萩原芳樹のブログ
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ヨんちゃんは、小学3年の春に転校をした。
もう汽車で通学することもなくなったので、気持ちは楽になったが、反面不安でいっぱいだった。 転校生なら誰しも同じ心境で新天地を迎えたのだと思うが。 ヨンちゃんは、3つ年上の6年生になる姉と一緒に転校することになったのだが、もう一人家族の一員も同時転校となった。 母親である。 ヨンちゃんのお母さんは、小学校の教員で、同じタイミングで同じ小学校の勤務となった。 母と子が同じ学校にいる・・・このことがヨンちゃんの運命を左右することになる。 3年の一学期の始業式の日。 全校生徒は校庭に整列。 教頭先生が、新任としてやって来たヨンちゃんのお母さんを紹介し、ヨンちゃんのお母さんは朝礼台の上に立って挨拶を。 その時であった。 教頭が「先生のお子さんも一緒に転校されて来られたので紹介します」 と、なんとヨンちゃん姉弟も、呼び出されて朝礼台に一緒に立たされたのであった。 全校生徒の視線をまともに受けたヨンちゃんは、「嫌~な予感」がした。 「浮いてる・・・」 直感でそう感じた。 その後、ヨンちゃんは「先生の子」と、全校生徒から呼ばれるようになってしまった。 教室に入った。 新学期なので、学級委員長の選挙がいきなり始まった。 ヨンちゃんは、選挙結果に驚いた。 圧倒的多数で、ヨンちゃんが学級委員長に選ばれてしまったのである。 2年まで通っていた城東小学校では、1・2年とも、二学期の委員長だった。 ヤスオちゃんに勝てなかったからなのだ。 「ヤスオちゃんがいなくなった今、僕はクラスの一番なのか?」 一瞬ヨンちゃんは嬉しくもあったが、よくよく考えると、とんでもないことであったことに気付いた。 クラスメ-トの名前も知らないし、今までの町うちとは違って、ここは田舎の学校である。 いろんな習慣が違うので大変だろうな・・・そんなヨンちゃんの予感が見事に的中した。 いきなり学級委員長にさせられ、校内でも注目される立場となったヨンちゃんに、地獄の日々が待ち受けていたのであった。 PR
ヨンちゃんとヤスオちゃんは野球仲間として、小学1~2年の間、夢中に野球をした。
運動神経の良いヤスオちゃんは、あっという間にヨンちゃんを追い抜いてしまった。 ヤスオちゃんは「郷ひろみ」のようなマスクで、女の子に人気があった。 その上、勉強もできた。 二人で通信簿を見せ合ったことが一度あった。 ヨンちゃんよりも、ヤスオちゃんの方が「5」が2つ多かった。 ヨンちゃんは、「何をしてもヤスオちゃんには、かなわない」 と、決めつけていた。 そして、小学3年でヨンちゃんは田舎の学校に転校し、ヤスオちゃんとも離ればなれとなる。 その後、ヨンちゃんは野球にこだわりを持つこともなくなるのだが、ヤスオちゃんは、ずっと野球を続けていたようだ。 風の頼りに中学の市民大会で、ヤスオちゃんがピッチャ-で優勝したことを耳にした。 「ああ、転校しないで一緒に野球してたら今頃は優勝仲間だったのに」 のちにヨンちゃんは、残念がったが仕方ない。 そんなヤスオちゃんと、もう逢うこともない・・・と、思っていたのに偶然再会することになる。 その再会の場面が余りにもドラマのワンシ-ンのようであった。 それは、ヨンちゃんが高校3年の夏のことである。 その頃、ヨンちゃんは女子高の女の子と付き合っていた。 が、その日ちょっとしたトラブルがあって、デ-トの最中に彼女を帰してしまったヨンちゃん。 気にはなっていた。 今度何と謝ろうかな・・・と、姫路の駅前を歩いていたその時であった。 彼女が別の男と仲良く歩いているではないか。 その相手の男性を見てヨンちゃんは驚いた。 なんと、ヤスオちゃんだったのである。 どうやら彼女は以前から、ヨンちゃんとヤスオちゃんの二股をかけていたようなのである。 ヨンちゃんは、またまたヤスオにしてやられた・・と、思った。 その後、ヨンちゃんはヤスオちゃんと二度と会うことはなくなった。
ヨンちゃんは野球が得意であった。
隣家に住んでいた婆ちゃんの末っ子、つまり叔父さんがヨンちゃんの5つ年上で、「芳樹、キャッチボ-ルするから、キャッチャ-やれ!」と、幼稚園の頃から、5つ年上の叔父さんのキャッチボ-ルの相手をさせられていた。 その頃のヨンちゃんは、引きこもり気味に一人遊びばかりしていたので、父親が叔父さんにお願いしてのことだったのかも知れない。 5つ年上の叔父さんのキャッチボ-ルは、「巨人の星」さながらの特訓であった。 5つ年下の幼稚園児というのに容赦はしない。 ビュンビュンと剛速球を投げて来て、ボ-ルを後ろにそらすと叱る。 その上、変化球のカ-ブまで投げて来るのである。 当然のごとく、ヨンちゃんは小学一年生では、ダントツに野球の上手い子供に成長していた。 その叔父さんの勧めで、町内の少年野球チ-ムに一年ながら入団した。 今でいえばリトルリ-グである。 ユニフォ-ムを買ってもらった。 しかし、当時さすがに小学一年レベルのユニフォ-ムは、スポ-ツ店にはなかった。 ヨンちゃんは、ブカブカのユニフォ-ムで、チ-ムの練習に加わる。 でも、日暮れまで球拾いばかり。 背番号がほしかった。 ヨンちゃんは、当時「大毎オリオンズ」の山内選手の大ファンだったので、背番号「8」をつけてもらった。 が、すでにチ-ム内には背番号8の人がいたので、ヨンちゃんは「3」を足して、「38」の背番号を背負うことになった。 それでなくても、ブカブカのユニフォ-ム。 そこで大きな「38」の背番号である。 ヨンちゃんは、新しい背番号をつけて練習場に行ったところ、みんなから大笑いされた。 「オマエ、背番号が歩いているみたいやな」 「38て、ウソの38(サンパチ)か?」 少年野球チ-ムの構成は、4年生以上であった。 一年生のヨンちゃんは置いてけぼりの存在。 6年の叔父さんは、さすがチ-ムの3番バッタ-で、カッコ良かった。 「これはヤバイ。誰か仲間を見つけよう」 と、ヨンちゃんは、クラスの中でも、抜群の運動神経を誇る「ヤスオ」ちゃんに声をかけた。 ヤスオちゃんは、一年ながら地上回転(トンボ)もできる友達だった。 こうして、ヨンちゃんは、ヤスオちゃんと少年野球チ-ムで球拾いを一緒にすることになった。
ヨンちゃん一家が引っ越すことになった。
ヨンちゃんが小学2年の二学期のことである。 新築の家に住むのは心地よく、ヨンちゃんの部屋も8畳と3畳の二間続きを与えられたので、のびのび気分だった。 しかし、学年の途中だったので、ヨンちゃんは半年間ランドセルを背負って、汽車に乗って通学することになった。 播但線という田舎の路線で3駅を毎日ランドセルを背負って通うのである。 「京口」という駅で、友達とサヨナラをして、ヨンちゃんは汽車に乗る。 友達と遊びたいが、家が遠いのでそうもいかない。 でも、家に帰ると待ってくれているのは愛犬のマリだけだった。 両親は共稼ぎで帰りは遅く、姉も上級生なので帰りは遅かった。 帰宅しても一人寂しいので、婆ちゃんの家で遊んで帰ることも、しばしば。 婆ちゃん宅で夕飯をご馳走になり、夜9時を過ぎて帰宅したこともあった。 当然ヨンちゃんは両親に思いっきり叱られた。 当時ヨンちゃんが通っていた汽車は、まだ蒸気機関車。 デッキの扉は開いたまま走っている。 ヨンちゃんは、デッキに立つのが好きだった。 風を受けられるのが楽しい。 そして、降りる時は、列車が止まる直前に飛び降りをした。 着地が見事に決まった時は、ヒ-ロ-のようで気持ち良かった。 この飛び降り・・・日が経つにつれ、どんどん冒険心で加速して行った。 つまり、まだ列車がかなりのスピ-ドなのに飛び降りを試みる。 成功するので、飛び降りのタイミングがどんどん早くなって行く。 そんなある日のことだった。 列車はまだ猛スピ-ドでホ-ムに滑り込んだ瞬間のことだった。 ヨンちゃんは勇気を出して飛び降りてみた。 と、ランドセルを背負ったヨンちゃんがホ-ムでコロコロと何回転も。 驚いた駅員さんが走って来て、 「大丈夫か?危ないことすんな!」と。 幸いケガはなかったが、ヨンちゃんは思った。 「やはり人間のする冒険には限界がある・・・」と。
ヨンちゃんは、両親から稽古ごとを幼い頃から通わされていた。
まず幼稚園の時からは、絵と習字のお稽古。 そしても2年生になると、そろばん塾へと。 3歳上の姉がピアノを習っていたので、ヨンちゃんも勧められたが、ヨンちゃんは嫌がった。 「ピアノを習うなんて、女のすること」と、思っていたからであった。 そんなヨンちゃんが、2年生の時、ウクレレ教室に通うことになった。 バイオリンならいざ知らず、小学2年生がウクレレを習うなんて前代未聞のことだと今でも思う。 何故ヨンちゃんが、ウクレレ教室に通うことになったのか・・・。 つまり、こういうことなのである。 ヨンちゃんが2年生の時、家族旅行で東京に行った。 勿論新幹線なんてない時代。寝台車に乗っての旅であった。 憧れの東京タワ-に登ったヨンちゃんは、「やっぱり東京だわぁ~」と言ったとか。 その東京タワ-内の楽器店にギタ-があり、ヨンちゃんは両親にねだった。 しかし父親は「そんな大きな楽器無理や。こっちの小さいのにせえ」と、訳もわからずウクレレをヨンちゃんに買い与えてしまったのである。 「せっかく買ったウクレレや。教室探すからな習いに行け」 と、ヨンちゃんはウクレレ教室に通うことになった訳である。 近所の民家で、バイオノン教室を開いていた爺さんが、ウクレレをヨンちゃんに教えてくれた。 チュ-ニングと、メロから入り、すぐコ-ド進行の稽古になった。 ウクレレは言わずと知れたハワイの楽器である。 ヨンちゃんは小学2年生にして、何曲ものハワイアンをマスタ-してしまった。 そんなある日のこと、ヨンちゃんが大好きな婆ちゃんが、 「芳樹、ウクレレ借して」 と、ウクレレを引き始めた姿にヨンちゃんは驚いた。 「婆ちゃんがハワイアンを弾いている・・・」 婆ちゃんが三味線得意なことは知っていたが、自分の婆ちゃんが器用で多芸なことにビックリしてしまったヨンちゃんだった。
ヨンちゃんの近所の幼な友達にテッちゃんという子がいた。
ヨンちゃんは、テッちゃんのことが余り好きではなかった。 というのも、「イキリ」で「ウソつき」だったからだ。 ヨンちゃんは大人になってからも、イキリとウソつきはずっと嫌いな人種である。 そんなヨンちゃんがプロの漫才師としてコンビを組んだ相手が、大のつくウソつき。 コンビを解散したのも、当然といえば当然すぎた。 ヨンちゃんが幼稚園の頃のことであった。 近所の子供達仲間と空き地で遊んでいると、ウソつきのテッちゃんがやって来て、 「おいみんな、色つきのガムを食べたことがあるか?」と、言って来た。 ヨンちゃんは「またか」と、思った。 テッちゃんはみんなの注目を集める為なら、手当たり次第にウソをつくことに飽き飽きしていたのである。 「色つきのガム?そんなんある訳ないやろ!ええ加減なウソつくな!」 と、ヨンちゃんは言い放った。 当時ガムといえば、真っ白なガムしかなかった時代である。 「ホンマやもん」 「絶対ウソや。そんなら今すぐそこのヤッショ(駄菓子屋)に行ってみよか?」 「ええよ、売ってるから」 みんなで近所の駄菓子屋へ確認しに行くことになった。 ヨンちゃんには自信があった。 毎日小遣いの10円玉を握りしめて通っている駄菓子屋。 今日こそまだ行ってないが、昨日まで色つきのガムなんて夢のようなガムがないことを、確認していたからだ。 みんなでヤッショの中に入った。 と、そこには「グリ-ン色のガム」がしっかりとあった。 「ホラ、あったやろ?」 ウソつきテッちゃんは得意げに言った。 ヨンちゃんは言葉も出なかった。 「狼少年」ではないげれど、「ウソつき」と決め込んで全く信用しないということは間違いなのだ・・・と、感じたのである。 しかし、大人になって相方に騙され続けたヨンちゃんは、やはり「ウソつき」の言うことを全く信用しないようになってしまったようである。 |
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