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萩原芳樹のブログ
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さて、以前このブログで「私が好きだった芸人さん」として何人かの名前を挙げましたが、その人たちについて少しお話することにします。

まずは「東京ぼん太」というピン芸人の方から。
昭和40年代前半に、あっという間に超人気者になり、そして人気急落と共に早期に芸能界を引退されてしまった方です。

どんな芸をされていたかと申しますと、唐草模様の風呂敷を背負い、尻を出してヒョコヒョコと早足で登場されます。
そして、栃木弁で「東京ってところは怖いね」と、漫談を。

漫談よりも、むしろ尻を出して歩くスタイルに人気があり、私も子供ながらに真似をして尻を出して学校の廊下を歩いては、先生に叱られたりしたものでした。

栃木から東京に出て来た田舎者というキャラ設定だったので、人気が出たのも早かったのですが、逆に飽きられるのも早かったのかも知れません。
(ちょうど、今のピン芸人ブ-ムと似ていますよね)

動きが売りの芸人さんは、子供に人気が出やすいのですが、これがクセモノ。
子供はすぐに成長するので、次の興味ある人に飛びついてしまうからです。子供は芸人にとっては残酷な存在です。

昭和40年前半と言いますと、東京で爆発的な「お笑いブ-ム」が巻き起こった頃。
連日TVには、新顔のお笑いさんが出て来ては、消耗品のように消えて行かれました。
「お笑い芸人が一発屋になる恐ろしい時代になった」と、最近よく騒がれていますが、以前にもそんな歴史があったのですね。

どちらもブ-ムに火がついたのは東京。
大阪は年がら年中の「お笑いブ-ム」なので、そんな現象にはなりません。

東京ぼん太さんが、その後何をされているのか・・・子供ながらに心配したのを記憶しています。
しゃべり口調が、ヒョウヒョウとした栃木弁だったので、余計に哀愁も漂っていたのかも知れません。
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昭和の時代、「サパ-クラブ」という種類の店があった。
ステ-ジでは、キャバレ-のバンドとは違って、今風のバンドが随時演奏。
食事が出来て、ダンスも踊れて、ショ-をも見られるという、いわば「エンタ-ティメントの夜の城」なのである。
ミナミに「笠」「青い城」「紅花」という3店が人気のサパ-クラブであった。

私が、文珍さんに頼まれたのは、このサパ-クラブの「紅花」の司会。
当時、文珍さんは連日サパ-クラブの司会をされていて、他に仕事が入ったので、私に代わりを勤めてほしいということだったのである。

確か4~5日の仕事だったが、連日仕事に出かけるのは、最終の地下鉄電車。
ショ-は、深夜の1時半と、3時にあり、そのショ-タイムの司会なので、最終で行けばちょうど良かった。

そんな深夜に食事をして、ダンスを踊る客って、いったい誰なかだろうと思われるかも知れないが、つまりクラブやキャバレ-が閉店した後、ホステスと客が来る店なのである。

司会の仕事は楽だった。
とにかく客はみんな酔っぱらっているので、適当に何を喋ってもかまわない。
深夜2回のショ-の司会をして、明け方の5時に閉店の挨拶をすると仕事は終わり。
始発の地下鉄で、玉出に帰る。

今では想像もつかない店だが、当時は満員で連日盛り上がっていた。
何故かフィリピンバンドが人気があり、よく「ブラックマジックウ-マン」を演奏していた。

そうそう。その店に「新喜劇」の若手がウェイタ-でバイトしていたのは驚いた。
劇場ギャラでは生活できないので、仕事に支障のない深夜を選んでバイトしていたらしい。
「そんなことするのなら、頼んで司会させてもらったら?」と、私が言うと、
「司会なんてできませんよ」と。

酔っぱらい相手の司会すらできないのに、よくも芸人で売れようと思っているなぁ・・・と、首を傾げたのを記憶している。

玉出に、「開運湯」という銭湯があった。
当時の私のアパ-トには風呂がなかったので、その「開運湯」によく通っていた。

銭湯の風呂桶には、全て何故か「ケロリン」のマ-クがあり、体を洗っている客の背中にも、いろんな模様があった人の多かった銭湯である。

しかし、この「銭湯」は私にとって、金を生む場所でもあった。
ある日のこと、脱衣場で見知らぬ男から声をかけられた。
「あんた、俊市郎君の友達でしょう? 僕、すぐそこのパチンコ屋の息子なんです」と。
「ああ、あのパチンコ屋さんなら、よく行きますよ」と、答えると、
「じゃあ、風呂上がりに来てください。玉が出るようにしておきますから」と。

何だか狐に騙されたような気持ちで、本当に銭湯の帰りに、そのパチンコ屋に寄ってみた。
すると、出るではないか、出るではないか・・・。

私は、その銭湯の息子とは、風呂場で出会っただけ。
息子は、私がどの台で打つのか、どこかで監視していたのかも知れないが、不思議であった。
とにかくバカバカ出るのである。

「ありがとう」と、言おうにも、息子さんの居所はわからない。
結局、二千円ほど勝ったところで、そそくさと帰った思い出がある。

さて、その「開運湯」という銭湯には、よく落語家さんが来ていた。
近所に「桂小文枝師匠(後の文枝師匠)」の家があったので、お弟子さん達が、よく来られていた銭湯でもあった。

落語家さんのお弟子さんにとっては、銭湯が一息つける場所であったかも知れない。
私と同期の「文太」は、いつも長い間湯船につかっていた。

そんなある日、脱衣場で「文珍さん」と、遭遇した。
「ヤングお-お-」で、知り合いだった仲で、いわば若手タレント同士が銭湯で遭遇するというのも妙な話だが。

文珍さんは開口一番「ええとこで会うた。明日から君に仕事を頼みたいのや」と。

さてさて、文珍さんから依頼された仕事とは・・・。
昭和ならではの仕事だったのです。



19歳で、玉出の「清風荘」というアパ-トに暮らしていた頃は、突然いろんな奴が訪ねて来ることも多かった。

まず「大阪芸大」の仲間が来て、「大学、休んでばかりで大丈夫か?」と、声をかけに来てくれたこともあった。

逆に、深夜にとんでもない訪問客もあった。
名前は伏せておくが、コンビや所属事務所を転々と変えていた若手芸人が近くに住んでいたので知り合いになっていた。

その男が、深夜に突然来て、「追われている!隠まってくれ」と。
聞けば、パン屋の奥さんと浮気をしたのが亭主にバレて、「殺してやる!」と、包丁を持って追いかけられて来たというのだ。

「かなんなぁ。帰ってや」
特に親しい関係でもなかったので、私は冷たくしたが、「頼む!本当に殺されるかも」と。

結局、ことなきを終えたが、パン屋の亭主が追いかける際に、手にしていた包丁は、いったいどんな包丁かなぁと思った。
肉屋や魚屋ならいざ知らず、所詮パン屋の包丁である。
確かに、その追いかけられた芸人は、パンのような柔肌だったので、パンを切るごとく切れたのかも知れない。


玉出の喫茶店の常連客に、キャバレ-のホステスさんがいた。
「星さん」という女性で、九州なまりのある田舎者丸出しのホステスさんであった。

その星さんが、ある日のこと「今日は同伴出勤の日なんだけど、まだ同伴客が見つからないの。誰か同伴出勤してくれない?」と、言い出した。
喫茶店の客は、勿論誰もキャバレ-で遊べるような金銭の余裕はない。

「とんぺ-ちゃん、同伴して。お金はいらないから」
星さんは、飲み代は自分が持つからと、私に同伴出勤を依頼して来た。
聞けば、同伴日に休むとペナルティが大きく、それなら自腹で知り合いを同伴させた方がましらしい。

「いいですよ」
キャバレ-という場所にまだ一度も行ったことのなかった私は、即座にOKした。

「星さ~ん、僕も一緒に行ったらアカン?」
傍にいた三宅が、その話に食いついて来た。

結局あつかましくも、私と三宅の二人が同伴出勤としてキャバレ-に無料招待してもらうことになったのである。
「でも、ちゃんとした服装にしてよ」と、星さん。
私は部屋に帰ってス-ツに着替えることにした。
問題は三宅だった。
勿論ス-ツなんか持ってはいない。

「やっぱりあきらめろや」
私がそう言うと、
「とんぺ-のス-ツ貸してくれや」と。
仕方なく部屋に戻ってはみたものの、冬物のス-ツは一着しかなく、夏物しかなかった。
「それでええがな」と、三宅。

そして、三宅は真冬というのに、私の夏物ス-ツに身をまとい、皮靴も一足しかなかったので、足下は私の「バックスキン」でキャバレ-に向かった。(その頃の三宅は年中サンダルだった)

「その夏物ス-ツで行くつもり?」
星さんは、さすがに困った様子だったが、三宅が「キャバレ-や!キャバレ-や!」と、はしゃぐので嫌とは言えなかったのだろう。

そのキャバレ-は満員だった。
ホステスさんが何百人もいる。
ステ-ジでは、フルオ-ケストラが演奏している。
その前のフロア-では、ホステスと客がジルバを踊っていた。

すっかり浮かれ気分の三宅は、他のホステスさんと、出来もしないジルバを踊っていた。
場内は、夏服姿でデタラメなジルバを踊る三宅に、失笑があちこちで。
星さんは、恥ずかしそうに顔を赤らめていた。
その頃、私が住んでいたのは「清風荘」という木造三階建ての違法建築のアパ-トだった。

三階のベランダには、わずかな屋上スペ-スがあって、洗濯物の物干し場になっていた。
洗濯機なんて勿論持っていない住民ばかりなので、炊事場で手洗いをして洗濯物を干すのである。
私の部屋は、その物干し場のすぐ近くの部屋だった。

相変わらず、三宅は部屋によく遊びに来ていた。
それも、常識外れの深夜に突然来たりする。
私は、良いのだが、アパ-トの管理人に注意された。
「萩原さん、深夜の来客はいいとしても、ドタドタと大きな足音を立てないでくださいな」と。

私は「夜中に来る時は、そっと足音をさせないように」と、注意した。
三宅は、「ゴメンゴメン、足音を立てんように階段上って来るわ」と。


しかし、この行為が裏目に出てしまった。
その頃、屋上の物干し場から、女性の下着が盗まれるという事件が続いて起こっていた。
管理人は、何とか犯人を見つけようとする。
そんな時、深夜に現れた三宅が、物音を立てまいと、忍び足で階段を上っていたところを管理人に発見された。
その忍び足は、下着泥棒と間違われても仕方ない歩き方だったようだ。

管理人に見つかった。
「あんたか!下着泥棒は!」
「違いますて!」
そんな騒ぎを聞きつけて私が現場に行き、三宅が下着泥棒ではないことを管理人に説得した。
が、管理人はまだ疑っている様子だった。

「三宅、静かに来いとは言うたけど、泥棒みたいな忍び足で来るな!」
深夜に私は呆れて怒ってしまった。

ちなみに、この下着泥棒、女モノのパンティと間違えて、私の花柄の派手なブリ-フも何枚が盗んで行きやがった。
私のブリ-フを盗んでどうするんや!アホ!





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