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萩原芳樹のブログ
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昭和47年、横井さんが戦後27年ぶりにグアム島で発見された他、様々な昭和を代表する出来事がありました。

まず2月には「札幌オリンピック」開催。
日本で初の冬季五輪開幕。
それまでスキ-ジャンプという競技は一般的ではなかったのですが、これでメジャ-競技となりました。

同じく2月には、連合赤軍による「あさま山荘事件」が起こっています。
後に何度もドラマや映画化される程のビッグニュ-スでした。

3月には、山陽新幹線が岡山まで開通。
また、同月には「モスバ-ガ-」の一号店がオ-プンしています。

4月、川端康成がガス自殺を。
5月には、あの「千日デパ-ト」の火災で、死者が118名も。
今の「ビックカメラ」の場所にあった千日デパ-トの最上階にはキャバレ-があり、客とホステスさんが被害となりました。
火災になり、煙りに巻かれて苦しいので千日前のア-ケ-ドに飛び降りた人が続出し、見物人は何か荷物を放り投げているのかと思った程、次々と人が飛び降りてはア-ケ-ドを突き破り即死状態になったようです。
亡くなったホステスさんの住所が西成区に集中していたのが余りにも悲しかったのを記憶しております。

6月には、田中角栄が「日本列島改造論」を発表。
今の政治家とは違い、悪いことも良いことも、とにかく実行する総理でした。

7月には伝説の名馬「ハイセイコ-」が大井競馬場でデビュ-。
そうです。ハイセイコ-は、中央競馬デビュ-ではなく、たたき上げで這い上がった名馬なのです。

同じく7月、大相撲では初の外国人関取の「高見山」が初優勝しました。
今の外国人相撲界の始まりですね。

8月、カシオが初のパ-ソナル電卓「カシオミニ」を発売。
デシタル時代の夜明けとも言えるでしょう。

10月、上野動物園にパンダのランランとカンカンが来日。
パンダをひと目見たさに長蛇の列が出来、私も並んで初パンダを見たのですが、ランランとカンカンはすっかり疲れていて眠っていたのを記憶しております。

他にもまだまだ出来事はあるのですが、ざっと大きな出来事だけでもこれだけあった昭和47年・・・まさに昭和を代表する年でもあったのですね。
そんな年に私は花月で漫才の舞台に立っていました。
芸人から見たそんな躍動の年・・・今回の芝居に反映させたいと思っております。

さてさて、萩原大介の大阪福島「セカンドライン」のライブ時間がわかったので報告しておきます。
11月18日21時からの出演となります。
興味のある方は是非生の歌声を聴きに集まってやってください。
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9月に「風景の唄」ミニアルバムをリリ-スした萩原大介が、今週大阪でライブをやります。
場所は福島駅傍の「セカンドライン」にて。
11/18日(木)・・・オムニバスライブなので詳しい出演時間はまたお伝えします。

それにしても、ここ暫くは全国ツア-やら、連日の渋谷でのステ-ジと、忙しいらしい。
TV出演は、関東地方は12月2日(NTV)、関西地方は12月6日(YTV)、藤井隆さん司会の「音の素」という番組です。
是非見てやってください!

来年1月公演「あかんたれ芸人の詩」は、昭和47年の物語ですが、改めて昭和47年を振り返ってみると実に激動の年であったことに気づきました。

この年の2月、私自身は名古屋の大須演芸場で「B&B」として初舞台を踏み、同月京都花月に、そして3月には梅田花月に出させていただき、とにかく休む暇もなく連日漫才の舞台に明け暮れておりました。

この年の1月24日、日本列島を衝撃の渦に巻き込む出来事がありました。
「横井庄一」さんが、戦後27年を経て、グアム島で発見されたというニュ-スです。
終戦を知らずに、27年もの間グアム島の洞穴に閉じこもって暮らしていたというニュ-スは本当に驚きでした。

私も後にグアム島旅行に行った際、「横井ケ-ブ」を見に行ったのですが、昼間は洞穴の中に潜んでいて、夜になると横井さんは行動を開始されたらしいのです。

まず何キロも歩いて水を調達し、食料は夜中にこっそりと畑から調達していたらしいです。
ロビンソンクル-ソ-等のサバイバル生活は、物語として面白く、男の憧れでもあったのですが、横井さんはそれを実践されたことに日本国中が驚いた訳です。

当然、漫才さんのネタにも活用され、「次はルパング島にまた日本兵がいるらしい」という噂が流れ、当時B&Bでも日本兵を捜すネタを私が作ってやったのを記憶しています。その日本兵とは、小野田さんです。

いやぁ、昭和47年・・・いろんな記憶が蘇りますね。
まだまだ驚くべき出来事が起こった年ですので、この続きをまた次回に綴らせていただきます。

芝居の劇中にも、そんな時代ならではの旬の話題を挿入して行きます。
今朝もテニスに行っていた。
コ-チとマンツ-マンで「トップスピンロブ」と「バックハイボレ-」と「ポ-チに出るタイミング」を徹底的に教わった。
どれも結構高度な技である。

トップスピンロブは相手のミスを誘い、バックハイボレ-はピンチを脱出する技であり、ポ-チは相手の意表をつく技である。

テニスは戦う相手との駆引きで勝敗が決まるので奥が深い。
相手よりもパワ-で負けていても、駆引きが上手ければ勝利を呼び込めるスポ-ツだと感じる。

尖閣列島の映像問題でこの国は揺れている。
堂々と名乗り出た海保の人は立派だと思う。
これに対して政治家達の態度は何だ!
ビデオの流出経路を調べるとか、問題をすり替えようとしている。

テニスで例えると、戦わなければならない相手と何の駆引きも出来ずに、ダブルスの味方同士で「オマエがミスしたせいだ」とかやり合っている状態。
これでは相手になめられるどころか、鼻で笑われてしまうだけである。
今日は「大阪シナリオ学校」で講義の日であった。
もう15年程講義を依頼されていて、年間に何度か出向いている。
私の事務所の若手作家もほとんどが、かつてここの生徒であった。

それにしても未来のお笑い作家を目指す若者達の視線はみんな真剣そのものだ。
私の話に食い入るように見てくれるのでやりがいがある。
ついつい私自身も彼等の視線に応えるように熱くなってしまったりする。
狭き門だが、「みんな頑張れ!」と思う。

隣りの教室で壇上茂先生の「壇上塾」があり、久しぶりに壇上先生とお会いできた。
私は中学生の頃から、壇上先生作の吉本新喜劇が大好きであり、人情喜劇の基本を壇上先生からいろいろと教わったものだ。

最初にご一緒させていただいたのは、ABCで放送されていたコメディ番組。
私が毎週脚本を書き、壇上先生が演出を担当されていた。
「このクソ生意気な若造が!」が、先生から見た私の第一印象であったらしい。
でも、私が中学生の頃TVで観た壇上新喜劇の話をしてから、すっかり仲良しにさせてもらった。

その新喜劇は少年院を舞台にした吉本新喜劇だった。
今では到底考えられない設定である。

壇上新喜劇は、骨太の作品が多かった。
私がファンになったのも、そんな点からなのだろう。

久しぶりに一緒に酒を飲み交わせていただきたいと思ったが、医者から酒を禁じられていることを知り、残念であったが仕方ない。

「萩原よ、わしは今毎日歩いてシルクロ-ドを制覇するんや!」
と、おっしゃっていた。
聞けば毎日近所でウォ-キングした距離を計算して、シルクロ-ドの距離を完歩されることが目標らしい。
誠にお元気で素晴らしい72歳である。

明日は朝からテニスの予定を入れていて、深夜にもかかわらず、悶々と芝居の奥深い部分を考えている。

「あかんたれ芸人」は、自分の芸に対して自信がない。
ゆえに、いざ舞台に立つと、噛むわ、セリフ忘れるわ、間を外すの連発。
客に呑まれている訳である。

一方の「イケてる芸人」は、自分に自信を持っているので、客を呑んでかかる。
「これでも喰らえ!」と、ばかりに自信たっぷりに芸をするので客も自然と笑う。

しかし、この「自信たっぶり芸人」は始末が悪い。
順調に売れていれば良いのだが、「こんなにウケてるのに何故売れない」と、妬んでみたり、傲慢さばかりが目につくようになったりもする。
そして、最終的には誰にも相手にされなくなってしまうのだろうか。

また、本当はウケてない状態にもかかわらず、「ウケてる!」と、一人勝手に自己満足の芸人もいたりする。

どのタイプも人間らしくて面白すぎる!
それが芸人さんの世界だ。
いやぁ本当に芸人さんは奥が深いなぁと感じた夜でありました。





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