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萩原芳樹のブログ
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京橋花月よる芝居3月公演「お茶子のブル-ス」
いよいよ稽古が始まりました。

「お茶子っていったい何だろう?」
という方の為に、今日は「お茶子さん」についてご説明します。

現在関西の寄席で「お茶子さん」が存在するのは「繁昌亭」くらいですが、かつてはどこの寄席の楽屋にも「お茶子さん」はいました。

そもそもの語源は「お茶汲み」から来ているらしいのですが、
楽屋の掃除を始めとして、電話の取り次ぎや出前の注文、訪問客との応接や、楽屋の差し入れを受け付けたりと、楽屋全般のお世話をしてくださる方で、
大昔の話では、お客さんを客席に案内したり、落語家さんが高座を終えると、出て来て座布団をひっくり返したり、出演者の名前を記した「めくり」と呼ばれる名前ビラをめくったりと、大忙しだったようです。

「お茶子のブル-ス」は、昭和44年のお話です。
その頃の寄席楽屋には、どこも「お茶子さん」と呼ばれるオバサン達がいました。
だいたい平均年齢が60歳位だったでしょうか。
「うめだ花月」や「なんば花月」の楽屋に入ると、入り口にカウンタ-があり、その奥が「お茶子部屋」と呼ばれるお茶子さん達のたまり場です。
ここで、楽屋訪問に来たお客さんの受付をしたり、芸人さんにかかって来た電話を受け継いだり、出前の注文をしてもらったりしていました。

いつ頃から、「お茶子」として楽屋にいるようになったのか、私もわかりませんでしたが、ベテランの大師匠でも頭が上がらない存在。
つまり、昔から楽屋にいるので、かなりのベテラン師匠クラスでも、弟子時代から面倒を見て来ているからです。

でも、それまで呼び捨てにしていた若手芸人を急に「○○師匠!」と、呼ぶ時があります。
それはファンからいただいた差し入れを「どうぞ召し上がってください」と、お茶子さんにあげた時。
私もファンが作って来てくれた弁当を、差し上げては「順一師匠」などと呼ばれたりしていました。

お茶子さんが会社や劇場から、どの位のお手当をもらっていたのかはわかりません。
でも、決して裕福ではなかったのでしょう。

そんなお茶子さんに、芸人から「お世話してもらって有り難う」という意味を込めて、「ナカビ」というしきたりがありました。
劇場出番のちょうど真ん中の日、つまり中日に心付けとして、いくらか包むというものです。
我々は若手でしたから、ナカビは千円でしたが。

楽屋の雑用係なのですが、楽屋の主でもありました。
常に楽屋にいて、いろんなコンビのケンカしている場面を見たり、芸に悩む若手をそっと横からご覧になっていたのでしょう。
舞台でスボンが破れたら「縫うてあげるから、貸し」と言ってくださった優しいお茶子のお姉さん。
今どんな暮らしをされているのでしょうか・・・・。

「お茶子のブル-ス」では、主役となるお茶子「ナツエ」をメグマリコが演じます。
とても悲しい過去を持った女性ですが、元気いっぱいのお茶子さんです。
どんな過去なのか・・・それは今度少しだけお話します。

ところで明日の朝、ラジオ大阪「むっちゃ元気」に私がゲスト出演し、このお芝居の告知をさせてもらいます。
パ-ソナリティは、お芝居に日替わりゲストとして出演してくださる「オ-ル阪神」さん。
良かったら聴いてください。出番は朝の10時半頃の予定です。
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