萩原芳樹のブログ
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ヘンリ-が夜な夜な歌っているという相生橋へと、らん子は向かった。
橋の欄干にもたれかかるようにして、地べたに座ってギタ-を抱えて歌っているヘンリ-の姿があった。 ヘンリ-と別れてから4年になる。 らん子の目には、やつれ果てたように見えたが、その歌声には艶があった。 「♪私は今日まで生きていました・・・」 ヘンリ-は、声を絞り出すように歌うが、道行く人達はみんな素通り。 らん子が、ヘンリ-の傍に近寄って行った。 そんならん子に気付いていないのか、ヘンリ-は夜空を見上げて歌い続ける。 「ヘンリ-!」 らん子が思わず呼びかけたが、ヘンり-の方は相変わらず夜空を見上げたまま歌い続けている。 「どうしてるかなと思うてたけど、元気でやってるんやね」 らん子は、まるで置物に向かって喋るかのように続けた。 「聞いたのやけど、住む家もない暮らししてるてホンマ?」 らん子の言葉が聞こえていないのか、夜空に向かって歌い続けるヘンリ-。 「毎日どこで寝泊まりしているの?まさか公園なんかで寝泊まりしているんやないでしょうね」 ヘンリ-の弾くギタ-の手が止まった。 「ヘンリ-!らん子よ!いやネネよ!まさか私のこと忘れた訳やないでしょうね」 ヘンリ-は、夜空を見上げたまま呟いた。 「姉さん、今の唄が気にいらなければ黙って行ってくださいな。それとも気に入ったのなら、そこのカンカンの中にいくらでもええから銭入れて行ってもらえますか」 座り込んで歌っているヘンリ-の傍に、空き缶が置いてあった。 昭和47年のこの時代、こういったストリ-トミュ-ジシャンはまだ存在していなかった。 昭和43年頃、街角でフォ-クソングを歌うのが流行していたが、あれは戦争反対運動の「フォ-ク集会」というやつで、金銭目的ではない。 それを考えれば、このヘンリ-の行為は時代の先取りをしていたことになるが。 4年ぶりに再会したヘンリ-から他人行儀な扱いを受けて、らん子は悲しくなった。 ヘンリ-の言葉を受けて、財布から千円出して、そっと空き缶の中に入れた。 空き缶の中に入った千円をすぐさま確認したヘンリ-は、いきなり元気になった。 「千円も?有り難うございます。サ-ビスに、もう一曲歌いますわ」 と、先程とは別の曲を歌い始めたのだが、 「さっきの曲が良かったわ。もう一度唄って。何ていう曲?」 「曲のタイトルはまだないです。昨日作ったばかりの曲ですから」 「ええっ?ヘンリ-のオリジナル曲?凄いやんか、ヘンリ-!」 ヘンリ-がまた夜空を見上げながら先程の唄を歌い始めた。 「♪私は今日まで生きて来ました・・・」 ヘンリ-の唄を聴きながら、らん子がポツリポツリと語り始めた。 「ヘンリ-、あんたと暮らしたあの部屋・・・今も私一人で住んでるの」 聞こえてないのか、ヘンリ-は夜空を見上げて歌い続ける。 「ヘンリ-、あんたのモノは全てなくなったけど、あんたの枕だけは置いてある・・・たまには自分の枕で寝てみてもええのと違う?」 その時であった。 ギダ-を爪弾いていたヘンリ-の手が止まった。 そして、初めてらん子の顔を見たのであった。 「ヘンリ-!」 らん子は、初めて自分を見つめてくれたヘンリ-の視線に涙が出そうになった。 PR
笑楽座の楽屋に、人気者の「フレンド2」の二人がやって来た。
「おはようございます!」 楽屋の連中が挨拶すると、テリ-はカッコつけたまま、 「ウ~スッ!」と。 「ウ~スやない!おはようございますやろ!」 ぴん子が注意するが、テリ-は小バカにしたように半笑い状態である。 寄席の楽屋では、その挨拶の仕方で上下関係がわかる。 つまり、後輩は先輩に対して「おはようございます」と、90度頭を下げて挨拶するが、一方の先輩は軽く会釈程度の挨拶で良い。 笑楽座に出るようになって一年にも満たない「フレンド2」は、当然先輩芸人達にキチンと挨拶しなければならないのだが、テリ-は自らの人気で天狗になっていた。 「今、舞台に上がってるのは誰?俺等TVの仕事にすぐ行かなアカンから、さっさと下りて来てもらいたいな」 テリ-の生意気な態度は続く。 「あのな、笑楽座にはな、みんなそれぞれ持ち時間があって、その持ち時間を大切に芸をやってるのや!自分等の劇場みたいなこと言うのはやめ!」 ぴん子が、またも怒り出したが、 「そうや。支配人に言うて来よう」 と、テリ-は、無視して支配人室に行ってしまった。 「ぴん子姉さん、すみません。相方のせいで姉さんを怒らせてしまって」 テリ-の相方のミックが、深々と頭を下げて謝った。 「別にあんたに謝ってもろうても仕方ないがな。そやけどミック、あんたのナマリはなかなか取れへんなぁ」 岡山の田舎出身というミックはかなりナマリがひどかった。 関西で漫才をするのに、大阪弁のイントネ-ションを喋られないというのは、かなりのマイナスである。 ましてや、ボケ役ならまだしも、ツッコミ役の方が変なナマリがあっては漫才として成立しにくい。 「テリ-に、そのナマリ何とかせぇと、いつも怒られるんですけど、これでも最近はかなりナマリ取れたと思うんですよ」 ミックがメチャクチャなまりながら訴えた。 楽屋のメンバ-は、ミックが可哀想なので本当のことを言えない。 「それはそうとミック、あんた等ブラックタイガ-スのメンバ-やったんやな」 らん子が思い切って聞いてみることにした。 「麻薬で捕まったヘンリ-のことやけど、その後どうしてるのか知らん?」 「知んねぇなぁ」 またひどいナマリでミックが答えた。 それから数日後のことであった。 ヘンリ-の姿を見たという芸人が、らん子にそのことを伝えた。 ミナミの相生橋のたもとで、ギタ-を弾きながら道行く人から金をもらっていたというのである。 らん子は行ってみることにした。
明日、全国いっせいリリ-スの「萩原大介」のアルバム、タイトルを間違っていました。
正しくは「風景の唄」でした。 訂正致します。
今日は、朝7時に起きて猛暑の中、東京へ行って来た。
初めて、新宿にある吉本本社にオジャマした。 この場所は、私にとっては思い出深い場所である。 本社のすぐ隣りに「ゴ-ルデン街」と呼ばれる飲み屋街がある。 いかがわしい店も多いのだが、映画関係者の集まる店も多かった場所だ。 薄汚く狭い店内で、映画監督と朝まで議論をしたこともあった。 そして、終電がなくなり、当時住んでいた浦安までのタクシ-代がないので、傍の花園神社の境内で始発まで待っていたこともあった。 そんな思い出深い場所に、東京吉本の本社があった。 小学校をそのまま本社として使っておられる。 正直癒される空間であった。 (近所のゴ-ルデン街や、花園神社もあって余計のことではあるが) 帰りの新幹線で、偶然に近藤正臣さんと出逢った。 「近藤さん!ご無沙汰しています!」 私が声をかけると、近藤さんは白髪の頭を深々と下げられて、 「こんな、おじいちゃんになってしまいましたよ」と。 何だか不思議な一日であった。 「懐かしさ」と「癒し」とが、まるでスクランブル交差点のように私に襲いかかって来た一日だった。 ところで、話は変わりますが、「女芸人らん子のブル-ス」の2と3の幕前でミニライブをやっていた「萩原大介」を覚えていらっしゃるでしょうか? あの「萩原大介」のアルバムが9/8に全国発売されます! 「風景の歌」というタイトルです。 是非お近くのレコ-ド店にて、お求めください。
♪トコトントコトントコトンベンベン・・・
笑楽座に下げ囃子の音が鳴り響く。 昭和47年春のことである。 三味線漫才の「おまん千吉」が、ブツブツ言いながら、舞台を下りて楽屋に戻って来た。 「アカン!客はみんなフレンド2目当ての若い女の客ばっかりで、三味線漫才なんか全く興味ない顔してけつかる!」 着物姿のおまんが、語気を荒立てて怒り狂っていた。 この日の笑楽座は、ほぼ満席状態であった。 しかし、客席を埋めている客は、若い女性ばかり。 全員が今売り出し中の「フレンド2」というコンビのファンであった。 「フレンド2」は、最近寄席の舞台に立ったばかりの若手コンビで、以前はグル-プサウンズとして活動していた二人であった。 GSのステ-ジは、歌もさることながら、MCの喋りで盛り上げるのも大切となる。 「フレンド2」の「テリ-」は、元ボ-カルであり、GS時代もその軽妙な喋りで人気があった。 一方相方の「ミック」はベ-スを担当していて、岡山の田舎出身ということをGS時代から、テリ-にいじられている木訥としたキャラの青年であった。 そんな二人が、GSブ-ムも下火となり、グル-プも解散してしまったことにより、漫才に転向して来た訳である。 当然GS時代からの「おっかけファン」は、これまで来たこともない寄席に足を運ぶようになる。 笑楽座としては、フレンド2が出演すると満席になるのでウハウハなのだが、問題は他の出番の芸人さん達であった。 客は全員フレンド2のみが目当てである。 そんな客の前で、いくら熱演をしても、クスリともウケなかった。 特に、おまん千吉のような三味線漫才は、GSファンからしてみれば、単なる時代遅れのオバサンとオジサンでしかなかったのである。 この「テリ-」と「ミック」が以前結成していたグル-プサウンズが、「ブラックタイガ-ス」という名のグル-プであった。 そう。あのヘンリ-が所属していたグル-プである。 4年前、ブラックタイガ-スが、これからという時に、ギダ-のヘンリ-が麻薬で捕まってしまった。 その後活動を続けるも、しっくり行かず結局は解散してしまったのであった。 世の中は広いようで実は狭いものである。 らん子は、フレンド2の二人が、ヘンリ-と同じバンド仲間であったのを知ってはいたが、何も聞こうとはしなかった。 ヘンリ-は、その後どうしているのやら・・・気にはなっていたが・・。
さて、「女芸人らん子のブル-ス」一昨年の5月に公演をさせていただいたシリ-ズの二作目に入りたいと思いますが、まずはその時代背景から。
舞台は、一作目から4年後の昭和47年に移り変わります。 昭和47年の上方演芸界は、従来の上方演芸界とは違った新しい時代に突入していました。 TVでは「ヤングお-お-」が大人気番組となり、仁鶴・三枝・やすしきよしといったお笑いのスタ-が次々と誕生します。 続いては、コメディNO1、カウスボタン、パンダもスタ-の座に。 これまでの関西ロ-カルの演芸番組といえば、寄席でウケている芸人さん達がTVに登場する・・・というスタイルでした。 しかし、この頃から逆転して行きます。 つまり、TVで活躍しているお笑いスタ-が寄席に出ると客が集まるという構図に変化して行く訳です。 ゆえに、寄席で地力をつけて行くよりも、TVで華々しく売れた方が勝ちという時代に。いわば、今の路線の始まりと言っても良いでしょう。 芸もさることながら、お笑いにも「ビジュアル」が大切になった時代が到来した訳です。 グル-プサウンズブ-ムが終わり、カッコいい若者が楽器を捨てて漫才に転向して行ったりしたものでした。 「らん子2」は、そんな時代の物語であります。 |
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