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萩原芳樹のブログ
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今日は、「キャバレ-哀歌」の脚本を、一旦中断して漫才台本を書くことに。
「サブロ-&雀々ス-パ-漫才」(4/23ワッハホ-ル)の漫才台本を昼間書いていた。

漫才台本は、私の原点なので、やっぱり書いている時は背筋も伸びる。
そして、ついつい自己満足で自分自身が笑いながら書いているという状態。
変な奴だ。実に・・・。

夜は、私の長男が神戸の「チキンジョ-ジ」で、ライブをやるので観に行った。

チキンジョ-ジは、歴史ある素晴らしいライブハウスであると、改めて感動すらした。

来月には、あの「大西ユカリ」さんが、ゲストに宇崎竜童さんを迎えてライブをされるらしい。
誠に渋いライブハウスの匂いを久しぶりに味わせていただいた。
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さて、元「リンド&リンダ-ス」のメンバほであった宇野山さんですが、GSブ-ムが去った後、リンド&リンダ-スは解散。
宇野山さんはベ-シストとして、他のバンドに移籍されます。

宇野山さんは、日本で最初にエレキベ-スを持ったという人ですから、引くてあまたの存在。
フレッシュメンという当時の大阪NO1のバンドに所属され、「ヤングお-お-」のバッグバンドとしても活躍されます。

でも、何事にも興味を示し、深い研究心の宇野山さんは、音楽面以外でも、その才能を発揮されます。
当時では珍しい「ギョウザ専門店」を、音楽のかたわら開業されたのです。

そして、そのギョウザも「こだわりだらけ」
かつてないギョウザを作りたい・・・と、今ではお馴染みの「小ぶりギョウザ」の第一人者でもあるのです。
一時は、阪神デパ-トでも販売されていて、製造が追いつかないことで、結局は自分の店でしか販売しないということになりましたが。

宇野山さんの話を聞けば、昭和の関西の音楽史が勉強できます。
和田アキ子さんのデビュ-前の話やら、シルビアさんを素人から発掘した話やら。

そんな宇野山さんですが、現在はギョウザ店の社長のかたわら、ベ-シストとしての活動も続け、尚かつ俳優業もされているという非常にバイタリティのある方です。
いつもお会いする度に、宇野山さんの元気をもらえます。

そんな宇野山さんが、自ら率いる「ザ・ハリケ-ン」というバンドで、今回の「キャバレ-哀歌」の音楽パ-トを引き受けてくださることになりました。
誠に感謝、感謝!

芝居は勿論のこと、今回は生バンドの演奏にも注目してください。
6月「ABCホ-ル」で公演いたします「キャバレ-哀歌」只今脚本の執筆中です。
このブログでも、いつものように「お芝居の予習」というか、芝居背景を少しずつ紹介いたいと思っております。

今回の設定は、昭和42年。
どんな年であったのか、まずはお話しましょう。

東京五輪が終わり、日本は「イザナギ景気」に沸いていた高度成長時代。
ビ-トルズが来日したのが、前年の昭和41年で、余りにも衝撃的だったのを記憶しております。
武道館に前座としたのが、「ブル-ジ-ンズ」と、「ドリフタ-ズ」でした。
「ブル-ジ-ンズ」というバンドは、寺内タケシさん率いるメンバ-で、日本のエレキバンドの草分け的存在でした。
後に「ワイルドワンズ」を結成する加瀬さんも、そのメンバ-。

つまり、ビ-トルズの反響が余りにも凄すぎて、そんな影響からなのか、日本に空前の「GSブ-ム」が巻き起こる訳です。

「ブル-コメッツ」「スパイダ-ズ」「タイガ-ス」が、この昭和42年に次々とスタ-ダムにのし上がって行く訳ですが、そんなGSブ-ムの原点となったのが、「音楽喫茶」と呼ばれていた当時のライブハウスの存在です。

大阪には、伝説の「ナンバ一番」というライブハウスが、すでに人気を得ていました。
京都出身の「タイガ-ス」のメンバ-は、「ファニ-ズ」という名前で、その「ナンバ一番」に出ていたところを渡辺プロにスカウトされ、上京してデビュ-となった訳です。

さて、その「ナンバ一番」には、大阪を代表するGSグル-プがトップの座に君臨しておりました。
「加賀哲也とリンド&リンダ-ス」というグル-プです。
彼等は後輩の「ファニ-ズ」の面倒を何かと見て来ました。
京都から来た彼等に天下茶屋のアパ-トを世話したり・・・。

その「リンド&リンダ-ス」のベ-シストであった宇野山さんが、今回の「キャバレ-哀歌」の音楽面を支えてくださいます。
どんな方なのか・・・。大変興味深い方なので、ゆっくりとご紹介して行きましょう。
6月「ABCホ-ル」で公演の「キャバレ-哀歌」
今回は脚本も遅れてしまって、やっと今から脚本段階に入ります。

今回のお芝居は、様々な歌が劇中に登場する訳ですが、そんな中に童謡の「赤い靴」があります。
♪赤い靴 は~いてた女の子 異人さんに連れられて行っちゃった
あの詩です。

この歌のことを調べてもらえば、今回の芝居を何倍も楽しめると思いますよ。
切なすぎる明治時代の実話を背景に生まれた歌なのですが・・・。

また今回も「切なバカバカしい芝居」を作り上げたいと思っております。


昨日は「第45回上方漫才大賞」の本番。
中川家が大賞に輝き、奨励賞は「笑い飯」新人賞は「スマイル」という結果だった。

生放送を終えての祝賀パ-ティの席上にて、中川家と会話を。
放送中の再現VTRでは「NGKのトリが目標」と締めくくったので、改めてそのことを確認してみた。

ところが、お兄ちゃんの剛が「僕等、トリは取りたくないんです。モタレでいいんです」と。
「トリって、責任重いでしょ」
そう言ったのだが、私はその時、ある大物兄弟コンビのことがよぎった。
「いとしこいし」先生のことである。
いとこい先生は、トリを嫌がる人達だった。
「トリなんて恐れ多い」とばかりに、絶対に生涯トリを取らなかった方達であった。

「剛、それ『いとこい先生』にあやかってるのか?」
私が聞くと、剛はニッコリ笑って、
「そうです。それと『いとこい先生』から、漫才の冒頭で自分達の名前を言うなと、言われたので守ってます」と。

この兄弟、同じ兄弟漫才の「いとこい先生」のことを本当に尊敬しまくっているようである。
そういえば思い出した。
中川家が、上方漫才大賞の新人賞を取った年のこと。
控え室で、その年「特別賞」を受賞された「いとこい先生」のすぐ背後に二人は黙って立っていたのだ。
「何をしてるの?」と、聞くと、
「すぐ傍にいたいだけなんです」と、剛は嬉しそうに語っていたことを。

中川家・・・「いとこい先生」を超える大物兄弟コンビになることを願っている。
いや、そうなってくれると信じている。


アフリカから、奴隷として連れて来られた人達。
連日過酷な労働で、何の楽しみもありません。

食欲、性欲、物欲等々、人間としての全ての欲望を奪われての暮らし。
もはや生きる望みも失っている訳ですが、死なせてももらえません。

そんな彼等は、連夜奴隷小屋に入れられた時、彼等なりの楽しみを生み出したのです。
「唄う」ということです。

何を唄ったのかというと、とりあえず日々の暮らしを歌にして。
例えば「ああ、腹が減った減った」
という即興の歌詞に勝手なメロディをつけて唄ったのです。
楽器なんか勿論ありません。
その辺のモノを適当に叩いて唄ったのでしょう。

「バナナボ-ト」の歌詞とリズムのアンバランスさが、これで解明できました。
彼等は、日頃の嘆きや悲しみを歌詞にして。
というか、その程度の言葉しか出てこなかったのでしょう。

でも、リズムはノリノリ。
悲しい歌詞に陽気なリズムが加わって行く訳です。
南米辺りの音楽にパ-カッションが多いのも、どうやらそのせいらしいです。
手当たり次第、その辺りのモノを叩いて唄う・・・これです。

人間、どんなヒドイ状況下でも、生きている喜び、「娯楽」を求めたくなるのだろうなぁと、つくづく思ったしだいです。

さて、こんなジャマイカのお話をしましたが、実は今度のお芝居「キャバレ-哀歌」のメインテ-マでもあるのです。

キャバレ-歌手を夢見る主人公は、ジャマイカの奴隷とまでも行きませんが、貧しい身の上。
お金のかからない「唄う」ということが、彼女にとっては何よりも幸せだったのです。



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