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萩原芳樹のブログ
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我々は、四国からこちらに来られたお二人の真珠職人のところへ。

お二人の作業場は、水上バンガロ-のように、ラグ-ンに突き出た小さな小屋であった。
ここで、黒蝶貝にカクという小さな玉を入れる細かい作業が仕事である。

貝の中にカクを入れて、それを海中に戻して、約一年半すれば、貝の中から見事な黒真珠が誕生する訳だ。

周囲は360度、エメラルドグリ-ンの海。
「こんなところで仕事できるって最高ですね」と、言うと、
「こんな景色、三日もすれば飽きるよ」と。
お二人とも、元気がなかった。

聞けば、ここに来たくて来た訳ではないらしい。
娘さんの嫁入り費用を稼ぐ為に、わざわざこんな遠い島まで、少しでも給料が良いからと来た訳だが、やはり日本が恋しくてたまらないようだ。
私達が日本から持って来た「味噌汁」や「梅干し」等の日本食のみやげに大喜びされていた。

確かに美しい海・・・それしかない島である。
島に一軒だけあるという雑貨店に行ってみた。
ほとんど商品がなく、缶詰が隅にわずかある程度。
聞けば、「船がしばらく来てないので、商品が滞っている」という。

撮影もそこそこに、我々は美しい海に入ってみることにした。
そこは、熱帯魚の楽園。
チョウチョウ魚を始めとして、色鮮やかな魚たちがウヨウヨいる。
私は、水中カメラを構えた。
そして、シャッタ-を押そうとした瞬間であった。
なんと、大きななサメが、カメラ前にヌッと現れたのである。

ビックリした。
でも、「これはシャッタ-チャンス」と、私はシャッタ-を押した。
その瞬間、サメは目にも止まらぬ猛スピ-ドで、あらぬ方向へと去って行った。

次の瞬間、恐怖が私を襲った。
「あれだけのスピ-ド、もしもこっちに向かって来たらひとたまりもなかった」
そう思っただけで、ぞっとした。

作業場のトイレに入った。
「ボットン便所」だった。
だが、下はエメラルドグリ-ンの海で、きれいなチョウチョウ魚たちが、私のウンチを、今か今かと待ち構えている。
そして、ウンチをした瞬間、綺麗な熱帯魚達は、私のウンチに群がった。

この島では、どうやら海の生物達と仲良くやって行くしかないようだ。
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昨日、「R-1ぐらんぷり2010」が、「あべこうじ」さんの優勝でフィナ-レを迎えた。

泣いた。
みんなで泣いた。
「R-1芸」というモノが、どんどんビジュアル化して行き、音モノやら、小道具を駆使している時代の中で、あべちゃんは一人漫談というシンプルな話芸にこだわって来た。

例年、決勝に残るも優勝を逃した際、私にこんな言葉を残していた「あべちゃん」
「シンプルな話芸一つの漫談で、是非優勝したいのですよ。それがかなうまで、ずっと挑戦し続けます、僕!」と。

そんな「あべちゃん」の努力が、やっと報われた。
「おめでとう!あべちゃん!」
そう声をかけた時、あべちゃんは握手を求めて来て、目はうるんでいた。

でも、あべちゃんは、その前にすでに涙していたのだ。

決勝戦の生放送。私は、舞台の袖にいた。
ファイナルステ-ジに進む3名が決まり、いよいよラスト勝負という段階。
「あべちゃん、頑張ってよ」
非常にシンプルな励ましの言葉を私は彼にかけた。

その時であった。
あべちゃんの目が涙でうるんでいたのである。
「ここまで来て、皆さんからそんな言葉をかけられるのが、もうたまらないのですよ」
今にも、大声で泣き出しそうな勢いだった。

「大丈夫か?人を笑わす前に泣いてどうすんだ」
私は心配したが、あべちゃんは最後のステ-ジを見事に演じて優勝を勝ち取った。

「おめでとう!」
昨夜は、みんなと一緒に勝利の美酒に酔いしれた。
でも、あべちゃんよりも、私の方が酒の量は多かったのは事実であった。

我々ABCスタッフを乗せた小型チャ-タ-機は、タヒチ島を出発して、一路「タカロア島」へと向かっていた。

暫くは上空から見る下界の景色は、ただ南太平洋の海が広がるばかりであった。

ツアモツ諸島が近づいて来た。
島の姿が、上空からうかがえる。
見たこともない島の形であった。

まるで「浮き輪」のような島ばかりなのである。
つまり、内海といって、大きな湖状態の海が島の中を占領して、陸といえば、100メ-トルもない幅で輪が出来ている。

内海は見事なエメラルドグリ-ンで、外海は紺色の海だ。
この美しい内海が、黒真珠の養殖に適していた環境であることを、私はまだ知らない。

「まもなくタカロア島ですよ」
案内役の横溝さんが教えてくれた。
見れば、同じような浮き輪の島である。

上空から、小さな集落らしきモノが見えた。
島唯一の村であるらしい。

チャ-タ-機は、どんどん低空飛行を始める。
しかし、前方に空港らしき姿もない。
ヤシの木の間に広がった大きな広場にチャ-タ-機は、着陸した。

「?・・・これが空港?」
地面を見れば、コンクリ-トではなく、石ジャリである。
それにしても周囲には建物らしきモノもない。

着陸して停止した時、やっと空港タ-ミナルらしき姿を発見した。
茅葺きで出来た休憩所のような所で、椅子がやっとあるのみ。

チャ-タ-機を降りると、この小屋に中にいた人たち数十人が、こちらへと来る。
「チャ-タ-機なのに、乗るつもりか?」
そうではなかった。
すでに情報が入っていて、我々が来るのが珍しいのか、チャ-タ-機を見るのが珍しいのか、とにかく周囲に集まって来る。

子供が沢山いた。
女の子は、みんなかわいい。
というのも、この辺りは「タヒチアン」とフランス人との混血が多いので、どこかエキゾチックな風貌をみんなしているのだ。

「ジャポネ!ジャポネ!」
子供達が、嬉しそうに叫び始めた。
みんな日本人が大好きらしい。

それもそうである。
この島の産業といえば、ヤシしかなかった時代が長かった。
そこに、横溝さんの真珠養殖成功のおかげで、島の人たちの大半は、真珠養殖のお手伝い。
それで島がうるおっている訳だから歓迎される訳だ。

集まって来た人達の足元を見て驚いた。
全員が素足である。
その足をよくよく見ると、みんな蚊に刺された大きな痕が残っている。
早速、私も蚊にやられた。
とにかく蚊が異常に多いようだ。

「どうぞ、乗ってください」
と、我々は軽トラの荷台に乗せられて出発。

それにしても、360度見事な眺めであった。
ヤシの木と、エメラルドグリ-ンの海。
ただただそれだけしかない。

「遠い南国の離島に単身赴任。さぞ寂しいことだろうなぁ」
と、予測して来たのだが、こんな天国のような島だとは思わなかった。
四国から来た二人は、さぞ元気いっぱいなのだろうなぁ・・・そう思っていたが、いざ会ってみると、全く違っていた。
タヒチの離島「タカロア島」に行くことが決まったのは、突然のことだった。
当時「クイズ仕事人」という関西ロ-カルの深夜番組を担当していたところ、余りにもの高視聴率という理由で、全国ネットのゴ-ルデンタイムに昇格することが急遽決まった。

そこで、「全国ネットのゴ-ルデンタイムとなれば、海外取材も入れなければ」ということになり、
「萩原さん、すぐ海外取材できそうなネタ知りませんか?」と、プロデュ-サ-が。

少し考えていた私は、すぐにあるネタを思いついた。
「四国で真珠養殖をしている職人さんが、単身赴任でタヒチの離島に行くという話を聞きましたが。確かもうすぐ日本を出発する頃だと思いますよ」

「クイズ仕事人」という番組は、世の中の様々な仕事の細かい部分まで取材して、スタジオでクイズにするというバラエティ番組。

早速、電話してみたところ、高知県の宿毛で真珠養殖をされている40代の職人さん二人が、明日日本を離れることがわかった。
「タヒチに一度行けば、一年は帰って来られないし、電話連絡すらできない。家族と別れのシ-ンは是非モノですよ」

傍にいたディレクタ-が、早速その日の夜行列車で高知県の宿毛に向かった。
そして、家族との涙涙のお別れシ-ン。

こうして、その後タヒチの離島での、お二人の仕事ぶりを取材する為に、私も同行することになったのである。

そもそも、そんな情報を私が知っていたのは、「黒真珠の養殖」を世界で最初に成功させた方と、おつきあいがあったから。

横溝さんという方で、不思議な出会いだった。
たまたま三重県の鳥羽で、列車まで待ち時間があったので、真珠記念館をブラリしていると、「タカポト島の黒い真珠」という一冊の本を見つけた。
帰りの電車の中で読んでいると、実に面白い。
著者の「横溝節夫」さんが、インドネシア~オ-ストラリアを経て、失敗のあげく、タヒチの離島「タカポト島」で、黒真珠の養殖に成功するまでの10年間の手記であった。

「一度お会いして話を聞いてみたい」
そう思った私は、すぐ連絡をとり、当時私がパ-ソナリティをしていた深夜ラジオのゲストとして出演していただいた。
それから、ときどき連絡をするようになったという訳である。

黒真珠の養殖を成功させる為には、何よりも島民の方の協力が必要となる。
奥さんや子供さんを日本に残したまま、失敗を繰り返した横溝さんは、タヒチの人たちのあたたかさで成功できた・・・とある。

「タカポト島」
そこは、電気も水道もなく、ホテルなんかも勿論ない。

四国のお二人が行かれた「タカロア島」は、タカポト島の隣りの島で、島の環境はほぼ同じ。
私達は、横溝さんのお世話で、タカロア島の民家に泊めてもらえる段取りをしてもらった。

タヒチ本島から、そのタカロア島まで一応飛行機は飛んでいるが、週に一便のみ。
タレントも連れて行くので、一週間の滞在は無理である。

そこは全国ネット。
なんと行きはチャ-タ-便を二百万円で飛ばして行かせてもらうことになった。

「いったい、どんな島なのだろうか・・・」
私は、期待と不安で一杯だった。
何しろ、横溝さんの本には、「犬の頭蓋骨を頭からしゃぶる」なんて書いてある。

行ってみて、本当に驚いた。
そこは、まさしく「天国に一番近い島」であったのだ。




タヒチ本島の北東600キロの場所に「アヘ島」という島があります。
無人島も含めて大小800からなる「ツアモツ諸島」の中の一つの島。

今から20年ほど前、その「アヘ島」近くの「タカロア島」という島に行った時、帰りの飛行機で「アヘ島」にいったん着陸して、その存在を知りました。

「アヘ島」と聞いて、何かピンときませんか?
そう。寛平さんの「アヘアヘアヘ」のギャグは、タヒチ語であったのです。
勿論、寛平さん本人は、そんなことは全く知らずにギャグをされていたのでしょうが、寛平さんの「底抜けに明るいギャグ」と、ポリネシアンの人たちのバカ陽気さが同じことに気づき、その時は驚きました。

地球一周の「ア-スマラソン」にチャレンジ中の寛平さん、イランで映画の主人公に抜擢されたとか。
ひたすら前に向かって走り続ける姿の結果だと思います。

実は、寛平さん自身と、ポリネシアンの人たちとが、余りにも共通点が多いので、突然こんなことを書き始めました。

かの「ゴ-ギャン」が、愛してしまったタヒチという土地。
そこに住むポリネシアンの人たちが、いかに素晴らしいのか・・・今度は「ポリネシアン」の人たちに関して、私の体験から、お話することにしましょう。
第一回の「R-1」予選で驚いたのは、東京には無名の「ピン芸人」が、いかに多かったかということであった。

そんな中で、「南野やじ」さんはダントツだった。
木魚を置いて何を始めるのかと思いきや、四文字熟語をお経調に唱え始めた。
最初見たのは、自分の出身地である長崎県の自虐ネタだった。
その後、「サザエさん」「ドラエもん」等、多種に及んで彼は四文字熟語のワ-ルドをお経スタイルで披露する。

一回大会は、完全に彼の優勝かと思えた。
しかし、審査員の同点決勝で、彼は優勝を逃した。

翌年も決勝に残るも敗退。

3年目のことだった。
準決勝で爆笑であったのにもかかわらず、彼は決勝に進めなかった。
発表の後、涙ぐんでいた彼の姿を遠くから見ていた。

楽屋の裏で、彼は誰かと電話していた。
「落ちました・・・もういいです。これで、芸人やめる決心がつきました」
大変なことだ。
あれだけの素晴らしい芸と、発想力を持つ彼が辞めようとしている。

私は、廊下の隅で電話を終えて来る彼を待った。
「惜しかったなぁ。俺が審査員なら、きっと決勝に進めていたと思うよ(この年から私は審査員の座を剥奪されている)来年また挑戦してよ。きっとだよ!」
涙ぐんでいた彼は、私に握手を求めて来た。

それから5年の年月が流れた。
彼はその後「R-1」では、予選敗退組になってしまっていた。

ところが今年、準決勝まで勝ち進んだ。
審査結果を聞いてみると、決勝&サバイバルにギリギリのところでアウトとなってしまったようである。

「やじさん、頑張ってよ。あんたのネタ作りに関する努力は、誰よりも理解しているつもりですよ」
私が言うと、
「お経スタイルは、もう封印します。来年、また新たな『南野やじ』になって戻って来ます」
別れ際、彼はそう強く語ってくれた。

そんな訳で、あの「南野やじ」のお経ネタは、もう見られなくなってしまった。
残念・・・。

でも、生まれ変わる「やじ」さんに大いに期待しよう。


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