萩原芳樹のブログ
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さて、鶴橋の二畳の部屋で、息苦しい暮らしをしていた毎日でしたが、姫路から出て来た私にとっては、難波に近かったことが何よりも嬉しかったのです。
一応「大阪芸術大学」に進学したばかりだったのですが、向学心は皆無。 八方さんが「なんば花月」の出番と知るや、鶴橋から歩いて通っていました。 八方さんとは、高校時代「ヤングタウン」に共演したことがキッカケで親しくさせていただいていました。 高校時代、学校をサボッては八方さんの楽屋にオジャマして、生意気にも楽屋で寝ころびながら、八方さんと談笑したりしていたのです。 八方さんとは常に新ネタの話ばかり。私の新作をいつも興味深く聞いてくださいました。 そんな八方さんが、ある日のこと。 「君、いつも歌手みたいな服着てるな。どこで買うてんのや?」と。 「阪急ファイブですよ」 「阪急ファイブ?」 当時「阪急ファイブ」は、大阪で初めてのファッションビルとして誕生し、若者に人気のスポットでした。 ブランドは、まだ数少なく、メンズでは「JUN」「VAN」が存在している程度。 「阪急ファイブのJUNという店で買ってるんですよ」 私が、そう告げると、 「ワシをそこへ連れて行っていれ」と。 二人で阪急ファイブのJUNに行きました。 当然のように店員がウルさくまとわりついて来ます。 そこで、八方さんはキレてしまったのです。 「ウルさいな!さっきからヤイヤイと!ゆっくり服見られへんやいかい!」と。 結局、八方さんは店員に立腹してすぐ店を出られたのですが、もしも服を買う気になっていたら、もっと立腹されていたと思います。 それは、足が余りにも短いことに対する店員の態度で。 確かに70年代のブランド店の店員は、かなり上からモノを言っていましたからね。 PR |
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