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萩原芳樹のブログ
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では、「北京一京二」のコンビについて述べることにします。

昭和46年に漫才コンビとして松竹の角座デビュ-。
京一は「きん枝」さんと高校の落語研究会の同級生で、ゼンジ-北京さんのコ-ケン「二代目ゼンジ-一億」でした。
京二は、「ファンキ-プリンス」という大阪では3本の指に入る人気グル-プサウンズのボ-カリスト。

こんな今までに寄席の世界には存在しなかった若者人気の匂い満載のコンビが私(初代B&B)のライバルでした。
漫才は決して面白いとは言えなかったのですが、R&Bも歌うケッタイな奴等で、まぁ10年早かったというか、20年早かった漫才コンビです。

吉本の花月の舞台に立っていれば、間違いなしに「今のさんまさんの地位」を築いていたコンビだったのかも知れません。

まずコスチュ-ムからして、当時の新人アイドルの郷ひろみや、西城秀樹なんかよりもカッコ良かったし。

当時の雑誌「明星正月号」に、そんな京一京二と、我々B&B、そして「志村けん」のドリフ前の「マックボンボン」が、「東西のお笑い若手ライバル」という記事で紹介されました。

京一とはいろんな仕事場で会っては、一緒に飲む機会も多かったです。
そして、二人口を揃えてこんなことを喋っていたものでした。
「今の関西のお笑いブ-ムはそろそろ終わりやな」
「ブ-ムが去って、地味な寄席芸人としてやって行けるか?」
「お笑いブ-ムも波があって、また10年後には何とかなる。10年辛抱したらええんやけど、俺は嫌やな」
「俺も嫌や」
二人の予感は的中し、関西のお笑い界は暫くして秋風が吹き始めました。
そして、二人の予感通り、それから約10年後にあの「マンザイブ-ム」が到来したのです。

二人は夜のミナミで、互いの夢を語り、新しい人生の冒険に向かってスタ-トすることにしたのです。

その冒険は現実に当時のマスコミを騒がせる大きな事件に発展。
さて、その事件と冒険とは・・・・。
また続きます・・・・。
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