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萩原芳樹のブログ
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玉出のアパ-トで連日ネタを作っては、毎週「ヤングタウン」の前説で新ネタを披露していた日々。
19歳だった。

ネタを作れば、「本当に面白いのかなぁ」と、不安になって試してみたくなるもの。
高校時代は、よくクラスメ-トに漫才の新ネタを聞いてもらって、試していた。

しかし、玉出の一人暮らしでは、そんな試す相手すらいない。
そんな時、新ネタを試す場所を発見できたのである。
場所は、アパ-ト近くの喫茶店「レ-ブ」というお店。
昼間から、暇な若者が集まる店だった。

店のバ-テンは、東京からの流れ者。
客はといえば、田舎モノ丸出しのホステスや、煙突掃除のお兄さん、深夜営業の屋台のうどん屋の兄ちゃん・・・等々。
とにかく昼間暇な連中が集まっては、ワイワイとくだらない話ばかり。

私が毎週その店で、新ネタを話すると、みんな興味を持って聞いてくれた。
「面白いなぁ。それは絶対にウケるで!」
喫茶店の連中は、必ず太鼓判を押してくれるのだが、またまたスタジオに行けば、笑いは今ひとつの状態が続く。

そんなある日のこと、私は今努力していることが自分に合っていない芸だと感じたのであった。
私の当時やっていたのは「漫談」と呼ばれる喋り芸。
私は、本来漫才出身である。
二人のかけあいのテンポや、動きのリズムで笑いを作って来た人間。
そんな私は、いきなりしゃべくり一本の漫談で勝負するには無理があると悟った。

よくよく考えてみれば、子供の頃から好きだったお笑い芸人さんといえば、「東京ぼん太」「浅草四郎」「白川珍児」などの動き芸を売りとしていた芸人さん達。(*この方達が、どんな芸人さんだったのかは、後日報告します)

しかし、当時のピン芸人で、しかも関西のピン芸人といえば、落語家さん以外では漫談の人ばかりであった。

私は、自分のピン芸を脱皮する覚悟を決めた。
得意の動き芸を取り入れたピン芸にチャレンジしてみようと思ったのだ。
世間は誰も認めてくれないかも知れない。
しかし、やってみるのみ。

そう思って改革したピン芸が、翌週の「ヤングタウン」で、大爆笑となった。
早速、TVの「ヤングオ-オ-」からも、前説の依頼が。
それが、どんなネタかと申しますと・・・。
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