萩原芳樹のブログ
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先程ウィンブルドン男子決勝で、ナダルが優勝を決めた。
女子はSウィリアムス。 どちらも凄いパワ-を誇るプレ-ヤ-である。 第一シ-ドで、テクニシャンのフェデラ-が負けたのにはショックだったが、テニス界は今やパワ-の時代になってしまったのだろうか。 「思いっきり力強く打つ」のもテニス。 「数々のフエイントを使って、相手を揺さぶる」のもテニスである。 私はテクニックブレ-ヤ-が好きだ。 何も考えずに力任せにボカボカ打って来る相手を、ヒョイとテクニックでかわせた時が実に気持ち良い。 自慢になるが、私は4種類のサ-ブを打つ。 まずはジャンプしてのフラットサ-ブ。 それに、スライスサ-ブに、トップスピンサ-ブ。 そして秘密兵器はス-パ-スライスである。 しかし、このサ-ブの打ち分けには、手首のリストをかなり使う。 手首をやってしまった・・・。 痛い!・・・。 ここ三日間、手首にテ-ピングをしたまま日常生活を送っている。 牛乳パックすら、右手で持てなくなってしまった。 そんな状況でも、また今日テニスをしてしまった。 本当のテニスバカである。 もうこうなれば、思いっきりやり過ぎて体がポロポロになるのを待つしかないかも知れない。 本当に自分でも「脳天気」なオッサンだと思う。 でも人間、心配ごとや悩み事があればある程、脳天気でアクティブでありたいものだと思ってはいる。 PR
ヨンちゃは6年生になった。
学校も楽しく、柔道の方も充実していた。 甲田先輩こそ、いなくなってしまったが、「岩沢」という一つ年下の後輩が何かとヨンちゃんの子分のようにまとわりついて来た。 「岩沢」は、いつでも笑っているような顔をした少年。 ヨンちゃんが甲田先輩譲りの動き芸を見せると、顔をクシャクシャにして笑っていた。 ヨンちゃんの柔道の得意技は「巴投げ」であった。 しかし、この大技はなかなか決まらないもの。 練習では決まっても、いざ試合になって決まった試しがない。 ヨンちゃんは、岩沢にことごとく巴投げをかけた。 やられた岩沢は、またケラケラと笑っていた。 そんなある日のこと、「岩沢、俺は空気投げができるようになった。オマエにかけようと思う」と。 その頃、TVでは「姿三四郎」が人気で、空気投げなるモノの存在が少年柔道の間でも話題になった。 相手に手をかけずに倒すという「空気投げ」 実際そんな技は非現実的で、ありえない技なのだが、ゆえに憧れる。 ヨンちゃんが「空気投げ」を試みた。 見事に成功した。 岩沢は、手もかけていないのに、一回転して倒れたのである。 考えてみれば、岩沢という奴、そこまでよく付き合ってくれたものだと思う。 そんな人の良い岩沢だが、道場に来ていた中学生にバカにされるという事件があった。 いつもヨンちゃんの手下のような存在でケラケラ笑ってばかりいる岩沢。 なめられて当然だったのだろう。 が、岩沢がその時初めてキレた。 なんと中学生をボコボコに殴ってやっつけてしまったのである。 ヨンちゃんは、ただ見ているだけ。 驚いた。 道場でケンカは良くない。 ヨンちゃんは興奮冷めやらぬ岩沢に近づいて、こう言った。 「今日は、もう一緒に帰ろうや・・・。ところで、オマエとこの商売、確か運送屋やったな?」 いつも二人で会話しているやりとりである。 岩沢は、ニコリとして答えた。 「ウン、そうや」
ヨンちゃんが町の道場に通い始めてすぐのこと、一つ年上の「甲田先輩」が、「組み手をやろう」と、誘ってくれた。
甲田先輩は、サウスポ-なので組み手は逆であったが、互いに組み合った時こんなことをヨンちゃんにささやいて来た。 「背負い投げしてみ。俺、やられたるから」 ヨンちゃんが習い始めたばかりの背負い投げをしてみた。 すると、ヨンちゃんの投げた勢いよりも凄くぶっ飛んで行った甲田先輩。 そして、倒れたまま動かなくなってしまったのである。 「大丈夫ですか?」 心配したヨンちゃんが近寄ると、甲田先輩はヨロヨロと立ち上がる。 が、またヘナヘナと倒れ込んでしまう。 「甲田さん、ホントに大丈夫ですか?」 また声をかけると、立ち上がる甲田先輩。 今度は片足を引きずって歩き出す。 「足、どうかなったんですか?」 ヨンちゃんがまた心配して言うと、その引きずった足のヒザをポンと叩いてスキップを始めた。 (その頃流行り始めた「平参平」のギャグである) 甲田先輩の動きは見事なコメディアンそのもの。 寛平さんの動きを想像してもらえば良い。 ヨンちゃんはケラケラと笑った。 甲田先輩は、その反応に満足そうであった。 当時の小学生で、ダジャレを言ったり、TVのギャグをマネして言う奴は沢山いた。 しかし、動きで笑いを取る小学生をヨンちゃんは初めて見たのであった。 ある意味、衝撃であった。 それからというもの、道場に行けば甲田先輩にまとわりつくヨンちゃん。 甲田先輩の動き芸を盗みたかった。 しかし・・・。 甲田先輩は、間もなく道場には二度と顔を出さなくなってしまった。 噂に聞けば、私立中学の受験が迫り、柔道どころではなくなっているとか。 その後、ヨンちゃんは甲田先輩と会う機会はなくなった。 でも、ヨンちゃんはクラスで甲田先輩の動き芸をパクッて見せては笑いを取るようになっていた。
ヨンちゃんは、小学校の頃、狙われていた。
誰からかというと、ヨンちゃんのお母さんの教え子から。 つまり、ヨンちゃんのお母さんは、言うことを聞かない生徒には、体罰を与えるタイプで、「オマエのお母んに、やられたからから仕返ししたるわ」という訳である。 「女教師と思って、なめてたらアカンぞ」という、ヨンちゃんのお母さんのポリシ-でもあったのだが、その出来の悪い連中が中学生になっても、ヨンちゃんのことを狙っていることを知ったヨンちゃん。 「芳樹、柔道習いに行ってみるか」 ある日、ヨンちゃんのお父さんが言い出した。 つまり、自分の身は自分で守れるようになれ・・ということらしい。 ヨンちゃんは「うん、行く」と、すぐに。 ピアノの稽古よりも、ずっと面白そうだったので、早速ヨンちゃんは町の道場へ通うことになった。 姫路城のすぐ傍にあった道場で、当時姫路でまともに柔道を教えていたのは、ここしかなかったと思う。 新しい柔道着を身につけて、師範からまずは受け身を教わる。 しかし、師範がいなくなるや、道場の子達の態度は一転した。 寝技かと思いきや、本気で首を絞めている奴がいる。 投げ飛ばした後、相手を倉庫に宙づりにして、せせら笑う奴がいる。 つまり、各学校の番長クラスの連中の集まりでもあった訳である。 ヨンちゃんは無視して、一人受け身の練習を続けた。 奴等は、そんなヨンちゃんに危害を加えようとはしなかった。 そんな中で、「甲田先輩」という人に出会ったヨンちゃん。 一つ年上の6年生であったが、この「甲田先輩」の行動に、ヨンちゃんは憧れすら感じるようになるのであった。
ヨンちゃんは5年生になった。
クラス替えがあり、今度こそ友達ができることを望んだ。 友達は、すぐにできた。 その一番の友達が担任の木村先生だった。 木村先生は、音楽に熱心で、器楽部を作りMBSラジオの「子供音楽コンク-ル」に申し込み、姫路市内でも音楽面で有名校にしようと必死な先生だった。 器楽部は基本的には、56年生で構成されるのだが、ヨンちゃんがピアノを習っていたこともあり、ヨンちゃんは特別に4年から器楽部に加わっていた。 担当は、アルトアコ-ディオン。 自分の演奏するアコ-ディオンのソロパ-トがラジオから流れるのを聴いて、ヨンちゃんは嬉しかったようだ。 ヨンちゃんは、そんな大切な木村先生のことを「馬!」と呼んでは、「待て!」と、追いかけられた。 「萩原!オマエも顔長いから、これから馬と呼ぶぞ」と、木村先生。 34年のクラスとは全く違い、木村先生のクラスは笑いが絶えないクラスであった。 ヨンちゃんが授業中に、先生の言葉尻を取ってダジャレを飛ばす。 「今、ダジャレを言うた者は誰や!」 ヨンちゃんが手を上げると、 「もう一回大声で言うてみぃ!」と、先生。 ヨンちゃんが、もう一度ダジャレを言うと、 「オモロいやないかい!」と、先生。 そんな木村先生のおかげでヨンちゃんは明るくなり、これまでがウソのようにクラスの人気になって行った。 「6年生を送る会」では、「萩原、何かオマエが芝居を考えろ」と。 ヨンちゃんは5年生で、生まれて初めての作演出主演の芝居を経験した。 そんな木村先生・・・。 一昨年、ヨンちゃんが母校の中学校の公演を頼まれて行った時のこと。 在学の中学生やPTAの人達にまぎれて後ろの方の席に、老いた木村先生の姿を見つけた。 公演後、木村先生は控え室に来てくれて、 「芳樹さん、今度是非一緒に二人で酒でも飲もう」と、言ってくださった。 残念ながら未だその機会はないのだが、ヨンちゃんにとって、木村先生は天使のような存在だったのである。
ヨンちゃんは、小学校の先生の子である。
その点で普通の子とは随分違った経験もして来た。 ヨンちゃんのお母さんが、テストの採点で追われていた日のこと。 ヨンちゃんは、お母さんの手伝いをしたことがあった。 ヨンちゃんは、当時まだ3年生というのに、5年生のテストの採点をしていたのである。 お母さんから、「赤ペン」をもらい、お母さんと同じような「丸」と「ペケ」をつけて行く。 テストの正解表があり、それに基づいてやっているだけなのだが、こんな手伝いをすることにより、ヨンちゃんはクソ生意気な子供になって行く。 「ああ、この人賢そうな顔してても案外アホやったんやな」と。 先生には「日直」と呼ばれる当番があった。 授業が終わり、夕方の5時には、生徒全員が帰宅しているのかを確認する。 ヨンちゃんは何度か、お母さんが日直の時には、職員室で時を過ごし、夕方の構内見回りを一緒にしたことがあった。 冬の5時は、もう薄暗かった。 「芳樹、お母ちゃんは南の校舎を見てまわるから、あんたは北の校舎を見て来て」 懐中電灯を持たされて、ヨンちゃんは北校舎の見回りをした。 NGKのような昼間賑わう場所の人のいない夜は、実に不気味なものだ。 それと同じく、ヨンちゃんの見回りをした北校舎もそうだった。 誰もいないのに、人のけはいがするような気がしてならない。 特に、理科室や音楽室は恐ろしかった。 「芳樹、異常なかったか?」 お母さんから聞かれて、冷静を装うヨンちゃんだったが、ドキドキものであった。 さて、3・4年の間、地獄のような苦しみを味わったヨンちゃん、5年になって、やっと元の陽気で活発なヨンちゃんに戻って行くのでありました。 |
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