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萩原芳樹のブログ
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昨日はプロクをサボってしまい、失礼致しました。

昨日、京橋花月3月公演「お茶子のブル-ス」の舞台セットの打ち合わせを終えました。
昭和44年の「なんば花月」楽屋と、「うめだ花月」楽屋をプラスして2で割ったような昭和楽屋になりそうです。
勿論、当時花月を見に行かれた方でも、楽屋を拝見できるなんてことはまずなかったでしょうから、舞台セットを見るだけでも、一見の価値があると思います。お楽しみに!

さて、昭和44年は楽器を手にして漫才をするという「音曲漫才」が主流であったことを、お話しましたが、
音曲漫才には必ずと言っていい程「テ-マソング」がありました。

かしまし娘さんの「♪ウチ等陽気な かしまし娘・・・」と、聞けば、「ああ、あれか」と思われる方も多いと思います。
そんな「漫才のテ-マソング」について、お話することにします。

かしまし娘さんのテ-マソングは、オリジナル曲で、何と3番まであり、フルコ-ラスで歌うと5分近い曲。
そんなテ-マソングをフルコ-ラスで歌っていると、漫才する時間がなくなってしまうので、かなりカットして、
漫才の始めと終わりに歌われていましたが・・・。

他に、テ-マソングの段階で、すでに大爆笑を取られたいた方もいらっしゃいました。
「暁伸 ミスハワイ」という松竹芸能の大看板コンビで、ご主人の伸師匠はアロハシャツ。奥さんのハワイ師匠はム-ム-というスタイルで登場して、
「♪これは素敵なチョイといかす・・・」と、伸師匠がギタ-片手に歌うと、奥さんのハワイ師匠がギロを持って、
「ア~イ~ヤ~」と、巨大なヒップを客席に向けてフリフリされるのです。
漫才始める前に大爆笑というテ-マソングでした。

他には、有りモノの曲をアレンジされてテ-マソングにされていたコンビも多かったです。
フラワ-ショ-さんは、「道頓堀行進曲」 三人奴さんは「三味線プギ」
先日ブログに書きました「Wヤング」さんは、「聖者の行進」で、「♪oh皆さん、お聞きよ デコボココンビ・・・」と、千日劇場ではやっておられました。

この漫才のテ-マソング、「いったい、いつ誰が始めたのか・・・」私の疑問でありました。
ABCの番組「ナンバ壱番館」の取材で、この疑問が解決されました。

それは、「レッツゴ-3匹」「ザ・ぼんち」の師匠であり、「サブロ-シロ-」の大師匠であった「タイヘイトリオ」さんだったのです。
タイヘイトリオさんは、洋児・夢児・糸児という男一人に女性二人のトリオ。洋児師匠の奥さんがアゴの出た夢児師匠で、糸児師匠は夢児師匠のお姉さんという関係のトリオ。

子供の頃から夢児師匠は天才少女浪曲師として人気があり、その後漫才に転向された時、ご亭主の洋児師匠が「他にはない新しいモノを」と、テ-マソングを発案されたそうです。

「♪またも出ましたロマンショ- いつもニコニコほがらかに・・・」と、聞けば「あれか」と、思い出される方も多いでしょう。

夢路師匠の小節のまわし方は、独特の魅力があり、あの「都はるみ」さんが子供の頃お母さんに連れられて、
「この師匠の小節のまわし方を覚えるのや」と、随分参考されたことが、都はるみさんの自叙伝にも書かれているそうです。

都はるみさんが、夢路師匠の節まわしをマネたように、実は私もこの「タイヘイトリオ」さんのテ-マソングをそっくり頂戴して、TVで随分やってしまったことがありました。

それは何かと申しますと、あの「間寛平」さんの「アメママン」
別に自慢する訳ではないですが、アメママンは私の作であり、アメママン登場の際に、タイヘイトリオ師匠のテ-マソングを替え歌にして毎週TVで放送していたのです。

アメママンと、アメマバッチの謎・・・それはまた次にお話します。

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