萩原芳樹のブログ
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姫路の高校を卒業し、大学一年の時、ひたすら八方さんの楽屋通いを続けていました。
その頃の私の芸名は「ダッシュとんぺ-」 高校時代に「ヤンタン」に出演した際、三枝さんが「姫路東高校と、姫路北高校のコンビやから、東と北で「トン、ペ-」と、名付けてくださいました。 「ダッシュ」は、私達の漫才が勢いが良いからだったそうです。 そして、「ペ-」の相方がいなくなったので、勝手に「ダッシュとんぺ-」と、名乗ってピン芸人の活動を。 いつものように八方さんの楽屋に行くと、そこには今の西川のりおさんの姿がありました。 出番を終えた八方さんから、「君等そこの喫茶店に先に行って待ってて」と。 のりおさんと私は、二人きりになり、やおら喋り始めたのです。 私は、高校2年の時から、のりおさんのことを意識していました。 「ヤンタン」のオ-ディションを受けた際、揃いの服を着て、プロ気取りだったのは、約百組ほどの中で、のりおさんところと、私のところだけだったのです。 のりおさんの小説にも登場しますが、相方が中学の同級生の田中さんという人。 この田中さんが、ツッコミ上手いし、男前だったのです。 オ-ディションで、互いに意識はしていたものの会話する機会もなし。 その後、高校3年の時「トップホットシアタ-」(現在のナビオにあった寄席)に「淀公一公二」という名前で、のりおさんは田中さんと舞台を踏んでおられました。 この二人の漫才に、私は笑い転げたのを記憶しています。 とにかくアドリブだらけの漫才。 新人離れしたステ-ジだったからです。 その後「淀公一公二」のコンビは、どうやら解散したようで気にはなっていました。 そこで、八方さんの楽屋で再会となった訳です。 話を聞くと、今は「横中バックケ-ス」という新コンビを組んで「松竹芸能」の舞台に立たれているとか。 八方さんが来るのが遅かったせいもあり、私とのりおさんの会話は二人で盛り上がりました。 こうして、のりおさんと私は、急接近することになったのでした。 PR |
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