萩原芳樹のブログ
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ビ-チテニスなる競技があることをご存じだろうか。
砂浜でやるので、勿論ノ-バウンドで打ち合う。 ネットは通常のテニスよりも高いらしく、いわば「ボレ-合戦」のような競技らしい。 来週、近くのビ-チで大会があるようなので、見に行って来ようと思っている。 私は、どちらというとボレ-ヤ-タイプなので、ひょっとしてテニスよりも、ビ-チテニスに向いているかも知れない。 ビ-チバレ-は、すっかりメジャ-競技になってしまったが、私が始めた競技に「ビ-チ相撲」というのがあった。 単純に砂浜で相撲するだけなのだが。 関西テレビを中心として、西日本6局共同の制作で、各地のビ-チで予選をして、須磨のビ-チで決勝大会をやった。 出場資格は、「女の人なら誰でもOK」 いざ初めてみると、これが奥深い相撲であることに気付いた。 何しろ砂で足を取られるので、普通の相撲とは違った新スポ-ツ競技になるかとさえ思った程だ。 しかし、僅か3年で「ビ-チ相撲」は幕を閉じることになった。 主催者側の関西テレビから、「予算もかかるし、危険だから」という理由である。 始める時は、ああでもない、こうでもない・・・と、みんなで議論をした上で大会をスタ-トし、運営して行くことも大変だった。 でも、お偉いさんの「やめましょう」のひと言で簡単に終わってしまう。 そんなお偉いさんに、「だったら、あんた何かを始めてみなさいよ!」と、言いたかった。 PR
テンダラ-の白川君が、須磨のビ-チにタコヤキ屋をオ-プンさせたのが話題となっている。
白川君は、実は料理にこだわりを持っていて、うどんも自宅で手打ち式のモノを作ったりするらしい。 今日、暇だったので須磨まで行ってみようと思ったが、何しろ暑すぎる。 タコヤキ食べて、熱中症で倒れている場合ではないので、辞めることにした。 この夏いっぱい営業しているようなので、少し暑さが和らいだら行ってみようと思う。 でも、暑さが和らいだ頃は、すでにビ-チも終わりか?
モノの起源に関して、よく考えることがある。
例えば、最初に蟹を食べた人は、どんな理由で蟹を食べるいきさつになったのか等と。 あんなモノ、到底食べられるモノとは思わない筈だ。 笑いの起源についても考えてみた。 人が笑うことはごく自然なことなので、太古の昔からあっただろう。 美味しいモノに巡り会えた時、人は笑っていたかも知れない。 でも、「人を笑わせる」というのは、いつから始まったのかを考えてみた。 私が推測するに、石器時代にはすでに笑わせるという習慣があったと思う。 例えば、猟に出かける。 妻子はお腹を空かして待っているのだが、その男はドン臭くて猟が下手だったとする。 「オラ、今日も何の獲物も捕ることができなかっただ」 妻子は空腹で辛い思いをしながら落胆する。 子供は泣き始める。 そんな時、 「こ~んなイノシシを見つけたのだがな」 と、ブホブホとイノシシのモノマネをすると、泣いていた子供が笑い始めた。 それからは猟の苦手な父親は、動物のマネをしては、しばし空腹で落ち込む家族を笑いで癒していた。 という、私の勝手な想像。 「笑い」というのは、不幸のドン底の時でも、しばし忘れさせてくれる神様の贈り物なのかも知れませんね。 そんな意味で今、東北へ笑いを届けに行っている人達は本当に素晴らしいと思う。
宮尾すすむさんが亡くなったニュ-スを聞いて驚いた。
宮尾さんは、私の若き頃、歌謡ショ-の司会のお手本であった方だ。 私が、「アグネスチャン」「キャンディ-ズ」等の司会をしていた頃、宮尾さんは、「森進一」さんの司会をされていて、 「オマエ、宮尾さんの司会を見て勉強しろ!」と、叱られて見に行ったものだった。 宮尾さんの司会は、客いじりが大変上手で、常に爆笑であったことを記憶している。 その後、宮尾さんがテレビで活躍されるようになり、私とコントを演じたこともあった。 プ-ルサイドで、二人がブル-スリ-もどきに戦うというコントで、オチは私が「アチャ-!」と、後ろにジャンプして勝手にプ-ルにはまってしまうというコントであったが、ネタフリ役の宮尾さんの方がウケていたことを思い出す。 努力の人だった。 事業に失敗してから、タレントの道に進み、常に努力されて地位を勝ち取った方であった。 合掌。
今日は、大阪シナリオ学校で講義の日であった。
今回のテ-マは、私なりの「コント・コメディの書き方」について具体的に一時間半、講義をする。 それにしても、今回の生徒さん達は特に全員熱心に話を聞いてくれるので、私の弁にもついつい熱が入ってしまう。 講義が終わると、生徒さん達と近所の居酒屋へ移動しての懇親会が始まる。 出来の悪いクラスは、ここでくだらない質問をして来たり、勝手な私語を繰り返したりする訳だが、今回の生徒さん達はそこでも熱心に話を聞いてくれるので、思わぬことまで得意げになって話してしまった。 それは、「迷った時の人生の選択には二種類ある」という話。 つまり、人生の岐路で迷った時、右を選ぶか左を選ぶかという横の選択と、もう一つは「やるかやらないか」という縦の選択があるということ。 左右の選択は、じっくり考えて悩まなければいけない。 しかし、やるかやらないかという縦の選択は、迷うこともなく絶対にやるしかないという話である。 だから、好きになった女性が出来たら、悩むことなく告白することを選び、散々ふられた話もした。みんな笑ってくれていた。 若いのに失敗を恐れて、縦の選択で尻込みをする人が多い。特に最近は。 しかし、人間の年輪って、その体験の数だけ成長して行くという説法じみたお話を長々としてしまったが、みんな熱心に聞いてくれていた。 そんな話をしながら、私はふと思った。 「最近、そんな選択で悩んだことがないよなぁ」と。 年か? いや、年のせいにはしたくはない。 だとしたら、どうすればそんな選択に迷えるようなチャンスに巡り会える日が来るのだろうと考えた。 行動力だ。 結論はすぐさま出るのだが、今更この年で何の行動を開始したら良いのかについて考えてしまった。 とりあえず明日は、テニスで思いっきりハッスルプレ-をしよう・・・と、バカな脳みそがそう命令してくれたので、それでとりあえずは今夜は手を打っておくことにしようか。
出版予定の私小説に、昔やっていた私の最低の漫談ネタが出て来る。
「実は、ここで芸能界の秘密をこっそりと話することにします」 と、客を乗り出させておいて、 「実は歌手の方も、オナラをすることがあるのですね。それが自宅や楽屋ならまだしも、舞台で歌っている途中に、プッと出てしまうことがあるらしいのですよ。緊張屁という奴ですかね。オナラしてしまった歌手の人は思う訳です。うわっ!くさっ!こんな場所にいてられへんわと。よく歌手の方がステ-ジで歌っている間に、場所を移動することがあるでしょう。あの時はたいがいオナラして、その場所にいられなくなったと思って間違いありません」 全く最低のくだらない漫談ネタですが、今回の私小説のラストシ-ンに、この漫談が出て来ます。 つまり、若き日の私が、芸能生活最後の舞台で披露したのが、このネタでした。 バカですよね。よりによってオナラのネタで芸人生活にピリオドを打った訳ですから。 最後のステ-ジということで、わざわざ来てもらったスタッフの人達が、 「心配したよ。最後に芸能界の秘密を喋るなんて言い出すからさ。何を話するのかと思ったら、アハハ、やっぱり君らしいなぁ」 そう言われて、 「どうせ、僕みたいな人生、オナラみたいなもんですからね」 そう私小説は締めくくっている。 今、改めて考えると、本当に自分って、オナラみたいな奴だよなぁと思った。 小さな毒を巻いては、その場限りの笑いだけを頼りにして生きて来た自分について、今更ながら情けない気もするが、誰も誉めてくれないので誇りにすることにしようか。 |
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