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萩原芳樹のブログ
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さて、漫才のテ-マソングの話に戻りますが、テ-マソングをやるのは音曲漫才ばかりかと思いきや、楽器も持っていないのに、テ-マソングをアカペラで歌っていたコンビがいました。

昭和47年当時、松竹芸能に所属していた「横中バックケ-ス」というコンビです。
バックケ-スと聞いただけでわかる人は、かなりのお笑いマニアですね。

実はこの「横中バック」という人物、のちに「西川のりお」として吉本所属になります。
そうです。あの「のりお」さんが今のコンビを組む前、別の相方と松竹芸能で漫才をされていたのです。

松竹芸能は、吉本と比べテ-マソングを歌う音曲漫才さんが多かったです。
「松竹芸能で漫才をするからには、俺達もテ-マソングが必要や」
本気でそう思われたのかどうか知りませんが、楽器もナシでテ-マソングを歌っていました。

どんなテ-マソングかと申しますと・・・
「♪漫才は~ 楽しいが~ お客さんをちっとも笑わせないで ゴメンね」
音頭調で、お客さんの手拍子を誘い、最後の「ゴメンね」だけ、後ろで手拍子していた、ケ-スさんも前に出て尻を出してポ-ズ。

2番もありました。
「♪お父しゃま~ お母しゃま~に 買ってもらった背広を着ても テレビやラジオにちっとも出られないで
 ゴメンね」

名付けて、「漫才は楽しいなソング」と、本人の弁。

その頃、B&Bだった私は、花月の舞台の合間に時間があると、バックケ-スの舞台を見に行ってました。
単純に面白すぎたからです。
「漫才は楽しいなソング」を初めて見た時、私はヘタッて笑い転げました。
「何というバカバカしい自虐的テ-マソングや」と。
でも、やっていた場所は、新世界の寄席で、客は昼間から酔っぱらいの客がまばらにいるだけ。
笑っているのは私一人。

そのうち、松竹芸能から呼び出しを受けるバックさん。
「オマエ等、漫才は楽しいなソングだけはやめろ!それさえやめたらTVの仕事もっとやる」と。
でも、そこはのりおさんです。
「あんなこと言われたから、余計に続けたるねん!」と。

当時、私とバックちゃん(のりおさん)は、大の仲良しで、週の半分位はどちらかの家に泊まる程の仲でした。
私より一つ年上のバックちゃんは、漫才のことをよく知っていました。
姫路にいた私が観ることのできなかった芸人さんの芸を分析しては、私に解説して教えてもらったものです。

私が吉本をやめて東京に行った時も、本気で心配して電話をもらいました。

そして、私が「お笑い作家」としてデビュ-できたのも、のりおさんのおかげ。
その以前から「初代B&Bの団順一は凄い奴やった」と、あちらこちらのTV局で言ってもらったおかげで、私は作家デビュ-して、いきなり「ひょうきん族」の構成作家にしてもらえたのです。

最近は随分とお会いするチャンスもないのですが、またいつかあの頃のことを思い出して、二人で飲んでみたいものです。
「バックケ-スは最高やったなぁ」と・・・・。
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では、「アメママン」とはいったい何だったのかについて、お話します。

今から20数年前(かなり古い話ですが) 関西テレビの深夜番組で「今夜は眠れナイト」という番組がありました。
サブロ-シロ-さん司会で、ダウンタウンが「4時ですよ~だ」を始める前、初めてレギュラ-コ-ナ-を持っていたコント番組です。

その番組の中に「パペットレビュ-」という、人形劇コントのコ-ナ-がありました。
7分程度のコ-ナ-で、人形が不条理コントをして、声のアフレコは吉本芸人さん達がやるというもの。

そこに「アメママン」が毎週登場していたのです。
アメマバッチを見た方はわかると思いますが、奇妙な頭巾にマント姿の人形で、勿論その声をやっていたのは間寛平さん。
どんな人形コントかと申しますと、例えばこんなスト-リ-・・・

その頃、「ホテルニュ-タニ」に続き、「ヒルトンホテル」が大阪進出を計画しているというニュ-スをネタにした人形コントで・・・。
「東京もんのホテルの奴等が次々と大阪に来る」というので、大阪の古いホテル達が集まり、何とか追い返そうとします。
擬人化の話なので、それぞれのホテルが人形キャラになっています。
その中で大阪ホテルのリ-ダ-的存在が、中田ボタンさん声の、有名な古いビジネスホテル。(名前は伏せておきますが)
「東京もんのホテルなんか、いわしてもたれ!ぶっちゃっそ-!」とボタンさん声のガラの悪いホテルは意気込みます。
しかし、オシャレで金のある東京ホテルが来ると、タジタジに。
「誰か助けてくれぇ~!」
その声で、「アメママンのテ-マソング」が流れて来ます。

「♪またも出ました アメママン いつもニコニコほがらかに・・・(タイヘイトリオさんのテ-マ)」
人形のアメママンの登場です。
「♪アメマさん」
との呼びかけに、寛平さんの声でアメママンの動き。
「ア~メ~マ~」
人形は全部いっせいにズッコケます。

そして、ここからは毎週お決まりの語呂遊び三連発が。
「アメマさん、温泉に行くなら?」
(アメママン)「ア~リ~マ~」(アメマのニュアンスで叫び)

「アメマさん、西宮の手前の町は?」
(アメママン)「アマ!」

「アメマさん、ウンヒちびったのと違いますか?」
(アメママン)「ア~リャ~マ~」

こんなくだらないやりとりがあって、それからアメママンのすることといえば、ボケ倒してばっかり。
最終的には、その場をメチャクチャにするだけで、何の解決もせずに去って行きます。

これが「アメママン」の原点でした。
深夜に全くくだらない人形コントなんかをしていたのですが、結構評判になりました。
そこで、寛平さんは思ったのでしょう。
「これはイケる!」と。
番組グッズは、普通TV局が作るものですが、寛平さんは悪徳業者に「儲かりますよ」と、騙されて膨大な量のアメマバッチを発注してしまったのです。
しかし、この時すでに番組終了が秘かに決定しておりました。
寛平さんは、そうとは知らずに大儲けできるとアメマバッチにかけていたのです。

結果、アメマバッチが出来上がった頃には、すでに番組は終了していて、売れる筈もありません。
それから大量のアメマバッチの在庫を抱えて借金に苦しむ寛平さんのお話は、皆さんもご存知だと思います。

ホントに人のいい、マヌケな方ですよね、寛平さんって。
その寛平さん、今頃は太平洋のド真ん中で大波と闘いながら、一路アメリカ大陸に向かって、ヨットを進められていると思います。
還暦をはさんでの「地球一周ラン」という人類初の大冒険。
寛平さん、あなたはカッコ良すぎます!


昨日はプロクをサボってしまい、失礼致しました。

昨日、京橋花月3月公演「お茶子のブル-ス」の舞台セットの打ち合わせを終えました。
昭和44年の「なんば花月」楽屋と、「うめだ花月」楽屋をプラスして2で割ったような昭和楽屋になりそうです。
勿論、当時花月を見に行かれた方でも、楽屋を拝見できるなんてことはまずなかったでしょうから、舞台セットを見るだけでも、一見の価値があると思います。お楽しみに!

さて、昭和44年は楽器を手にして漫才をするという「音曲漫才」が主流であったことを、お話しましたが、
音曲漫才には必ずと言っていい程「テ-マソング」がありました。

かしまし娘さんの「♪ウチ等陽気な かしまし娘・・・」と、聞けば、「ああ、あれか」と思われる方も多いと思います。
そんな「漫才のテ-マソング」について、お話することにします。

かしまし娘さんのテ-マソングは、オリジナル曲で、何と3番まであり、フルコ-ラスで歌うと5分近い曲。
そんなテ-マソングをフルコ-ラスで歌っていると、漫才する時間がなくなってしまうので、かなりカットして、
漫才の始めと終わりに歌われていましたが・・・。

他に、テ-マソングの段階で、すでに大爆笑を取られたいた方もいらっしゃいました。
「暁伸 ミスハワイ」という松竹芸能の大看板コンビで、ご主人の伸師匠はアロハシャツ。奥さんのハワイ師匠はム-ム-というスタイルで登場して、
「♪これは素敵なチョイといかす・・・」と、伸師匠がギタ-片手に歌うと、奥さんのハワイ師匠がギロを持って、
「ア~イ~ヤ~」と、巨大なヒップを客席に向けてフリフリされるのです。
漫才始める前に大爆笑というテ-マソングでした。

他には、有りモノの曲をアレンジされてテ-マソングにされていたコンビも多かったです。
フラワ-ショ-さんは、「道頓堀行進曲」 三人奴さんは「三味線プギ」
先日ブログに書きました「Wヤング」さんは、「聖者の行進」で、「♪oh皆さん、お聞きよ デコボココンビ・・・」と、千日劇場ではやっておられました。

この漫才のテ-マソング、「いったい、いつ誰が始めたのか・・・」私の疑問でありました。
ABCの番組「ナンバ壱番館」の取材で、この疑問が解決されました。

それは、「レッツゴ-3匹」「ザ・ぼんち」の師匠であり、「サブロ-シロ-」の大師匠であった「タイヘイトリオ」さんだったのです。
タイヘイトリオさんは、洋児・夢児・糸児という男一人に女性二人のトリオ。洋児師匠の奥さんがアゴの出た夢児師匠で、糸児師匠は夢児師匠のお姉さんという関係のトリオ。

子供の頃から夢児師匠は天才少女浪曲師として人気があり、その後漫才に転向された時、ご亭主の洋児師匠が「他にはない新しいモノを」と、テ-マソングを発案されたそうです。

「♪またも出ましたロマンショ- いつもニコニコほがらかに・・・」と、聞けば「あれか」と、思い出される方も多いでしょう。

夢路師匠の小節のまわし方は、独特の魅力があり、あの「都はるみ」さんが子供の頃お母さんに連れられて、
「この師匠の小節のまわし方を覚えるのや」と、随分参考されたことが、都はるみさんの自叙伝にも書かれているそうです。

都はるみさんが、夢路師匠の節まわしをマネたように、実は私もこの「タイヘイトリオ」さんのテ-マソングをそっくり頂戴して、TVで随分やってしまったことがありました。

それは何かと申しますと、あの「間寛平」さんの「アメママン」
別に自慢する訳ではないですが、アメママンは私の作であり、アメママン登場の際に、タイヘイトリオ師匠のテ-マソングを替え歌にして毎週TVで放送していたのです。

アメママンと、アメマバッチの謎・・・それはまた次にお話します。

ギタ-とサックスの楽器を捨てられて、「しゃべくり漫才」一本で勝負されるようになったWヤングさん。

伝説の「シャレづくし漫才」を完成されます。
テ-マを決めて、そのテ-マのダジャレを折り込んで、「突っ込むかと思いきや、そのセリフがまたダジャレのボケになっている」というスタイルの漫才は、常に花月を爆笑の渦に巻き込んでおられました。

全国の温泉シリ-ズ、世界の国々ネタ、民謡、料理など、精力的に新ネタ作りをされ、「やすきよのライバル」という位置づけをされます。

しかし、「マンザイブ-ム」となる数ヶ月前に・・・・中田軍治師匠は、自ら命を絶って他界されてしまいました。
博打の借金の利息がどんどん膨らみ、もうどうしようもないという悲しすぎる決断でした。

中田軍治師匠は、そもそも大和高田の銀行員をされていて、友達が「東映のニュ-フェイス」のオ-ディションを受けるというので、シャレで自分も受けたところ、軍治師匠が受かってしまい、銀行をやめられ「輝ける東映映画のニュ-スタ-」の道を歩み始めます。

しかし、同期に「里見浩太朗」がいて、仕事は里見浩太朗ばかりに集中し、軍治師匠には全く映画主演のチャンスもなし。
そんなこんなしているうちに、漫才の道を選択されます。

そんな経歴のお方でしたから、本当に上品で優しい師匠でした。

借金の金額を計算して、今後どうあがいても返せる筈がないと決断されたのでしょう。
何しろ元銀行員ですから、借金の複利計算など簡単にできてしまいます。
(軍治師匠が複利計算さえ出来ない方だったらと、今になって思うのですが)

しかし、返せるあてが実はあったのです。
「マンザイブ-ム」の草分け番組となった「花王名人劇場」の第一回目は、やすしきよしさんが出演されていたのですが、実はWヤングにプロデュ-サ-がオファ-をかけようとしたタイミングに、突然の訃報だったと聞きます。
軍治師匠の計算は、あくまで関西ロ-カルで稼げる金額で、「マンザイフ-ム」で全国区で売れるという計算はされていなかったのです。

私がB&Bとして花月に出ていた頃、軍治師匠に一度だけアドバイスを受けたことがありました。
「君のツッコミな、全部パンチ型やねん。ツッコミいうのはな、なで型でいなすツッコミもあるのやで」と。

私は、やすし師匠のツッコミを見て勉強し、シャ-プなツッコミしかできませんでした。
軍治師匠のツッコミは、いなしたり、笑ってみたりと、実に多様な柔らかいテクニックを使われていたことを改めて感じました。
人柄もあったのかも知れませんね。
ツッコミの原点は、ボケる相手に怒ることです。それを怒らずに色んな方法で笑いを誘う・・・軍治師匠のツッコミは最高でした。

今でいうと、大平サブロ-さんが、軍治師匠ゆずりの柔らかいツッコミをよくされているので、一度注意して見ててください。

漫才のテクニック論まで話してしまいましたが、これを充分理解していただいた方が、「お茶子のブル-ス」をより一層楽しめると思い、予告編の一つとさせていただきました。
さて、昭和の芸人さん話や、その他のよもやま話を続けて来ましたが、いよいよ「お茶子のブル-ス」の予告編というべきか、時代背景や、登場人物をこのブログで紹介して行きます。

このブログを読んでから、3月5日初日の「京橋花月よる芝居」「お茶子のブル-ス」をご覧いただくと、なお一層楽しめると思います。

では、まず時代背景から、ご説明致しましょう。
舞台は昭和44年。

どんな年だったかと申しますと、米国のアポロ11号が月面着陸に成功するのですが、そんな米国ではベトナム反戦デモが行われたりしていました。
日本でも、戦争反対運動が全国で起こり、新宿西口広場では7千人もの若者が集まり、反戦フォ-ク集会を。
集まった若者達と、機動隊が衝突した出来事は今でも伝えられています。

「お茶子のブル-ス」の中にも、反戦デモの話題が出て来ます。

さて、関西の演芸界では、千日劇場(今のビッグカメラの場所にあった寄席小屋)が閉館し、梅田に「トップホットシアタ-」という新しい劇場がオ-プンした年。
テレビでは、「ヤングお-お-」の放送が始まり、全国区では「8時だよ!全員集合」がスタ-ト。

時代がどんどん新しく急変して行った年です。

音楽の方では「タイガ-ス」「テンプタ-ズ」が爆発的人気だった「グル-プサウンズ」全盛期が陰りを見せ始め、フォ-クソングブ-ムへと変わって行きます。
「ヤングお-お-」の始まるキッカケとなったMBSの人気深夜ラジオ番組「ヤングタウン」には、大学生を中心としたアマチュアフォ-クグル-プが連日登場して、若者達は歌謡曲から、そんなアマチュアフォ-クを支持するようになります。
谷村新司さんが、「アリス」結成以前、「ロックキャンディ-ズ」として、そのリ-ダ-的存在でもありました。

どの程度の人気ぶりかと申しますと、アマチュアフォ-クコンサ-トがあちこちで開催され、神戸国際会館などが超満員になる程のブ-ム。

その頃、寄席の世界では、そんな新しい時代にまだまだ対応できてなく、三味線やアコ-ディオンを手にした
「音曲漫才」が主流でした。

「お茶子のブル-ス」では、「スリ-こいさんず」と名乗る女性漫才トリオが話の中心になります。
(スリ-こいさんずに関しては、また後程詳しいプロフィ-ルを紹介しますが)
彼女達も楽器を手にした「音曲漫才」でしたが、楽器を手放し「しゃべくり一本」で勝負するところから、物語は始まる訳ですが・・・。

実際にその頃、ちょうど楽器を捨てて「しゃべくり漫才」に徹するようになられたコンビの代表として、
「Wヤング」さんの存在があります。

Wヤングさんは、千日劇場時代は、ギタ-とサックスを持って舞台に立たれていましたが、花月に移籍して、
しゃべり漫才一本で勝負されるようになります。

しゃべくり一本になり、「他のコンビとは違う新しいスタイルの漫才はないものか」
模索された結果、見事な新スタイルの漫才で、大爆笑を取られるようになります。
そうです!あの漫才です!
この続きはまた・・・。
キャバレ-まわりをしていた頃のエピソ-ドをもう一つ。

あれは新潟のキャバレ-に出演していた夜のことです。
「そろそろ寝ようかな」と思っていたら、ノックの音。
「もう寝ました?ちょっといいですか」
部屋に入って来たのは、私の前座で歌っていた3人組の男性グル-プの一人。

確か「若鷲」とかいうグル-プで、ゼロ戦の飛行服を着て、軍歌ばかりを歌っていた3人組です。
当時のキャバレ-の客は、戦争体験のある年配客も多く、軍歌を歌うと一緒にコ-ラスしての大盛り上がりとなります。
その日も前座の軍歌が大ウケで、その後の私のステ-ジは散々でした。
見たところ、私よりも若い18~19歳位の3人組。
「若いのに軍歌なんか好きやなんて、変わった連中やな」と、私は思っていました。

「お兄さん、このマンガ、僕もう読んだので、良かったらと思って」
わざわざマンガを届けに部屋まで来てくれたのです。
「有り難うな」
何か話をしたそうだったので、少し話することにしました。

「お兄さん、アイドルのプロダクション、詳しいですか?」
と、少年の言葉。
「悪いけど、まだ東京に来て間がないんで、余り知らんのや。ゴメンな」
私の言葉に、少年は少しガッカリした様子でした。
「僕ね、フォ-リ-ブスみたいになりたいと思って、東京に出て来たんです。歌のレッスンに通い始めたら、すぐにデビュ-のチャンスがあると聞いて、喜んで今の事務所に所属したんです。それで、衣装やと渡されたのが戦闘服で、こうやってキャバレ-まわりをしては軍歌しか歌わせてらえない毎日です」
「そうやったんかいな・・・」

確かに若者が戦闘服で軍歌を歌えば、キャバレ-の年配客は自分の青春を思い出して涙します。
その辺りをくすぐったグル-プに入れられて、その少年は悩んでいるようでした。
一応彼の電話番号だけ聞いて、「おやすみ」と。

私は複雑な気持ちで、持って来てもらったマンガをペラペラとめくっていました。
すると・・・マンガ本の裏に彼が練習したと思われるサインの跡がいくつもありました。
「サインの練習か・・・」
そして、その下には「700円、530円・・・」と、何だかわからない金額が綴られていて、横には日にちが。
「ああ、使った小遣い書いてたんか」と、理解できた私。
細かい小遣い計算をしては、サインの練習をしてたんですね。

その後、彼は昼間私が司会していたロックコンサ-トの会場に一度だけ来たことがありました。
その時、よくよく彼の顔を見て、悪いけど私はこう思ってしまいました。
「その顔ではアイドル無理やな」と。

昭和48年のお話でした。
いかにも昭和なエピソ-ドだと思われませんか?


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