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萩原芳樹のブログ
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「スリ-ピ-ス」は、時代を先取りしたトリオでした。
コントのネタにしても、斬新なネタを。

私が覚えているのは、舞台が明るくなると、布団が敷いてあり、3人が客席に足を向けて寝ているだけというコント。

一枚の布団で寝ているから、3人は壮絶な布団の取り合いになります。
その戦いを表情など全く見せずに、客席に足の裏だけ見せるというコント。
3人の足の裏の葛藤のみで、セリフもほとんどナシという内容でした。
そんなシュ-ルすぎるコントもやってたトリオでした。

でも人気は上々。リ-ダ-のホ-プさんが選んだイケメン二人は、女性に人気がありました。

私がたまたま観に行っていたのは、新宿のショ-パブのような店でした。
「スリ-ピ-ス」がコントをしていると、客席から、
「ジミ-!ジミ-!」という黄色い声援が。

コントの最中に声援が飛ぶなんて、なかなかないことです。
「これほどジミ-の人気は凄いんだなぁ」と、最初は思っていました。

しかし、「ジミ-!」と、叫んだ黄色い声援は、その後にとんでも言葉を発したのです。
「ジミ-!お金返して!ジミ-!お金返してぇ!」

舞台上のジミ-は、その声の主を見て、固まっていました。
私も、その声の主の女性を見てみると、隣りに「恐いお兄さん」が、凄い形相で座っているではありませんか。

つまり、モテるからと、ジミ-は甘えて交際している女性から金を借りたままにしていて、ジミ-が返してくれないので、たまりかねた女性は、恐いお兄さんに取り立てを依頼したのでしょう。

「どうなるのかなぁ」と、私は心配しました。
すると、「オマエは、もう帰れよ!」と、コントの設定ではおかしいのに、ジミ-をホ-プさんは舞台からハケさせてしまいました。
一般客には、それがコントの筋書きに見えたと思います。
が、あきらかに変なハケさせ方でした。

後程聞いたのですが、舞台上でホ-プさんは「ヤバイ」と、感じて、ジミ-を舞台からハケさせたのだそうです。
そして、耳元で「すぐ帰るんだ。いいな」と。

舞台は、その後二人で長い時間のアドリブコントになり、ジミ-が消えた時間を見計らってコントは終了。
当然、「ジミ-お金返して」と叫んでいた女性と、恐いお兄さんは楽屋へ。
しかし、もうすでにジミ-の姿はありません。
「居所を教えろよ!」と、凄まれたりしましたが、
「俺たちメンバ-は、私生活は干渉しないので、住んでいる所も知らない」と、ホ-プさん。

よく言いますよね。3人揃ってサウナのパンツはいて共同生活しているクセに。

ジミ-は、その後キチンとその女性で借りていた金を返したのでしょうか。
この話だけすると、ジミ-は実にいい加減な奴のようですが、そんな奴ではありませんでした。

私が芸能界を辞める最後のステ-ジに、ジミ-は来てくれました。
東京中野のアパ-トを引き払う時も手伝いに来てくれたジミ-。
私は思い出の衣装を全てジミ-に差し上げました。
180センチのジミ-が、私の衣装を着られるか疑問でしたが、ジミ-は嬉しそうに持ち帰ってくれました。

そして、私が芸能界を引退した翌年、「スリ-ピ-ス」は解散して、ジミ-も芸能界を辞めたという噂を聞きました。

今どこで何をしているやら・・・どこかでバッタリとジミ-と出逢ったりする時はないかなぁと思ったりするのですが・・・。
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「スリ-ピ-ス」というトリオのコントグル-プがいました。
昭和40年代後半に活躍したトリオで、当時はTVにもチョクチョク出ていて「ややブレイク」したトリオです。

リ-ダ-の「ホ-プ」さんは、後の「ゆ~とぴあ」の、あの眼鏡のホ-プさん。
大分県出身のホ-プさんは、九州を出て、まず大阪の吉本へ。
吉本新喜劇に入団して「白木みのる」さんの付き人をしたりしていたのですが、その後上京して、「レオナルド熊」さんとコンビを組んでストリップ劇場でコントをしたりしていました。
後に「ホ-プピ-ス」というコンビを結成する訳ですが、解散して「イケメン」二人をメンバ-に入れて「スリ-ピ-ス」を結成されたのです。

その選ばれた「イケメン」とは、後に「アッパ-8」となる「ビン」さんと、「ジミ-」
「ジミ-は、180センチ程の長身で小顔のイケメン。
実は、花月の舞台に「ダッシュ」というコミックバンドの一員として立っていた少年でした。

私がB&Bの頃、「ジミ-」少年と何度か喫茶店に行ったりして多少の付き合いがあったので、花月を辞めて上京していることを知り、連絡して会うことにしました。

それからというもの、私と「スリ-ピ-ス」とは親しい仲になり、よく飲みに行っては芸談義をしたものでした。
ホ-プさんは、ベテランの「レオナルド熊」さんと組んだ経験もあるだけに、笑いの方程式を熟知していたので、大変勉強になったのを覚えています。

女の子からも人気のあった「スリ-ピ-ス」でしたが、私生活はかなりハチャメチャ。
3人は共同生活をしていたのですが、3人とも自前のパンツを持っていないのです。

ある時、楽屋で3人が着替えているのを見ると、3人とも「サウナ富士」と書かれたデカいサウナパンツをはいているのです。
「揃って何をはいてんの?」と、聞いたところ、
家の傍にあるサウナの社長にかわいがられていて、毎日無料でサウナに入らせてもらっていたそうです。
だから、自前のパンツは必要なかったのですね。

ホ-プさんとは、そんな関係から「ゆ~とぴあ」時代も、何本かコント台本を書かせていただくことになった訳ですが。

さて、この3人の暮らしぶり。
どんなハチャメチャだったのか、また次にお話しましょう。

昨日から一泊二日で、9月の京橋花月「よる芝居」の下見旅行に行って来ました。

同行者は、「メグマリコ」を始め、「こっこ」「杉岡みどり」「徳富」等の出演者と、私の事務所の若手作家メンバ-。

9月の「よる芝居」は、忍者モノをやる予定で、伊賀に行って来ました。
まずは、「忍者屋敷」等ベタな場所からスタ-ト。
忍者屋敷のカラクリは、以前から知ってたモノでしたが、改めて確認を。
そして、真剣を使った「忍者ショ-」は、子供だましとバカにしていたのですが、なかなかのモノでした。

私は、昔から脚本を書く前に、舞台にする場所に行き「シナリオハンティング」を必ずやっていました。
横浜の探偵モノを書く前には、横浜の裏通りを一人で歩いてみたり。
千葉のソ-プ嬢の話を書く時は、一人ソ-プ街を何度もブラブラしてみたりと。

その土地にいざ立ってみると、脚本のイメ-ジや、登場人物が明確になって来るのです。

ただ今回に関しては、みんなでワイワイとした慰安旅行でもありました。
宿泊は、「青山リゾ-ト」で、みんなでバ-ベキュ-をしたり、テニスをしたり・・・。
このブログにも写真を載せるつもりでしたが、ただの慰安旅行写真なので、やめることにしました。

9月の「よる芝居」は、5日間の予定です。
もう暫くすると日程が決まりますので、また報告します。

「あなたは愛する人の為なら死ぬことができますか?」
一応、今の段階での9月の芝居のキャッチコピ-です。
「くのいち」という女忍者の悲しくも切ない「愛と死」をテ-マにした物語を考えております。
でも、基本的には「楽しい喜劇」に仕上げるつもりです。

芝居を観た日は「ああ、楽しかった」
でも、数日後には「ジワ~」と、芝居の奥に流れていたモノが伝わって来る・・・そんなお芝居を作れたらなぁと思っています。

また、公演が近付いたら、詳しい情報をブログでお伝えします。
当時のス-パ-アイドル「天地真理」さんの司会をさせていただいたことがありました。

一週間に渡る「北海道ツア-」で、札幌を始め、函館、旭川と巡ります。
キャバレ-の仕事はたった一人の移動で、寂しかったですが、歌手のツア-は楽しかったです。
スタ-の「天地真理」さんは、タクシ-移動ですが、私はバンドのメンバ-や、前歌の人達とワイワイと移動。
車内では、禁句の業界裏話で盛り上がります。

さて、そのツア-で「苫小牧市民会館」でのことです。
司会の私は「真理ちゃん」が、3曲ほど歌った後、客席後方の扉から登場するという演出になっていました。
客席後方から登場して、通路を舞台の方に向かいながら、「どこから来たの?」とか、お客さんに絡みながらステ-ジへという予定。

ところがです。後方の扉から出て、
「今日は!」と、叫んだのですが、その周辺には誰もいません。
よくよく見ると1500人程入る会場に、前列5列ほどしか客が入ってなかったのです。
(客の入りをろくにチェックしなかった私が悪いのですが)

「みんな元気かな・・・あれ?」
と、慌てた私は、二階席を見上げて、
「二階のみんな・・・あれぇ?」
勿論二階席には誰もいません。
「何でこんな状況やのに、後ろの扉から出て来るのや!」
とか、一人でボヤいて間をつなぎながら、やっと前列の客との絡みを。

その頃、「真理ちゃん」は、すでに人気は下降気味でした。
「ス-パ-アイドルが、こんなガラガラの状況で歌うのは辛いやろなぁ」とも思っていたのですが、本人は満員の客の中で歌っているかのように、ノリノリ。
「♪虹を・・・ランランラン・・・」と、笑顔で歌っているではありませんか。

お笑いの場合、客の入りが悪いと、その状況をいじりながら笑いにしようとします。
しかし、ス-パ-アイドルは違うのです。
どんな状況であっても全力投球。

ス-パ-アイドル「天地真理」さんの凄さに、私は頭が下がりました。
アイドルの司会をする場合、着替えの間に登場する司会者は大変です。
客は全てアイドルの熱狂的ファンですから、司会者の喋りになんか全く興味はありません。

以前は、それでも何とか頑張って喋りでつなごうとしていたのですが、私はここでも真逆なことにチャレンジしてみました。

まず、思いっきりブ-イングされてしまうことから始めます。
「聴いてほしい」という熱心な喋りはやめて、あえて私は「たどたどしい」ウケない喋りを始めたのです。

すると、思い通りに客席からブ-イングやヤジが飛び始めました。
舞台上の私は、素になり、喋ることをいっさいやめてしまい沈黙になります。

ヤジっていた客席も、思わず静かに・・・。
そして、私が素になって怒り始めるのです。

「君等、何やねんな!そら、僕の喋りは面白くないかも知れん!けどな、一生懸命やってるのやないか!ちゃんと聞いてくれてもええやないか!」と。

客席は、司会者が開き直って素で怒っているので静まり返りました。
「もう、やってられへんわい!」
と、私はマイクを投げ捨てて、スタスタと舞台から袖にハケてしまうのです。

暫くすると、客席はザワザワと。
「ホントに司会者を怒らせてしまった」と、ヤジった奴等は心配すらしている様子。

そこで、間を見て、私はあらかじめ用意していた大きな紙を舞台の横から出して、顔だけ除きます。
その紙には、大きく「ゴメンネ!」から始まり、
「楽屋に戻ったら叱られたわ」
「もう一回やり直すけどいい?」
「許して!」
こんな紙を手に、再び私は舞台に登場します。
客席からは拍手が起こりました。

全てハプニングに見せての、全部が計算上のこと。
まだ21歳だった私は「やった感で一杯」でした。

こんなタブ-なことばかりチャレンジしては喜んでいた頃を今思い出してみると、懐かしくもあり、新鮮です。

もう一度、今の自分にこんなことができるのか・・・何かで試してみたいです・・・いや、ホント。
三枝さんのコピ-から脱却する為、私が選んだ道は「何ちゅう司会者や」と、呼ばれるような司会ぶりです。

つまり、司会がいくら上手であっても、余興の仕事は増えたとしても、決してTVでは売れないということ。
売れる為の戦略として、「司会者がやってはならないタブ-」を私はあえてやるようにしました。
「変な司会者がいる・・」そう噂されるような司会者を目指したのです。

まずはメインの歌手が着替えの間、つなぐ漫談。
それまでは、たわいもない漫談をしていましたが、逆に歌手が嫌がる漫談をするようにしたのです。

普通の司会者は、着替えの間、メイン歌手の裏話として、食事の好みや、趣味などをして、来ているファンを盛り上げます。
でも私がやったネタとは・・・

「ホントにこんなことを喋っていいものかと思いますが、ここだけの話として聞いてください。実は、スタ-とか呼ばれている歌手の方でも人間です。皆さんと同じように、思わぬ時『プッ!』と、オナラしてしまうことがあるのです。
それも楽屋でならいざ知らず、舞台で歌っている時に『プッ!』と、屁をする時があるんですよ。
そんな時、客席から見ていると、たいがいわかります。歌手の方の動きをよ~く見ていれば。
歌手の方が歌っている時、急に動き出す時がありますよね。センタ-で歌っていたと思ったら、急に舞台の端に動き出したりする時・・・。
だいたいあの時は『ああ、屁をしたな』と、思って間違いないです。
歌ってる最中に屁が出てしまい、『うわっ!臭い屁してもた。こんなとこにいてられへん。あっちへ行っとこ』とね。
それからオ-ケストラの指揮者の方の動きを見ていてもわかります。
それまで、客席に背を向けて指揮棒を振っていたのに、急に歌手の方を向いて指揮棒を振り始めた時。
『臭いなぁ。何すんねん!』と、指揮棒を振っているフリをして、空気をはらってるんですわ」

こんな話を着替えの間にされては、次に登場してまともに歌うことはできません。
案の定、私の司会の仕事は減って行きましたが、ラジオの公開番組の司会や、ロックコンサ-トの司会が転がり込むようになりました。




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