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萩原芳樹のブログ
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参議院選挙が終わり、民主党は敗北にうろたえ、自民党は勝利にひたすら喜んでいる。
ハッキリ言って「目くそ鼻くそ」の世界だ。
そもそも「同じ穴のムジナ」であった筈が、勝手に分裂して互いに足を引っ張り合うだけで国民不在の政治は続く。
やれやれ・・・日本の未来は益々暗雲だらけだ。

私も一票を投じて来たが、「マイナス票があればいいのに」と思った。
つまり、「この人だけは政治家になってほしくない」という候補者が多すぎたからなのである。
政党が勝手に足を引っ張り合っているのだから、国民とて政治家の足をもっと引っ張って当然だと思う。

そう言えば自民党の谷垣総裁が、どこかで出会ったような気がしてならなかったのだが、すぐにわかった。
小学生の頃、クラスで何か問題がある度に「先生、悪いのはアイツです」と、人のことばかりをチクッていた奴がいた。
谷垣総裁を見ていると、そんな子供の頃の記憶が蘇って来たのである。
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ヨンちゃんの人生は、3人の「井上さん」に大きな影響を受けている。
そして、3人とも大好きな「井上さん」である。

まず一人目は、新喜劇の「井上竜夫」さん。
ヨンちゃんが中学時代ファンレタ-を出したところ、丁寧な返事が返って来て、また手紙を書くと返事が。
ついに文通のようになってしまったことは過去のブログでも綴ったと思う。

二人目は先日他界されてしまった「井上ひさし」さん。
放送作家の大先輩として尊敬の言葉では足りない程、素晴らしい作品を数多く残された方だ。
遙か雲の上の存在の先生であったが、本当に雲の上の方になってしまられた。(一寸バチ当りな表現かも)
「井上ひさし」さんの作品を読むと、何故か元気が出て来る。
もう一度片っ端から読みあさろうと思っている。

そして3人目の井上さんだが、「井上靖」さんである。
「ヨンちゃん物語」で仮病を使って学校を休む日が多かった・・と、書いたが、そんな時読んででいたのが「井上靖」さんの自叙伝であった。
「しろばんば」「あすなろ物語」の二冊を読んだことで、ヨンちゃんの人生は大きく変わって行く。

偉人の自叙伝を読み終えて、ヨンちゃんは自問自答をしてみた。
「この人の少年期・・・僕とどこが違うのだろうか」と。
そして一つの結論に至った。
「何事にも行動的で、常に前を向いている」
自叙伝の中で、友達がケンカをしていたら、すぐさま仲裁に入ってみたりと、その頃のヨンちゃんが逃げていたことだらけであった。

物事をやる時の判断には、大きく二つに分かれていると感じた。
まずは「やるか、やらないか」という選択。
そしてもう一つは「右か左か」の選択である。

「右か左か」は、誰でも迷いながら選び、そして後悔なんかしたりする。
しかし「やるか、やらないか」は、例え失敗しても、やらないよりもやる方がずっと良い・・と、ヨンちゃんは考えるようになった。

それからというものヨンちゃんは調子者とも思える程、行動的になって行った。
好きな女の子ができたら、とにかくすぐに告白した。
で、フラれても後悔なんかしないようになって行ったのである。

中学3年の夏、「横山やすし」さんの楽屋に漫才台本を持って突然訪ねたのも、「井上靖」さんの本の教えであった。


ヨンちゃんは小学2年から珠算を習っていた。
しかし、ことあるごとにサボッていた。
ヨンちゃんは手先を使った細かい作業が苦手であった。
ゆえに、指先で算盤をはじいているとイライラしたりする。

そんな訳で算盤は嫌いだったが、暗算だけは得意とした。
面倒くさい算盤を使わなくて良いからである。

ヨンちゃんが6年の時に「姫路市」の珠算大会があった。
ヨンちゃんは珠算塾を代表して大会に出ることになった。
サボッてばかりだったが2級で、塾の中ではトップクラス(2年から長く習っているだけのことだが)なので代表に選ばれたらしい。

昭和39年8月2日。
つまり、ヨンちゃんの誕生日であり、初めて自分の干支の辰年の誕生日を迎えた日でもあった。

「運命の日・・・奇跡が起るのでは?」
ヨンちゃんは、そんな予感がチラリとした。
ところが本当に奇跡は起ったのである。

ヨンちゃんが得意とする「暗算」の部門でのことだった。
「♪ねがいまして~は・・・」と、数字を読み上げられて合計金額を当てる。
間違った者は次々と脱落して席を立たなくてはならないシステム。

ヨンちゃんは2級だったので、二桁程度なら自信はあった。
百人程いた席が、どんどん減って行く。

残り20人程度になった。
暗算の問題は更に難しくなり、三桁の暗算になって行った。
三桁の暗算は、全く未知の世界だったヨンちゃん。
ところが次々と正解してしまうのである。

暗算は頭の中に描いた算盤が勝手にはじいてくれる。
三桁の暗算となれば、その頭の中の算盤がボンヤリしてしまったりするものだが、この日のヨンちゃんの頭の中の算盤は非常に鮮明であった。

残り10人を割ってしまった。
隣りの子に話かけてみた。
「君、何級?」と。
すると「二段です」と。
ヨンちゃんが二級であることを告げると、「ええっ?二級の子がここまで残っているの?」と、驚いていた。
残っている子は、ほとんどが段持ちらしい。

が、またまた正解を続けてしまうヨンちゃん。
ついに最後3人に絞られた。
ここで問題は更にアップして四桁の暗算になった。
さすが四桁はヨンちゃんの頭の中の算盤もあいまいになってしまい、ここで脱落してしまった。
結果は三位。

ヨンちゃんは、この時感じた。
「物事は集中すれば実力以上の力が発揮できるものだ」と。

数日後、新聞の地方欄にヨンちゃんの名前が掲載されていた。
珠算大会の結果報告の記事である。
勿論ヨンちゃんの名前が新聞に出たのは、この時が生まれて初めてのことだった。
ヨンちゃんの両親は喜んでヨンちゃんを呼び、
「芳樹、ここに書いてあるのは誰の名前や?声を出して読んでみ」と。

ヨンちゃんは、この時自分の部屋で好きな女の子のことばかり考えていた。
だからである。「????子」と、なんとその女の子の名前を口にしてしまったのであった。
思わず固まってしまった両親。

その後ヨンちゃんは珠算を辞めるが、暗算はその頃のなごりで得意であった。
しかし、「数字で物事を判断するなや!」という子になって行く。
今日は懐かしい旧関西テレビ(今はエイトスタジオ)に行った。
9月にMBS60周年記念特番として「4時ですよ~だ同窓会」の企画があり、ハイヒ-ルと打ち合わせの為であった。

地下のメイクル-ムへ行った。
かつて自分が「B&B」として「ナイトパンチ」に出演した時のままだ。
このメイクル-ムで、様々な出来事があったことを走馬燈のように蘇って来た。
が、「しましま~んず」の二人の顔を見たとたん、現実に引き戻された。

池山心と、「キャバレ-哀歌」の感想を改めて語り合う。
そして、藤井輝雄とは「ごきげんブランニュ」の視聴率に関して話をした。
先日「Wカップ」で日本戦がキックオフの瞬間、裏番組では私がかかわっている「ごきげんブランニュ」を放送していた。
しかも、その時の放送内容といえば「ハゲの藤井輝雄を男前にする」という実にバカげた企画。

Wカップの裏で、そんな番組を見る人はいないだろうなぁと誰もが予想していた。
ところが・・・ところである。
なんと、かなりの視聴率を稼いでしまったのであった。
大阪の人達は、Wカップよりも、藤井輝雄が男前になる瞬間を見たかったのだ。確かに。
やっぱり大阪の人達は面白すぎる・・・そう感じた。

帰りに近くの「味奉行」に寄ってみた。
先日「キャバレ-哀歌」に出演していただき、生バンドでも協力していただいた宇野山さんのお店である。

「あの後も、随分反響がありましたよ」
宇野山さんは元気な笑顔いっばいで今後の音楽活動の予定もいろいろ話をしてくださった。
本当に元気な65歳である。

焼き餃子と、チ-ズ餃子をテイクアウトしてもらった。
普段は餃子を余り好まない家内が、「これは美味しい!」と絶賛。
「そうやろ」
どうやら私の面目は保たれたようである。
ヨンちゃんが6年の時、東京~新大阪間で新幹線が開通した。
当時「夢の超特急」とも呼ばれていた。

この「夢の超特急」に、ヨンちゃんは誰よりも早く乗れることになった。
というのも、ヨンちゃんのお父さんが国鉄職員(今のJR)だったので、試運転の新幹線に特別に乗せてもらえることになったのである。

ヨンちゃんは日本を代表する施設に、一般客よりも常に先取りできる運命でもあった。
「東京ディズニ-ランド」ができた時には、地元の浦安市民だけのプレオ-プンで無料招待をしてもらった。(ヨンちゃんは、この頃浦安市民)

そして「関西空港」にも、開港特番の仕事を受けたので、内々に施設を見ることができた。

誰よりも早く乗った新幹線・・・。
でも、まだその時は、この新幹線で自分の人生の岐路が待ち受けているとは勿論予想もしていなかったヨンちゃん。

吉本での「B&B」の仕事に穴を開けて、不安と期待で東京に向かったのも、新幹線だった。
そして、父の突然死を聞いて、故郷の姫路に涙ながら帰って行ったのも新幹線。
また結婚が決まり、仲人さんと一緒に大きな結納品を東京まで持って行ったのも新幹線。
放送作家の仕事が多忙となり、週に東京~大阪を二往復したのも新幹線。
その頃は、新幹線の席が一番落ち着く「我が家」のような存在でもあった。

ところがヨンちゃんが初めて乗った新幹線でヨンちゃんは涙するという事件があった。
それは車内で食べる為の「ウナギ弁当」を買ってもらった時のこと。
ヨンちゃんは「ウナギ弁当」なるものを食べるのは、この時生まれて初めてのことであった。

弁当を開いて食べようとした、その瞬間であった。
列車が大きく揺れて「ウナギ弁当」は、無残にも床に落ちてしまったのである。
「ホラ、ちゃんと持ってないからやがな」
ヨンちゃんの両親は、床に落ちた「ウナギ弁当」を眺めて涙ぐんでいるヨンちゃんに注意した。
「お父さんの食べ」
「お母さんの食べ」
慰められたが、ヨンちゃんは何故か意地を張って「ウナギ弁当」のことをあきらめた。

そんな出来事がトラウマなのか、ヨンちゃんは新幹線に乗る時だけ、よく「ウナギ弁当」を好んで食べる。
人生の悲しみや、不安や希望や脱力感など・・・。
ヨンちゃんの人生は新幹線の「ウナギ弁当」だけが知っているのかも知れない。
ヨンちゃんは争いごとは嫌いであった。
ケンカは、ことごとく避けて通るタイプである。

そんなヨンちゃんが、人をグ-で殴ってしまうという事件があった。
相手はクラスでも仲の良い友達。
二人でふざけ合ううちに、相手の子が本気になって怒って来た。
その時である。
ヨンちゃんはグ-で殴ってしまった。
その友達は、泣きながらヨンちゃんにかかって来た。
その泣いている友達の顔がヨンちゃんの心にグサリと来た。
「なんでグ-で殴るんや」と、言わんばかりの顔。

翌日、その友達の方から、ヨンちゃんに謝って来た。
「昨日はゴメンね」と。
ヨンちゃんはバツが悪かった。
殴った方は自分であるのに。
殴られた方が誤るなんて・・・。

ヨンちゃんは思った。
「もう二度と人をグ-で殴るなんてことはやめよう」と。

5年生の出来事だった。
友達は「忠本くん」という実に優しい心を持った奴だった。

忠本くんは、6年で転校してしまった。
が、その後毎年年賀状だけはくれる友達としてつきあえることになった。



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