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萩原芳樹のブログ
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谷啓さんが亡くなった。
急なことでビックリした。
実は私、何を隠そうずっと谷啓さんの隠れファンであった。
生まれて初めて自分の小遣いで買ったレコ-ドが、谷啓さんの「あんた誰」であった。

谷啓さんとは、一度だけだがお逢いできたことがあった。
当時私は渡辺プロのお世話になっていたタレントで、マネ-ジメントをしてもらっている人が「五郎ちゃん、谷さんのところへ挨拶に行こうよ」と、誘ってくれた。

場所は有楽町の「日劇」
谷さんは「ス-パ-マ-ケット」という新しいグル-プを結成され、そのお披露目をかねたライブコンサ-トであった。
「ス-パ-マ-ケット」というグル-プは、その後暫くして解散してしまったのだが、素晴らしいバンドだった。
お笑い中心のコミックバンドでもなく、カッコいいバンドでもない。
「とにかくハッピ-なバンドを、この日本で作りたかったのですよ」
楽屋を訪問した私に、谷さんは熱く語ってくださった。
事実、ス-パ-マ-ケットの演奏する曲は、全てがメジャ-コ-ド。
昭和のこの時代、ヒット曲といえば全てがマイナコ-ドであった時代に、
「これからの日本の音楽界は変わる!もっと明るく楽しくなきゃね」
今思えば、凄い言葉であったと思う。
それから本当に日本の音楽界は、メジャ-コ-ドの曲がバンバン売れる時代に移り変わってしまったのだから。

谷さんの楽屋に「番さん」という谷啓さんの一番弟子の方がいらした。
風貌がどこか師匠の谷啓さんに似ていて、私はすぐに仲良しになった。

新宿でスナックを経営されていたので、よく通ったものだった。
「クレ-ジ-キャッツ」のお弟子さんといえば、ハナ肇さんのお弟子さんである「なべおさみ」さんが売れ、植木等さんのお弟子さんの「小松政雄」さんも売れた。
番さんも、当然その後に続いて売れると思っていたのに、クレ-ジ-の番組が次々と終了し、結局チャンスに恵まれなかったらしい。

「番さん、これからですよ勝負は!」
互いに励まし合いながら新宿のお店で夜明け近くまで呑んだこともしばしば。

ところが、ある日突然に番さんのお店が閉められていた。
何度行ってみてもシャッタ-はしまったままだったのである。
お店の経営状態で何が起こったのか、私には当然わからない。
でも、番さんは突然いなくなってしまった。

そんなことがあって新年を迎えた時のことであった。
何と番さんから年賀状が届いたのである。
「五郎ちゃんが早く売れて行くことを願っています」
そう文面には書いてあったが、差出人の欄を見ると、名前だけで住所がなかった。

自分の住所を明記できないような状況で年賀ハガキをくれた番さんのことを思うと涙が出そうになった。
翌年の正月も、また住所のない番さんからの年賀状が届いた。

あの番さん・・・今どこでどうされているのか・・・。
そして、師匠の訃報を聞かれて、どんな気持ちでおられるのだろうか・・。
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