萩原芳樹のブログ
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「お茶子のブル-ス」6人のゲストの方、
続いては「大木こだま」さんについてお話します。 私が初めて「大木こだま」さんを見たのは「トップホットシアタ-」という劇場でした。 当時、私は東京でタレント活動していて、久しぶりに帰阪して、友達の西川のりおさん(当時は横中バック)と逢っていました。 「今、トップホットに『こだまひかり』いう新人が出てるのやけど、面白いでぇ」 そう言われて早速観に行ったところ、新人ながら堂々としていて爆笑を取っていました。 「凄い新人コンビが出て来たもんやなぁ」 漫才の腕もさることながら、師匠ナシでこの実力。 「絶対に売れる筈」と思いました。 その後、「こだまひかり」から「こだまひびき」となって、吉本に移籍され、すっかり上方漫才の大御所になられた訳ですが、 「いつどこで、どんな修業を積まれたのか」 私はずっと疑問でした。 その謎が、ABCの「ナンバ壱番館」の取材で解明されたのです。 それは「子供の頃から雨が嫌いだったこと」 これだけでは全く理解できないと思いますので、詳しくお話しましょう。 「雨が降りそうだなぁ」と、思っても子供は元気に表に遊びに出かけます。 ところが「こだま」さんは、「雨・・・うっとうしいなぁ」と、 家でゴロゴロしていることが多かったようです。 「こだま」さんのお父さんはお笑い好きで、家では常に演芸番組をご覧になっていたとか。 父親とゴロゴロしながらTVを見ていた「こだま」さんですが、何とTVを見ているだけで、いろんな漫才の方のネタの運び方を覚えてしまったらしいのです。 凄いと思いませんか? TVを見ているだけで、漫才のパタ-ンを熟知してしまう少年・・・。 このことがプロになって「このネタは昔の○○師匠のあのネタと似ているから、運びは引用しよう」ということになったそうです。 でも「漫才ブ-ム」の頃は随分と悩まれたようです。 「漫才ブ-ムの連中みたいに、あない早いテンポで喋られへん」と。 しかし、「そうや!逆にゆっくりマイペ-スでやったらええのや!」と、 今の喋り口調がどんどん磨かれて行ったようです。 そんな「こだま」さんがゲストとして登場される際、果たしてどうなるのでしょうか。 「チッチキチ-」は、昭和44年の物語なので封印してもらいます。 ひょっとして、何か新ギャグが誕生するかも知れません。 お楽しみに! PR |
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