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萩原芳樹のブログ
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さて、「天正伊賀の乱」についてお話する前に、その前の時代の出来事から話をします。
(歴史の話って、ことが起こるには前段で、それなりの理由があるからです)

まず織田信長は、伊賀を侵攻しようとはしませんでした。
というのも、第一に考えられるのは、信長は「天下統一」の為、京に上るのに邪魔な国を攻め続けていて、伊賀の国は道中ではなかったから。

それに、伊賀には守護(戦国大名)はいませんでしたから、「ここ」という攻める拠点もなかったのです。

それよりも、一番考えられることは「伊賀は容易に攻められない」と、信長は考えていたようです。

先日のブログでも書きましたが、伊賀の忍者集団は「伊賀惣国一揆」という同盟を組んでいます。
中途半端な攻め方をすれば、逆に忍者達のゲリラ戦法によって、タジタジになる可能性があると思っていたようです。

もしも伊賀忍者集団に敗れでもしたら、「織田信長の軍勢はたいしたことはない」と、全国に評判が立ってしまいます。
そんなリスクを背負ってまでも、伊賀を攻撃する必要はなかったのです。

では、そんな信長が何故伊賀を侵攻するようになったのか・・・。

時代はさかのぼり、永禄11年。
伊賀の隣国「伊勢」を当時治めていたのが、南北朝時代から勢力を誇って来た「北畠」家。
古くから、伊勢の国司で「北畠具教」が第8代当主でした。

そんな北畠具教が上洛の妨げになるとして、信長は伊勢を侵攻します。
兵数では劣る北畠軍は激しく抵抗するのですが、なんと具教の弟の「木造具政」が、織田軍に寝返ってしまいます。

結局50余日に及ぶ抵抗の末、具教は信長に降伏を。
この時、具教は降伏の条件として、信長の次男の「信雄」を婿養子として迎えることになります。

具教にはまだ子がなかった為、具教の娘の「雪姫」が、信雄に嫁ぐことになったのです。

さて、ここからです。
わざわざ勝利をおさめたのに、息子を婿養子にさせた信長。
何も、「親子仲良くやって行け」等とは決してない筈。
機会を見て、義理の父である具教を殺すように・・・と、信雄には命じていたのでしょう。

そして、その日がやって来ました。
ここでも裏切り者が出て来ます。
また続きは後日にて・・・。
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