萩原芳樹のブログ
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今「あかんたれ芸人の詩」の脚本執筆中なのですが、書きながら昭和の芸人っても何てバカで愛すべき人達かと自分で感心してしまう次第であります。
バクチにはまり、女道楽を続けている自分を誇りにして生きている芸人達。 今の時代からは考えられません。 当然ですよね。全てオ-プンに出来た時代であったのですから。 脚本段階はいよいよ佳境に入ってまいりました。 なので、このブログも暫くお休みにさせていただくかも。 PR
「あかんたれ芸人の詩」の登場人物、天王寺ソングに続いてご紹介するのは、オ-ル巨人さん演じる「淀川どぼん」師匠です。
終戦後の昭和20年代後半、「淀川どぼん・じゃぼん」という漫才コンビは一世風靡した頃も一時期ありました。 その名が示すように体力をかなり使った漫才が人気だったのですが、やがて相方の「じゃぼん」は、「体力の限界を超えている」と、引退を表明します。 仕方なく「どぼん」は、弟子の「はまる」と、「淀川どぼん・はまる」という師弟コンビを組むことになります。 しかし、「どぼん」もやがて現役引退を決意します。 「芸人は常に勝負の世界。実力で負けがわかった時は、どんな手を使ってでも相手を奈落の底に突き落とさなければならない」 ラジオ時代から、テレビの時代に移り変わり、殺伐としたそんな周囲の芸人達の空気の中で生きて行くことが嫌になってしまったのです。 「どぼん」師匠は、現役を引退して山奥の廃屋を安い値段で買い取り、一人ひっそりと自給自足の暮らしを始めるようになります。 今回のお芝居で登場するのは、そんな仙人のような暮らしをしている「どぼん」師匠です。 果たしてどのようなシ-ンで、どんな名言が飛び出すことやら・・お楽しみに!
「あかんたれ芸人の詩」現在執筆中ですが、ぼつぼつ登場人物やら、舞台背景についてお話したいと思います。
まず大平サブロ-さん演じるところの主役「天王寺ソング」に関して。 ソングは大阪の中学を卒業後、船場の繊維会社に丁稚奉公に出ます。 彼の夢は歌手になることでしたが、東京へ行く勇気も金もなく悶々とした丁稚奉公を続けます。 そして、ある時寄席を見に行って、彼の人生は変わります。 「王将ボ-イズ」という浪曲ショ-を見て、弟子入り志願をしたのです。 というのも、音曲ショ-であったのですが、その中で歌だけ唄っている人を見て「これだ!」と、飛び込んで行ったのです。 彼は「坊や」と呼ばれる楽器運びを主体とした弟子生活を3年続けます。 そして、憧れの舞台へ。 師匠と同じ舞台に立たせてもらい、ステ-ジで毎回一曲歌うことを許されるのです。 ソングは、もうそれだけで大満足でした。 師匠と同じ舞台に立たせてもらい、その上歌まで唄わせてもらえる。 しかし、師匠が体をこわしたことが原因で「王将ボ-イズ」は解散に追い込まれます。 路頭に迷うソング。 そんな時、彼に声をかけて来た二人がいました。 売れないグル-プサウンズの残党です。 彼等は、喰う為に音楽ショ-として寄席の舞台に出ようとするも、なかなか糸口がつかめない状態。 寄席の世界に顔がきくソングをメンバ-にすることで寄席の舞台に立てると企んだ訳なのです。 そして「スッカラカンぼ~いず」が誕生する訳です。 ここからは、お芝居をご覧いただければと存じます。 天王寺ソング・・・その男は実に小心者であり、あがり症。 舞台に立つと常に酸欠状態になってしまい、セリフも忘れてしまうような「あかんたれ芸人」なのです。 「天王寺ソング」の履歴をご紹介しておきました。
今朝NHKで「開局特番、朝の連続ドラマ全部見せます」が放送されました。
その最後のスタッフロ-ルに「構成 団順一」と出たことを発見された方は非常に数少ないことだと思いますが、実は訳あって私の昔の芸名(B&B時代の)を使わせていただきました。 団順一・・・この名前にはいろんな思い出があるのですが、一番印象深かったエピソ-ドを語っておきます。 「B&B」としてプロの漫才師になった頃、私の両親は大反対であり、勿論私の芸名すら知りませんでした。 そんな時、父親が私の住んでいた玉出のアパ-トを訪ねたところ、留守だったので仕方なく姫路に帰ったらしいのです。 それから暫くしてのことでした。 私が姫路の実家に帰った時、父親が私にこんなことを言ったのです。 「芳樹!芸人なんかやってるか知らんが、ふしだらな暮らしだけは辞めろ!オマエ、誰かと一緒に生活しているのと違うんか?」と。 私はその頃の女性関係が父親にバレたのかと思い、ヒヤヒヤしました。 ところがです。続いての父親の言葉、 「団順一いうのは誰や?ポストに団順一宛の手紙が沢山あったぞ。そいつは何者なんや?」と。 私宛に来たファンレタ-を見つけた父親は別人が一緒に住んでいると錯覚していたのです。 私のことを同性愛者かと思っての心配だったのかも知れません。 「お父さん、団順一って僕の芸名やがな」 これには、さすがに大反対していた母親すらも大笑いしておりました。 団順一・・・この名前でちょっと思い出したまでのエピソ-ドでした。 「あかんたれ芸人の詩」脚本は順調に進んでおります。 チラシもやっとできあがりましたよ。
昭和47年の芝居を書くにあたって、私自身当時のことをいろいろ思い出しては振り返ってみる訳なのですが、こんなくだらない出来事を思い出したので就寝前に綴っておくことにしました。
それは昭和47年の夏の夕暮れ時のことでした。 私が自宅アパ-トに帰ろうと玉出の交差点で信号待ちをしていた時です。 「おい、何してんねんオマエ!」 背後から声がしました。 振り向くと、その風貌や目つきといい、あきらかに「ヤ」のつく職業の方。 どうやら信号待ちしている私に話しかけられているようでした。 でも、見たこともない顔です。 私がキョトンとしていると、その「ヤ」のつく風貌の方は、しみじみと私の顔を見た後、 「あっ!知り合いやと思うてたら、TVに出てた漫才の兄ちゃんやった。ゴメンな」 そう言い残すと早足で青信号に替わった交差点をスタスタと行ってしまったのです。 その背中は彼等独特の威厳もなく、少し丸かったのを記憶しております。 いやぁ昭和の街角って、こんな風景が沢山あったのかと思うと、またまた懐かしくなってしまいます。
来年1月公演「あかんたれ芸人の詩」では、芝居の冒頭にスッカラカンぼ~いずの音楽ショ-があります。
昭和47年のヒット曲「学生街の喫茶店(ガロ)」や「ふりむかないで(ハニ-ナイツ)」の単なる替え歌的なネタなのですが、原曲を改めて聴いてみて、懐かしさの中に新鮮さも感じたのは何なのでしょうか。 特に「ふりむかないで」は当時「エメロン」のCMでも流れていた曲であり、昭和ム-ド歌謡の代表作でもあります。 ♪泣いているのか、笑っているのか、後ろ姿の素敵なあなた・・・から始まって最後は「♪○○の人ォ」で、東京・札幌・仙台・名古屋・大阪・博多と6番まである歌ですが、なんと原曲は全国74ヶ所をも歌ってあり、74番まである歌なのだそうです。 「大阪で生まれた女」も確か全部聴くだけで一時間以上もあり、70番くらいあったのでしょうか。(昔、深夜番組で全コ-ラスを歌っていただいたことがありました) 何か昭和の歌って面白いなぁ・・・と、スッカラカンのネタを作りながら感じたしだいであります。 |
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