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萩原芳樹のブログ
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昭和45年。関西では、MBS深夜ラジオ「ヤングタウン」が爆発的人気だった頃。

桂三枝さんが、この番組でデビュ-して、あっという間に若者に支持される超売れっ子になって行った頃でした。
月曜~土曜の連日、千里のスタジオには200人近くの若者であふれる公開録音。
夕方に収録したモノを、そっくり深夜に放送するというスタイル。

この番組に高校2年の時、アマチュア漫才として出演した際、ディレクタ-から「いつてもネタが出来たらおいで」と、言っていただいていたので、ネタが完成すれば「ヤングタウン」に出演を。
アマチュアながら準レギュラ-のようになってしまっていたのですね。

当時の「ヤングタウン」の番組構成は、アマチュアフォ-クバンドの演奏が中心となり、司会の三枝さんのゲ-ムコ-ナ-や、お笑いゲストのコ-ナ-で構成されていました。

私達が初めて「ヤングタウン」に出演した時は、アマチュアフォ-クの「赤い鳥」と、同じ控え室。
控え室で「赤い鳥」は、コ-ラスの練習を。
そのコ-ラスの素晴らしさに、私も相方もビックリ。

「よし!負けんように俺等もネタ合わせしようか」と、コ-ラスの練習をしていた「赤い鳥」の傍で、漫才のネタ合わせを。
全く迷惑極まりない話です。

そして、「新ネタが出来ました」と、いきなり当日スタジオに行くと、ディレクタ-は、「では、このCMの後、出番ね」と、即時に出演出番を組んでくれたのです。
今では到底考えられない話。

そんなある時のこと、私達は「アマチュア漫才」として紹介され、続いて「プロの落語家」として紹介されていたのが、当時デビュ-間もない月亭八方さんでした。

出番が終わった後、八方さんが私達の所に来て、「君等はプロか?アマか?」と、興味を持って来られていたのを記憶しております。

それから八方さんと交流が出来て、高校の授業をサボッては、花月の八方さんの楽屋に遊びに行ったりしていたものです。
(失礼。この話、以前のブログでも書きましたか?)

さて、そんな私が高校卒業を目前にしていた三学期の始めの頃でした。
「ヤングタウン」のディレクタ-から、「高校を卒業したら、4月からスタ-トする深夜番組のパ-ソナリティにならないか」という、ビックリするようなお誘いがあったのです。

早速、ラジオ制作の部長さんのところに連れて行ってもらいました。
しかし・・・。

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