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萩原芳樹のブログ
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今夜10時よりNHKで放送されていた「歴史秘話ヒストリア」という番組で「金城哲夫」さんの人生をやっていた。

金城哲夫さんは、「ウルトラマン」の脚本家であり、お名前は存じ上げていたが、その人生に関しては私も勉強不足で詳しく知らなかった。

金城哲夫さんは沖縄出身で、返還前に本土の高校に進むが、当時米国の領土であった沖縄の存在を強く訴え続けておられていたらしい。
「戦争」「侵略」・・・人類は何故そんなに侵略を好むのだろうか・・・これが実はウルトラマンのベ-スメントになっていることを知って驚いた。

「ウルトラセブン」の脚本を書き終えて、彼は故郷沖縄に戻り、「琉球」の歴史と素晴らしさを伝えることをライフワ-クとして選ばれることになる。
しかし・・・。
38歳の若さで亡くなってしまった。

本当の天才は悲運である・・・と、改めて感じて涙が出た。
もっと以前から金城哲夫さんのことを勉強しておくべきだったと反省した。
スケ-ルは全く違うが、同じ脚本家として尊敬に値すべき数少ない人物であったからこそである。
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ぽん子が持って来たTVの出演依頼のメモを見ると、ぴん子はそのメモを丸めて放り投げてしまった。
「何すんのよ、ぴん子。せっかく来た久しぶりのTVの仕事やで」
ぽん子がメモを拾って、大事そうにシワをのばす。

ぴん子が怒っているのは、TVの出演時間のことであった。
メモには、「ネタ時間5分。テ-マソングはカットでお願いします」と、書いてあった。

らん子が、そのメモを見て、
「ネタ時間5分て・・・。今までは持ち時間15分、少なくても8分はあったのに」

昭和47年頃までの演芸番組といえば、ベテランの持ち時間が15分。若手の場合は二つに割って7~8分というのが相場であった。
つまり劇場出番の時間に合わせて、TVでもたっぷりとネタを見せていたのであった。

しかし、演芸番組とはいえども視聴率を稼ぐ為に、この時代からTVでの持ち時間はどんどん短くなって行く。
演芸番組もバラエティ番組要素が強くなり、逆に演者の味わいがTVから消えて行くことになる訳である。

「ネタ時間が5分で、テ-マソングがカットやなんて、このTVの仕事、断わっとこう」
ぴん子が吐き捨てるように言った。
「ええっ?せっかくのTVの仕事やで」
「そないにTVに出たかったら、あんた等二人で出たらええ。うちは嫌やから」
「らん子、どうする?」
らん子に決断が迫られた。

「二人でなんか無理ですやんか。こまどり娘は3人揃ってこそ、こまどりです。ぴん子さんの言う通り、このTVの仕事断わっておきましょう」

こうしてTVの仕事依頼を断わることになった「こまどり娘」
しかし、このことが引き金となり、「こまどり娘」は大ピンチを迎えることになるのであった。
「勝ち組」と「負け犬」という言葉が、今の時代普通のように飛び交っている。
どちらも、私が嫌いな言葉である。

「勝ち組」も、本当に努力して得た勝ちならば、以前は「負け犬」であった筈だ。
でも、世間は「負け犬」時代には目もくれず、「勝ち組」になったとたんにチヤホヤする。

来年一月に公演する「サブロ-一座」のお芝居は、「負け犬芸人」の物語にしようと決めた。

何故ならば・・・それが余りにもカッコ良すぎるからなのである。
今、来年一月に東京大阪で公演する「サブロ-一座」の芝居を考案中である。
この芝居は、昭和の時代に売れない漫才師がレコ-ドデビュ-をして、大ヒットしてしまったという「ぴんからトリオ」をモデルにしようと思っている。

実際に「ぴんからトリオ」がどのようにして売れて行ったかというと、私は以前このプロモ-タ-であったコロンビアレコ-ドの方から聞いたのだが、壮絶な話であった。
「演歌は新世界の夜の姉さん方から」
という訳で、新世界のスナック回りを随分されたらしい。
そこで、ジワジワと有線から火がついてヒットして行った訳だが・・・。

今の時代では信じられないような逸話である。
今は全てが「トップダウン」で売れる時代。
すなわち権力者が号令をかければヒット曲が誕生してしまう時代になってしまった。
政治も全て庶民不在の時代になってしまっているのは事実である。

「流行る」ということは素晴らしい庶民の文化であった筈だ。
一人一人の人間が、確実にその価値観を確認してからこそ誕生するもの。
ところが、昨今は無理矢理の「流行り」が多すぎて納得できない。

こんな薄っぺらい時代に、昭和の熱い時代をそのまま芝居にしてしまって、どれだけの人に理解してもらえるのか、今不安になっている。
いっそパロディとして、いかに今の時代のヒット曲の作り方を昭和の時代に反映できれば・・とさえ思っている。

このブログでも、また予告編として出演者他の情報を詳しくお伝えして行くつもりでおります。

結局、ヘンリ-はらん子の部屋に転がり込むことになり、また二人の同棲生活が始まった。
らん子は何かとヘンリ-の世話をして、小遣い銭を持たせたりしている始末。

そんな暮らしがスタ-トとして3日目のことであった。
笑楽座の楽屋で、ぴん子がらん子に話があるという。
「らん子、あんたまたヘンリ-と暮らし始めてるというのはホンマか?」
ぴん子が、眉に縦じわを寄せた表情で、らん子に詰め寄った。
「ええ、まぁ」
「悪いことは言わん。早う別れ」
「けど、久しぶりにヘンリ-の姿を見て、放っておけんようになったんや」
「それは情だけの話。いや、情以下で愛なんてもんやないのや。あんたはヘンリ-とかかわりになればなるほど不幸になる」
「そないに断言せんでも・・」
「いや、断言したる。早う別れ」
「そやけどな、ヘンリ-が作った曲、ごっついええねん」
「ヘンリ-が作った曲?」
「ヘンリ-て、寄席の世界では売れへんコミックバンドやったけど、ホンマは立派なミュ-ジシャンやと、その曲聴いて感動したんや。あの曲は絶対にヒットすると思うんよ。そやからヘンリ-の曲が売れるまで、私が支えてあげようと思うてるねん」
「そうか・・勝手にしいや」
びん子は大きなため息をついた。

女芸人が男に夢中になって芸がおろそかになる例は多い。
しかし、今回の場合は例外だとぴん子は悟ったのだが、らん子が不幸になって行くであろうという予感はしていた。
ゆえに忠告をしてみたのだが、今のらん子には無駄のようであった。

そんなところへ、ぽん子がウキウキ気分でやって来た。
久しぶりにTVの仕事が入ったというのである。
ここ笑楽座では、「フレンド2」の人気が続き、「こまどり娘」の舞台も余りウケない状態が続いていた。
そんな時にTVの仕事が入るとは朗報であった。

しかし、その内容を聞くやいなや、ぴん子は憤慨して起こり始めたのであった。

谷啓さんが亡くなった。
急なことでビックリした。
実は私、何を隠そうずっと谷啓さんの隠れファンであった。
生まれて初めて自分の小遣いで買ったレコ-ドが、谷啓さんの「あんた誰」であった。

谷啓さんとは、一度だけだがお逢いできたことがあった。
当時私は渡辺プロのお世話になっていたタレントで、マネ-ジメントをしてもらっている人が「五郎ちゃん、谷さんのところへ挨拶に行こうよ」と、誘ってくれた。

場所は有楽町の「日劇」
谷さんは「ス-パ-マ-ケット」という新しいグル-プを結成され、そのお披露目をかねたライブコンサ-トであった。
「ス-パ-マ-ケット」というグル-プは、その後暫くして解散してしまったのだが、素晴らしいバンドだった。
お笑い中心のコミックバンドでもなく、カッコいいバンドでもない。
「とにかくハッピ-なバンドを、この日本で作りたかったのですよ」
楽屋を訪問した私に、谷さんは熱く語ってくださった。
事実、ス-パ-マ-ケットの演奏する曲は、全てがメジャ-コ-ド。
昭和のこの時代、ヒット曲といえば全てがマイナコ-ドであった時代に、
「これからの日本の音楽界は変わる!もっと明るく楽しくなきゃね」
今思えば、凄い言葉であったと思う。
それから本当に日本の音楽界は、メジャ-コ-ドの曲がバンバン売れる時代に移り変わってしまったのだから。

谷さんの楽屋に「番さん」という谷啓さんの一番弟子の方がいらした。
風貌がどこか師匠の谷啓さんに似ていて、私はすぐに仲良しになった。

新宿でスナックを経営されていたので、よく通ったものだった。
「クレ-ジ-キャッツ」のお弟子さんといえば、ハナ肇さんのお弟子さんである「なべおさみ」さんが売れ、植木等さんのお弟子さんの「小松政雄」さんも売れた。
番さんも、当然その後に続いて売れると思っていたのに、クレ-ジ-の番組が次々と終了し、結局チャンスに恵まれなかったらしい。

「番さん、これからですよ勝負は!」
互いに励まし合いながら新宿のお店で夜明け近くまで呑んだこともしばしば。

ところが、ある日突然に番さんのお店が閉められていた。
何度行ってみてもシャッタ-はしまったままだったのである。
お店の経営状態で何が起こったのか、私には当然わからない。
でも、番さんは突然いなくなってしまった。

そんなことがあって新年を迎えた時のことであった。
何と番さんから年賀状が届いたのである。
「五郎ちゃんが早く売れて行くことを願っています」
そう文面には書いてあったが、差出人の欄を見ると、名前だけで住所がなかった。

自分の住所を明記できないような状況で年賀ハガキをくれた番さんのことを思うと涙が出そうになった。
翌年の正月も、また住所のない番さんからの年賀状が届いた。

あの番さん・・・今どこでどうされているのか・・・。
そして、師匠の訃報を聞かれて、どんな気持ちでおられるのだろうか・・。


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