萩原芳樹のブログ
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私は「葛飾区亀有」の、助三さん宅の二階三畳の部屋をお借りすることができました。
それにしても、2月の東京は寒かったです。 お布団は貸していただいたものの、一枚だったので毎日小さくなって寝ていました。(貸してもらっているのに贅沢は言えません) 赤坂の店を終えて私が帰って来るのは終電。 なので、朝は10時頃に起きて、ブラッと出かける・・・そんな毎日だったのですが、一階に下りると、「お味噌汁出来てますよ」と、助三さんのお母さんの声が。 一階の居間に行くと、白ご飯と、あったかい味噌汁が用意されていました。 「有り難うございます!」と、早速いただきました。 それから毎日、同じように味噌汁が準備されているのに、助三さんのお母さんの姿はありません。 が、珍しく顔を見せていただいたことがありました。 上品なお母さんでした。 「あなた、大阪を飛び出して上京して来たのですってね?それで、ご両親には連絡されてるの?」と。 私が首を横に振ると、お母さんはそれ以上何も聞こうとはされませんでした。 「ごちそうさまでした」と、逃げるように助三さんの家を後にしたのですが。 厳粛なご家庭でした。 話を聞けば、助三さんは、4人兄弟の末っ子で、上のお兄さんお姉さんの3人は全て東京大学卒業とか。 それに対して、末っ子の助三さんは、中学を出て「雷門助六」師匠に弟子入り。 勿論、大反対だったと思います。 そして、お母さんが私なんかに優しい理由がわかったのです。 助三さんは、弟子入り間もなく、一門のもめ事があり、失踪されたという過去があったのです。 結果的に、助三さんのご両親が、師匠に頭を下げて、戻していただいたと聞いておりますが。 自分の息子と同じように失踪した20歳の私を、他人事として放っておけなかったのでしょうね。 私は助三さんのお母さんに感謝しつつも、近所の安いアパ-トを借りて、一ヶ月でその家を出ることにしました。 引っ越しの日、助三さんは、一升瓶を抱えて私を訪ねて来ました。 「新居祝いだ」と。 身寄りもなかった私を、東京で迎えてくださったのは、心ある助三さん一家だったのです。 今でも感謝しております。 PR |
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