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萩原芳樹のブログ
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赤坂の店での「ウェイタ-兼タレント」は、結局三ヶ月続けました。

ステ-ジを終えて、ウエィタ-として、客にオ-ダ-を運んだ時、とても嬉しいことを言ってもらったことがありました。
「ええっ?今ステ-ジでしゃべっていたの、アンタだったの?私はてっきり『小野やすし』さんが来てしゃべっているのかと思っていた」と。

小野やすしさんのしゃべりに間違われたことに、私は大喜びでした。
何しろ、私のしゃべりは、小野やすしさんを真似ようと努力していたのですから。

小野やすしさんといえば、「ドンキ-カルテット」というコミックバンドのMC担当。
「ドンキ-カルテット」といえば、あの「いかりや長介」さんが「ドリフタ-ズ」結成以前に所属していたグル-プ。
いわば、当時日本では一番オシャレで最前線のしゃべり・・・が、小野やすしさんだったからなのです。

しゃべくりは小野やすしさんの真似をしていましたが、芸となると「早野凡平」さんが憧れでした。
帽子芸ばかりが有名な方でしたが、今でいう一人コントを一早くやっておられた方。
当時は、そんなピン芸人を「ボ-ドビリアン」を呼んでいたのですが、私はボ-ドビリアンに憧れたいたのです。
(それから30年以上も経って、今では『R-1芸』とも呼ばれるようになったピン芸です)
そうなんです。
私自身、R-1のスタッフでありながら、実はまだ芽の出ない時代のR-1芸人だったのです。

「ウチの事務所に所属してやらない?」
何度かのお誘いの中で、「これは」という事務所がありました。
「TVやラジオのレギュラ-は、まず保証します。それから、歌とダンスのレッスンを徹底的にやってみませんか」というお言葉。

聞けばア-チスト系のプロダクションで、お笑い芸人は初めてとのこと。
「これだ!」と、早速食いつきました。

とりあえず所属して間もなく「自由が丘タレントスク-ル」に通わせていただいて、歌とダンスのレッスンを。
その時、肌のあさ黒い子供達が同じようにレッスンに通い続けていました。
「小汚い子供等やなぁ。売れる訳ないのに。親は余程子供をタレントにさせたいのやなぁ」と、思っていた子供兄弟がレッスン場にいたのを記憶しております。

その子供達が、わずか一年後に「フィンガ-5」としてデビュ-したのに、転げる程ビックリしました。
(3男のマサオ君とは、後に親しくなる訳ですが)

さてさて、そのプロダクションに所属して、月給8万円。
TVやラジオのレギュラ-をもらえるという約束だったのですが、これがまた、とんでもないことになります。
では、また・・・・。
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