萩原芳樹のブログ
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こうして「R-1」は、今から8年前にスタ-トした。
予選の審査員は、さぞ「退屈地獄」と想像していたのだが、案外そうでもなかった。 というのも、当時まだ「ピン芸」というジャンルは浸透してなくて、ネタ作りから何から何までメチャクチャの素人さんが多かった。 とにかく「思いつくままに」自分の世界を表現する。 審査していて、それぞれの出場者の人生を垣間見れたような気がした。 「この子、実はイジメられて来たのだろうなぁ」とか。 「M-1」は、漫才なので、そんなことすら想像させてもらえないのだ。 漫才の審査は、簡単すぎる。 まず最低なのは、10秒でわかる。 「ああ、この人たちは、人前で漫才するのが初めてなのだろうな」というコンビ。 続いては、「人前で漫才した経験はあっても、ウケた経験がないのだろうな」という感想。 そして、「このコンビは、かなり人前で笑いを取った経験があるぞ」 この3種類が、本当に数十秒でわかる。 だから、あとの時間が退屈で仕方なかった。 それに比べて「R-1」は違った。 客は全く笑わないが、まるでノイロ-ゼのようなネタを見せられると、私はついつい笑いが止まらなくなったりしてしまったのだ。 笑いというものは不思議なものである。 一応の方程式はある。 でも、それは過去に爆笑モノであったネタを参考に分析しての結果的に出来た方程式。 前人未踏の「笑い」は、そんな方程式を無視している。 そんな中で、第一回「R-1」で、方程式を引用しつつも、新しいジャンルを開拓して来た何人かの出場者に出会ったことはショッキングであった。 第一回大会・・・本来なら優勝して当然であった「南野やじ」には、度肝を抜かれた。 PR
よしもとの橋本さんと一緒に、関西TVへ売りに行き、結局「R-1」は、関西テレビで放送されることになった。
といっても、関西ロ-カルの土日の昼間の放送枠。 「M-1」の全国ネットゴ-ルデンタイムとは、大きな違いであった。 でも、よしもとの「お偉いさん」に、そのことを伝えると、 「ええっ?テレビで放送してくれるの?せいぜいラジオかと思っていた」と。 私達は、とりあえず出場者を一生懸命に募る努力をした。 落語家さんは、プライドが高いので、そんな大会においそれと出てはもらえない。 一人ずつ、説得する作戦を開始。 ことの原点となった「オ-ル阪神」さんにお願いしたところ、出ていただけるという返事が。 知り合いの東京のプロダクションにも電話してみた。 「関西ロ-カルの放送なのですけど、どんな若手でもいいから参加してもらえませんか?」 たけしさんの事務所にも直接電話をしてみたりもした。 ル-ルを決めるのが大変だった。 何しろ予想もつかない。 アマチュア落語の人たちが多く参加してくれると睨んだ。 とりあえずは、落語の高座に座ってやるというル-ルが決まり、「創作落語大会になる」と、予想していたので、ネタ時間も10分という長さ。 ところが、問題になったのが審査員であった。 どんな人を審査員に選ぶのか。 決勝の審査員は勿論のことであるが、予選の審査員だ。 正直、私は嫌がっていた。 「M-1」の第一回の予選審査をして、こりごりになっていた。 オ-デションの審査は、昔からたびたびやる機会があったが、それは「面白くなければ途中でブ-ッ!」と、落としてしまえる。 ところが、「R-1」や「M-1」の場合、どんなにつまらなくても、出場者がエントリ-費を支払っているので、最後まで観てあげなければならないのだ。 結局、一般募集の素人審査員で予選を乗り切ることにした。 ところがである。 「一般の人たちの審査を誰がまとめるのですか?せめて審査委員長というか、どなたか責任を持てる代表の方が必要でしょう」と、指摘されて。 そんな訳で、最終的には私が審査委員長となり、予選から決勝まで全てを見届ける役目となった。 面白くもないネタを長時間見せられるのは、一種の拷問のようでもあると覚悟して挑んだ。 ところが、いざやってみると、そうでもなかったのである。 ~続く~
最近の「サバイバルバラエテイ番組」に関しての疑問。
離島でサバイバル暮らしをするのに、何故、東京に近い島を選ぶのだろうか? 東京の仕事とのかけもちをできるという利点からなのだろうか。 ふと思っただけ・・・。
さて、「R-1ぐらんぷり」決勝進出者が発表されたが、今年は誰が優勝するやら・・・。
ここで「R-1ぐらんぷり」が、いつ、どのようにしてスタ-トしたのかを綴っておくことにしよう。 今年で8回目を迎える「R-1ぐらんぷり」 そもそもの発端は、こんなことであった。 吉本の橋本さんというプロデュ-サ-のもと、「落語家が出ない落語会」を開催することになった。 冗談半分のイベントだったが、結果的には、なかなかの仕上がりだった。 出演メンバ-は、「オ-ル阪神」さん、「太平シロ-」さん、「兵動」さん、「めぐまりこ」さん、「杉岡みどり」さんという面々。 全員創作落語で、今ではプロとして活躍しているウチの弟子連中が、シナリオ学校生徒時代に、それぞれの担当を決めて、書き下ろした創作落語会であった。 私は、阪神さんの創作落語を担当し、TVショップで売られている商品達の葛藤を描いた「擬人法落語」を書いた。 この前年、「M-1グランプリ」がスタ-ト。 「M-1」も、最初の年は、ル-ル決めを始め、一回戦から準決勝まで全ての審査員を担当する等、私はかなりかかわっていた。 そんな翌年。吉本の「偉いさん」が、「M-1で、漫才が活気づいたから、今度は落語家を活気づけなアカン。M-1に対抗して、落語のRで、R-1という大会を始めてはどうか」という提案があった。 そのプロデュ-サ-に抜擢されたのが、「落語家の出ない落語会」のブロデュ-サ-、橋本さんだった。 「萩さん、R-1というのを始めたいのですけど、この前やった『落語家の出ない落語会』が大きなヒントやと思うんです。一緒にやってもらえませんか?」 そんな訳で、私と橋本さんの二人で、まずは「R-1」を買ってもらえるTV局はどこかと考え、それを企画書にまとめて売りに行くことから始まった。
昨日は東京で、今日は大阪で「R-1ぐらんぷり」の準決勝戦が行われた。
それにしても、今年はエントリ-数が3539名という多さ。 さすがに、その中から勝ち上がって来た人たちの「ピン芸」は素晴らしかった。 たった一人で舞台に立ち、オリジナルの自分のワ-ルドを披露する。 脚本、演出、主役・・・全て一人の世界だ。 改めて「ピン芸人」のカッコ良さには頭が下がる。 深夜、決勝進出者と、サバイバル出場者が発表された。 (残念ながら、明日の11時まで封印されているので名前は言えないが) 結構爆笑であったのにもかかわらず、名前を読み上げられずに去って行く芸人さんの背中が悲しすぎた。 ウケなくてガックリしている訳ではない。 爆笑にもかかわらず競争に負けただけの話である。 会場に来て爆笑していたお客さんは、それをどう受け止めているのだろうか。 「あの人、面白かったのに、結局ダメだったのね」 と、自分の中の「面白い芸人」の枠から消してしまったりするのだろうか。 勝利者のみを認め、どんな経緯があるにせよ、敗者を認めようとしない世の中。 そんな時代であるからこそ、「R-1」の人気はどんどん高まって行く。 でも、そんな環境であるからこそ、出場者の人たちは、「より面白いネタ作りを」と、一年間の目標にしている。 「ピン芸人」のレベルがどんどん上がっているので、それは良いことであるかも知れないのだが・・・。 何だか複雑な心境だ。 「サバイバル」と「決勝」の生放送、お見逃しなく。
さてさて、客席からビ-ル瓶を投げた上、舞台にまで上がって来たタチの悪い酔っぱらい客。
なんと私に殴りかかって来たではありませんか。 でも、酔っているので動きは鈍い。 その男の拳が私の顔面を捕らえる寸前、私はさも殴られたかのように「あ~っ!」と、叫んで先にぶっ倒れたのです。 そして、舞台にうずくまり、「も~いやっ!ア~ン!」と、泣き崩れる演技を。 まだ気付かない従業員や客は、それでも笑っていました。 一番敏感でなければならない筈のショ-マネ-ジャ-までが、大きな口を開けて笑っているのが見えました。 「ええ加減にせぇ!」 開き直った私は、真顔になり立ち上がりました。 「これだけショ-の邪魔されているのに誰か止めるなり、何とかしてくれよ!」 やっと席についていたホステスさんが、その酔っぱらいを客席に戻してくれた訳ですが。 まだステ-ジの残り時間は10分以上ありました。 一度シラケてしまった舞台ですが、最後までやるしかありません。 でも、席に戻されたその酔っぱらいは、まだ何やら叫び続けています。 「すみません。そっち半分の方には申し訳ないんですけど、何やらうるさいので、店の逆のこっち半分のお客さん相手に続けます」 と、うるさい酔っぱらいのいない方向に向かってステ-ジを続けました。 そして、ステ-ジが終わる瞬間、ものすごい拍手をいただいたのを覚えています。 「ひどい情況の中で、良くやった」と、他のお客さんやホステスさんは、私に大きな拍手をくださったのです。 とんでもないキャバレ-舞台の話。 21歳の思い出です。 お酒を飲んで暴力をふるうのは、本当にダメですよね。 動きが鈍くなっているので、必ず相手にかわされてしまいます。 |
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