萩原芳樹のブログ
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キャバレ-歌手のネネが、「二代目柳流亭らん子」として寄席の舞台に立つようになって一ヶ月が経過した。
そんなある日、らん子はぽん子に素朴な質問をする。 「こまどり娘は、女性音曲トリオやのに、何故テ-マソングがないんですか?」 「そう言うたら、そうやな。どこの音曲トリオもテ-マソングあるのに、うち等だけないなぁ」 「私、こまどりのテ-マソングを考えて来たんですけどね」 そう言うと、ぽん子は目を光らせて来た。 「どんなん?聞かせて」 らん子は、自ら考えたテ-マソングを唄い始めた。 この頃の音曲漫才は、どこのコンビでもテ-マソングを持っていた。 例えば「かしまし娘」は、「♪うち等陽気なかしまし娘・・・」 「フラワ-ショ-」は、「♪赤い火青い火道頓堀の・・・」 「ちゃっきり娘」は、「♪ちゃっきり娘が飛び出~し~た」 という風に、高座はテ-マソングに始まり、テ-マソングに終わる。 この漫才のテ-マソングなるもの。 実は「タイヘイトリオ」が元祖であるらしい。 「♪またも出ましたロマンショ-、いつもニコニコほがかに・・・」 というテ-マソングを作って舞台に立ったところ、大喝采を浴びたようである。 らん子の考案したテ-マソングとは、「黄色いサクランボ」の替え歌。 「♪わ~かい娘がウッフン、お色気ありそでウッフン、なさそでウッウン、ありそでウッフン、ほらほ~らこまどり娘だよぉ」 と、3人揃って振り付けありの色っぽくもバカバカしいテ-マソングであった。 ぴん子が楽屋に来たので、らん子とぽん子は早速テ-マソングを踊って唄って見せた。 「どうこれ。らん子が考えたテ-マソングや。ええと思わへんか?」 と、ぽん子が得意げに言うと、 「テ-マソングて、そんなカッコ悪いもん。テ-マソングを唄う漫才なんか、そのうちきっとなくなる。テ-マソングを唄う間があったら、早うネタに入れと若い客は思うてる筈やわ」 ケンモホロロの状態であった。 実際、昭和43年当時は全盛を誇っていた「テ-マソングを持つ漫才コンビ」も、やがては時代とともに下火になって行くのであった。 PR ![]() ![]() |
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