萩原芳樹のブログ
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明日というか31日の午後4時から、関西テレビで「団塊ドットコム」という特番がある。
気をつけて見ていただきたいのだが、スタジオのお客さんの反応が実に良い。 実は、私がお願いして来ていただいた方々で、「らん子シリ-ズ」の芝居を観に来てくださっていた大切なお客さんである。 50代半ばのオバサン達だが、本当にリアクションが良かった。 そんなお客さんに乗せられて、出演者も、ついついテンションが上がっているのを気をつけて観てもらえばわかると思う。 良い観客は、良い芸人を育てる。 悪い観客は、成長しようといている芸人を潰して行く。 今、劇場に足を運ぶ観客については疑問に思うことがある。 昔の大阪のお客さんは、常に優しかったような気がする。 そんな人たちが年齢を重ねて、私の芝居に足を運んでくださっている。 感謝の気持ちで一杯だ。 でも、いつからそんなデタラメな客が増えてしまったのだろうか。 私自身が、何げなく仕事でやっていることにも責任があるのかも知れない。 そんなことが気になってしまって、眠れなくなった夜です。 PR
昨日は、パワフルなお二人から元気をもらった。
私は、自分より年上でバイタリティあふれる方を見ていると元気が出る。 桑原征平さんに出逢った時は、必ず元気をもらえる。 昨日の場合は、征平さんではない。 まず、お一人目は「せのや いちびり庵」という道頓堀、戎橋、千日前にチェ-ン店を持たれている「大阪面白みやげ」の社長である。 この方の行動力は、積極的も度を超えているから素晴らしい。 商品化になるかは別として、私発案の大変バカバカしい「大阪みやげ」を提案して話を聞いてもらった。 この方と話をすると、何でも実現できてしまうような気がするから凄い。 お二人目は、キタとミナミにお店のある「味奉行」というギョウザ屋の宇野山社長である。 宇野山社長は、ギョウザ店の社長でありながら、現役のミュ-ジシャンでもあり、役者でもある方だ。 グル-プサウンズ全盛の頃、「リンド&リンダ-ス」のメンバ-だった方。 日本でエレキベ-スを最初に持ったという人で、まだ売れてなかった「タイガ-ス」の面倒も見て来たという方。 その頃の大阪の音楽界や、懐かしい昭和の話をいろいろ聞かせてもらった。 美味しいギョウザも10年かけた研究の末に出来たというから凄い。 ちなみに、太融寺の本店の表には、私がまだ20歳の頃の写真が今だに飾ってあるので、行かれた方は是非チェックを。 そんな元気をもらった翌日、私は腰の痛みで歩くのもつらい。 テニスのやり過ぎだ。 ホントに私はバカだ。
「R-1ぐらんぶり」が、現在二回戦で戦っている。
「R-1」は、そもそも地味に関西ロ-カルでスタ-トした企画。 こんな化け物になってしまうとは予想もつかなかった。 私は正直、芸人に採点をつけることが大嫌いだ。 そもそも多数決で、芸人の魅力が評価されて良いものかどうか。 芸人は勿論、ウケなければ命取りになる。 しかし、数少ないコアなファンあってこそ、芸人の魅力があったりする。 かつて売れて行った過去の芸人さん達は、多数決の笑いではなく、コアなファンを掴んで、売れっ子になったという例が多い。 TV局では、「使えないなぁ」と、言われていた芸人さんこそ大スタ-になった。 ツ-ビ-トが、そうであったし、コント55号もそうだった。 今、この国の「お笑い事情」は、芸人を国民みんなで潰している。 政治も同じだと思う。 民主党政権になってから、みんなでパッシング。 ただただ足を引っ張っているだけで、前には向いていない現状。 この国は、そもそも農耕民族であるからして、他人のしたことには口を出すが、自分は何もしない・・・そんな奴らが多すぎる。 政界は、私の手の届かない場所なので仕方ないが、「お笑い」まで、そんな外野席の国民に潰されてしまっては、どうしようもないと思う。
今日、懐かしい昭和の芸人仲間と会った。
「順ちゃんに相談があるのやけど」 と、連絡を受けて。 聞けば36年ぶりにコンビを復活して活動したいらしい。 でも、今更漫才をするつもりはないので、どんなパフォ-マンスデュオにしようかという相談である。 このコンビは伝説のコンビで、当時世間が騒ぐ渦中に、突然のコンビ解散。 その後、どちらもア-チストとして活動を続けて来た素晴らしい二人だ。 「厳しい道とは思うけど、出来るだけのことはするから頑張ってや」 そう言って別れたが、私よりも年上で、もう還暦も過ぎてると思われるその友人の目は、ランランと輝いていた。 コンビ復活イベントの詳細が決まれば、そのコンビの名前やイベントの日時を発表しますね。 それにしても、還暦過ぎて新しいことを始めようというパワ-は凄い。 私も見習わなければ・・・。
「男はつらいよ」第15作「寅次郎相合い傘」での1シ-ンです。
キャバレ-歌手のリリ-が、住む家を無くして、葛飾柴又の寅さん宅にご厄介になることに。 嬉しくてたまらない寅さんですが、ふとしたことでリリ-とケンカをしてしまい、家を出てしまいます。 でも、いざ家を出たものの家に戻りたくて仕方がありません。 お寺の鐘撞き堂の下で暫くいた訳ですが、雨が降って来ます。 ブラリと家に戻って来る寅さん。 「どうしたい?」 「何が?」 「偉そうな口をきく変な女がいただろう?」 「ああ、リリ-さんかい。リリ-さんなら、キャバレ-の仕事があるからって行ったよ。もうそろそろ帰って来る頃だと思うけど」 寅さんは番傘を持って、柴又の駅までリリ-を迎えに行きます。 そこに帰って来るリリ-。 「あら寅さん、迎えに来てくれたの?」 「バカ言うんじゃないよ。散歩してただけだ」 「雨が降ってるのに傘さして散歩?」 「悪いかよ」 「だって濡れるじゃない」 「濡れて悪いかよ」 「だって、風邪ひいちゃうじゃない」 「風邪ひいて悪いかよ」 「だって、寅さんが風邪ひいちゃったら、つまんないんだもん」 「寅次郎相合い傘」というタイトルにもされているように、名シ-ン、名セリフです。
昭和40年代のキャバレ-全盛期時代には、地方のキャバレ-まわりを仕事とする歌手の方々が多く存在していました。
「男はつらいよ」シリ-ズのリリ-がそうですが、実際のキャバレ-歌手について、お話します。 私が、キャバレ-まわりの芸人をしていた頃、赤坂のバ-で働いていた女の子から、相談がありました。 「別に、売れなくてもいいから、歌だけを唄って生活できれば」と。 早速、私はキャバレ-の仕事を斡旋している自分の事務所に紹介を。 その子は、東北から歌手を目指して出て来て、コロンビアレコ-ドの全国大会に二位になったという実績があり、プロの歌手としても充分やって行ける子。 事務所は「いい子を紹介してくれた。有り難う」と、私にわずかながら礼金をいただきました。 「そうだ、この子の芸名をつけてやってよ」 そう言われて、確か「京かほり」という芸名を私がいい加減につけたのを記憶しています。 事務所は、とりあえずレコ-ドを一枚プレスして、レコ-ド歌手という肩書きで、地方のキャバレ-に売り込むことになったようです。 それから半年後、確か秋田のキャバレ-で、私の数日後に、その子が出演することを、店の張り紙で知りました。 てっきり、すぐに地方まわりの歌手を辞めたと思っていたのに、ドサまわりの歌手になりきっていることを知り、なんだか複雑な心境になったのを覚えています。 私もそうでしたが、キャバレ-まわりの歌手の方の荷物は大変です。 オ-ケストラの譜面を何曲か束ねるだけで、百科事典ほどの重さ。 それに、着替え用も含めた何着かの衣装。 靴も何足も持って行きます。 今でも、旅行の大きなトランクをゴロゴロ押している人を見かけると、「もしや、キャバレ-歌手?」と、勘違いしたりしてしまいます。 「京かほり」さん、それからどうしたのでしょうか・・・。 単なる歌好きなオバサンとして、幸せな日々を送ってくれていたら・・・と、思います。 |
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