萩原芳樹のブログ
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「キャバレ-哀歌」は昭和42年の物語。
ちなみにその頃の物価を調べてみますと・・・ 「あんぱん・・・20円」 「食パン一斤・・・40円」 「キャラメル一箱・・・20円」 「小学校の先生の初任給・・・24100円」 でも、タマゴが今に比べて異常に高かったと思います。 一個15円くらいだったでしょうか。 それにバナナも高かった。 一本40円はしたと思います。 その頃の果物の王様はバナナ。 私もバナナを思いっきり食べれたら死んでもいいかな・・と、思った程。 メロンなんて、勿論庶民の口には入りません。 「ウリ」がメロンだと思っていた時代です。 そんなデ-タを参考にして、芝居上「ホステスさんの日給」を3千円で、一回の指名バックが5百円としています。 「違うぞ!」と、思われる方は、間もなくコメント欄を開きますので、ご意見をください。 そして、芝居上で「ホステス斡旋料」を一人につき一万円としていますが、これに関しては確かな下調べに基づいております。 PR
今日、今回の芝居でお世話になる宇野山さんのライブがあると聞いたので、行って来た。
宇野山さん率いる「ハリケ-ン」の素晴らしいバック演奏で唄ってらしたのは、「中川シゲオ」さんという古きロカビリ-歌手。 プレスり-ナンバ-を10曲程歌われていたのだが、さすが昭和40年頃の「ナンバ一番」のスタ-だっただけに色気たっぷりに迫力満点。 でも、65歳と聞いて、また驚き。 宇野山さんといい、本当にパワフルな60代なのである。 「シゲオさん」の新曲「神戸ハ-バ-ライト」は、昭和歌謡の匂いもあり、なかなかの名曲。 「キャバレ-哀歌」のム-ド盛り上げの為にも、是非使わせていただきたいと思った。 この「シケオさん」なる65歳のロカビリ-歌手。実は、今年の年末の紅白歌合戦の出演依頼も来ているらしい。 年上の方の、こんなエネルギッシュな姿を見ていると、私も勇気がわいて来る。 帰りに、「モツ鍋チェ-ン」の「ふくみや」さんに寄り、またまた年上で元気な社長とも会話できた。 現在7店舗を経営していて、また新たな店を出店しようという前向きな話を聞いているだけで嬉しくなった。 不景気ドン底のこの国を救えるのは、そんな下町庶民的なオッサンパワ-なのかも知れない・・・と思った。
劇中に遠足の弁当の話が出て来ます。
昭和30年代といえば、日本も戦後から立ち直ったといっても、まだまだ貧困家庭が多い時代でした。 私も小学校の頃(昭和30年代)遠足の弁当の時間が複雑な思いをしていたのを記憶しております。 いつも元気で明るい子が、弁当の時になると、みんなと離れて一人寂しく弁当を食べようとするのです。 「こっちへ来て、みんなで食べような」 そう誘っても、その子はコッソリと隠れるようにして弁当を一人食べていました。 その頃の遠足の弁当といえば、巻き寿司かおにぎり。 私の母も、遠足の朝は早起きをして、わざわざ巻き寿司を作って持たせてくれたものでした。 おそらく一人で食べていた子の弁当は、白ご飯にわずかなおかずだったのでしょう。 それが恥ずかしくて、みんなと離れて食べていたのだと思います。 そういえば金持ちの子の弁当にビックリしたことがありました。 フル-ツサンドを弁当に持って来ていたのです。 今から考えればたいした弁当でもないのですが、当時フル-ツサンドなるモノは、私達子供にとっては衝撃でした。 サンドウィッチは当然食べたこともありましたが、中にフル-ツが入っているのには本当に驚きでした。 「横山くん、一つ分けてぇな」 と、私はお裾分けをしてもらい、生まれて初めてのフル-ツサンドをいただきました。 それからというもの・・・今でもフル-ツサンドだけは、その時の思い出があって大好きな食べ物の一つです。
今回の「キヤバレ-哀歌」の冒頭シ-ンに、キャバレ-のホステスさんが引き抜かれたという事件が勃発します。
昭和の時代、どこのキャバレ-もホステスさんが財産なので、引き抜きには注意を払っていたものでした。 私も、そんな場面に遭遇した経験がありました。 キャバレ-ではないのですが、新宿歌舞伎町の「サバンナ」というクラブに、週に一回の契約で私がボ-ドビルショ-をしていた頃のこと。 ある日、店に行ってみると「ホステスがごっそり引き抜かれたのでショ-は中止する」と、マネ-ジャ-から。 一回一万円の契約で、その度現金をもらっていた私は、 「ショ-を中止するならキャセル料をください!」と、ごねました。 すると、「何を言ってるの!できればあんたにもホステス代わりに客の席についてほしいくらいだ」と。 私は、店と正面からケンカして、「もうこの店、来ませんからね」と。 まだ20歳の若者でしたから、ホステスを引き抜かれた店の立場も考えずの行動だったのですね。 その店を出たものの、正直財布には小銭しかありませんでした。 店から現金でもらえる一万円をアテにしていたのです。 むしゃくしゃしたので、歌舞伎町で飲むことにしました。 でも所持金はないので、知り合いのマスタ-に電話して、ツケにしてもらうことにして。 そのマスタ-は、私の様子を察して「何があったんだよ?」と。 私はショ-がキャンセルになった話をして、そして・・・。 「マスタ-、実は金ないんですわ。帰りの電車賃、千円くらい貸してもらえませんか?」 そう言うと、マスタ-は「男が千円貸してなんて言うな!カッコ悪い。金借りるのはなぁ、一万円単位や」 と、一万円を手に握らせてくれ、 「五郎ちゃん、これは出世払いで貸した一万円だよ。返したいのなら、早く売れることだ」と、マスタ-。 その時、思ってもみなかった涙がボロボロとあふれて出て来ました。 マスタ-の優しさ。そして、自分の情けなさに対して。 「自分のような者にも、応援してくださる人がいる。キャンセルされた店のマネ-ジャ-も、そうだった筈だ。なのに・・・なんて自分勝手な奴なんだ、俺って」 結局、私は売れなかったので、その一万円を返しそこなったまま。 歌舞伎町の優しいマスタ-、本当にゴメンなさい。
昭和の時代、検便なるモノがありました。
子供達の体内に寄生虫がいないかを検査するモノで、検便当日は自分のウンチをマッチ箱に入れて学校に持って行かなければなりません。 検便の朝の登校は大変です。 みんな自分のウンチをマッチ箱に入れ、新聞紙に包んでヒモでぶら下げている訳ですが、ここでイジメの構造が起ります。 つまり、弱い者に自分の検便を持たせようと。 集団登校で、下級生が上級生の検便をいくつも持たさせて登校していたりしていたものです。 でも、この検便。朝、なかなかウンチが出ないと大変な騒ぎです。 その日、学校にも行けません。 仕方なく、母親のウンチを持って来たり、犬をウンチを持って来る奴までいました。 学校に行って、検便を渡してしまえば終わりなのですが、ところが結果の時がまた大変。 何しろ先生が「検便の結果、寄生虫のいた生徒の名前を言います」 と、教室で大声で寄生虫のいた子の名前を担任が発表するのです。 寄生虫がいたと言われた女の子が、恥ずかしさの余り泣いていたのを覚えています。 可愛い女の子のあだ名が、たちまちその寄生虫になってしまうのです。 先生は「誰だ!そんなひどいあだ名をつけた奴は!」 と、怒ってましたが、「あんたがしでかした結果やがな」と、私は思ってました。 今とは違って、地面が舗装されてない土の状態で、子供達は連日土と遊んでいたから寄生虫も当然宿っていた訳なのでしょうね。
「キャバレ-哀歌」の劇中に、子供の頃の話が出て来ます。
昭和42年の芝居で、その登場人物の子供時代となると、昭和30年前後の話になります。 まだTVが普及していない時代、「紙芝居のおっちゃん」は、子供達の人気者でした。 毎日夕方になると近所の空き地にやって来て、まずは拍子木で「紙芝居のおっちゃんが来たでぇ!」とばかりに子供達に合図を送ります。 子供達は、我先にと10円玉を握りしめて、紙芝居を見に空き地に集まって来ます。 手にした10円を紙芝居のおっちゃんに渡すと、おっちゃんは紙芝居の台の薄汚れた木の引き出しに入った「サッカリン」だらけの訳のわからないお菓子を「ハイよ」と、手渡します。 つまり、その10円が紙芝居を見る為の入場料のようなものです。 子供達は、サッカリンだらけの駄菓子をパクつきながら、おっちゃんの紙芝居に食いつきます。 私も幼い頃だったので、記憶は確かではないのですが、紙芝居の内容は何だか意味不明のヒ-ロ-ものが多かったような気がします。 そして、一話完結ではなく、おっちゃんは「続きは、また明日!」と、さっさと帰ってしまうのです。 そんな紙芝居に「ただ見する子」の存在がありました。 おそらく小遣いの10円を親からもらえず、でも紙芝居は見たい。 そこで、電柱の影からこっそりと見ていたりしていたのでしょう。 「おっちゃん、あいつタダ見してるで!」 10円払った子供達は集団になって、タダ見している子のことを、紙芝居のおっちゃんにチクります。 すると、「タダ見はゆるさん!あっちへ行け!」 と、紙芝居のおっちゃんは、タダ見していた子供を追い払うのです。 こんな昭和のエピソ-ドも、今回の劇中に出てまいります。 |
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