな言葉を発したのですが、京一はもっと真剣に自分の芸という点について考えていたのだと思います。 結局暫くして、私は吉本を勝手にやめて渡米?・・・する勇気もなかったので東京へ。 そして、京一はコンビを解散してホントにロスに行ってしまったのでした。 その後渡米した京一はどうなるのか・・・また次にお話しましょう。
では、「北京一京二」のコンビについて述べることにします。
昭和46年に漫才コンビとして松竹の角座デビュ-。 京一は「きん枝」さんと高校の落語研究会の同級生で、ゼンジ-北京さんのコ-ケン「二代目ゼンジ-一億」でした。 京二は、「ファンキ-プリンス」という大阪では3本の指に入る人気グル-プサウンズのボ-カリスト。 こんな今までに寄席の世界には存在しなかった若者人気の匂い満載のコンビが私(初代B&B)のライバルでした。 漫才は決して面白いとは言えなかったのですが、R&Bも歌うケッタイな奴等で、まぁ10年早かったというか、20年早かった漫才コンビです。 吉本の花月の舞台に立っていれば、間違いなしに「今のさんまさんの地位」を築いていたコンビだったのかも知れません。 まずコスチュ-ムからして、当時の新人アイドルの郷ひろみや、西城秀樹なんかよりもカッコ良かったし。 当時の雑誌「明星正月号」に、そんな京一京二と、我々B&B、そして「志村けん」のドリフ前の「マックボンボン」が、「東西のお笑い若手ライバル」という記事で紹介されました。 京一とはいろんな仕事場で会っては、一緒に飲む機会も多かったです。 そして、二人口を揃えてこんなことを喋っていたものでした。 「今の関西のお笑いブ-ムはそろそろ終わりやな」 「ブ-ムが去って、地味な寄席芸人としてやって行けるか?」 「お笑いブ-ムも波があって、また10年後には何とかなる。10年辛抱したらええんやけど、俺は嫌やな」 「俺も嫌や」 二人の予感は的中し、関西のお笑い界は暫くして秋風が吹き始めました。 そして、二人の予感通り、それから約10年後にあの「マンザイブ-ム」が到来したのです。 二人は夜のミナミで、互いの夢を語り、新しい人生の冒険に向かってスタ-トすることにしたのです。 その冒険は現実に当時のマスコミを騒がせる大きな事件に発展。 さて、その事件と冒険とは・・・・。 また続きます・・・・。
昭和47年、「ヤングお-お-」を中心に関西はお笑いブ-ムのまっただ中でした。
その頃私は「B&B」として花月の舞台に立っていました。 あれは確か読売TVのコメディ番組でした。 憧れの可朝師匠と共演することができたのです。 役は可朝師匠が社長で、私はその秘書。 喜んで台本を手にすると、台本に私のセリフはありませんでした。 ただ秘書として社長の後ろに立っているだけの役。 「これじゃTVに出ている意味がないなぁ」と思った私はリハ-サルで勝手にセリフを作ってやったところ、 「オマエは喋らんでええ!」と、ディレクタ-から叱られる始末。 ヘコんで楽屋にいると、「何かやりたいんやろ?」と、可朝師匠が声をかけてくださいました。 「こうボケてみ。ワシが突っ込んだるから」 と、可朝師匠から、おいしいホケを提供していただいたのです。 結果、本番は爆笑。 無名の新人にこっそりアドバイスをされる優しさには本当に感謝・感謝でした。 そんな可朝師匠をモデルにした役が「お茶子のブル-ス」に登場します。 サブロ-さん、こだまさん、阪神さん、おさむさん、まさとさん、きん枝さんが日替わりのその役を演じてくださいます。 お楽しみに! 昨年は「らん子のブル-ス」で、昭和の女芸人の人生を三部作でお送りしましたが、 そのお芝居の中で、「フレンド2」というグル-プサウンズ崩れの漫才コンビを登場させました。 実はその「フレンド2」のモデルは「北京一京二」という私達と同期の漫才コンビです。 次回は「北京一京二」について述べることにしましょうか。 可朝師匠は先代林家染丸師匠に弟子入りし、染奴という名前が落語家としてのスタ-トだったそうです。 「R-1ぐらんぶり」が今年も2月に全国ネットのゴ-ルデンタイムに放送されます。 可朝師匠といえば、何といっても「嘆きのボイン」の大ヒットですが・・・。 |
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