萩原芳樹のブログ
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突然幸運にも、TVのレギュラ-番組が舞い込んで来ました。
それも、当時人気者ばかり集まった歌番組のレギュラ-。 本当にラッキ-でした。 ところが、その制作会社は、当時東京で評判の人気番組だった「ぎんざNOW」の制作も手がけていたのです。 私のことを、たまたまスタジオで見ていた「ぎんざNOW」のディレクタ-から直接お声がかかり、「来週から、レギュラ-で出てよ」と、またまた降って湧いたようなお話。 「ぎんざNOW」という番組は、大阪では放送されてなかったのですが、月曜から金曜まで夕方5時からの生放送で、銀座のスタジオには若いファンが詰めかけての熱狂的番組でした。 関西では、ラジオの「ヤングタウン」がTV化されて「ヤングお-お-」になった訳ですが、その東京バ-ジョンとでも言いましょうか。 文化放送の「ハロ-パ-ティ」という公開ラジオのTV化だったのでしょう。 司会は「せんだみつお」さんがやっていました。 実のところ、私が上京した目的は、東京のTV番組で、それもアイドル番組の司会役を狙っていたのです。 その頃、まだTVの司会といえばアナウンサ-ばかり。 「若いセンスのお笑いタレントが司会をする時代が必ず来る筈!」 そう秘かにチャンスをうかがっていたのですが、私が上京して間もなく、「せんだみつお」という人物が、その座に君臨してしまったのです。 「ああ!やられてしもたわ」 私は自分の狙いが間違っていなかったことを、むしろ誇りに思うことにしました。 しかし、その「ぎんざNOW」に、突然のレギュラ-話です。 有頂天になりました。 銀座のスタジオに入り、せんださんを紹介され、ろくにリハもしないまま、いきなり生本番に突入です。 台本なんてない世界です。 ディレクタ-に、「どうしたら、いいんですか?」と、聞くと、 「適当に、せんだと司会を一緒にやってくれたらいい」と。 まさに、いい加減極まる番組でした。 「ぎんざNOW」は、その後はいろんなバラエティ的なコ-ナ-も始まる訳ですが、その頃はほとんどアイドル歌手が登場して歌うだけの番組。 司会のせんださんが、訳のわからないことを喋ってつなぐ・・・番組でした。 とりあえず私は、せんださんの横に立ってるだけ。 何かふってもらえないかなぁ・・・と、期待していたのですが、全く私を無視。 それもそうです。せんださんにしてみれば、自分の地位をおびやかす奴が横にいる訳ですから、共存なんてあり得ません。 台本もない生放送。 私は、自分のやり場がないまま、時間だけが過ぎて行きました。 「クソ!やったるわい!」 私は、また開き直りの決意を。 当時のビッグアイドル「南沙織」さんが歌っている横で、私は何と踊り始めてしまったのです。 すると、せんださんがピタッと私の横に来て、一緒に踊り始めるではありませんか。 「オマエ、俺より目立とうとしても10年早いぜ・・・」 そう言われているようでした。 結局生放送を終了し、私の感触としては、今一つだったかな・・・という出来。 でも、スタジオに来ていた女子高生から「五郎ちゃ~ん!」と、もうすでに人気者になる気配が。 「五郎ちゃんって、足長いね」と。 実は、その頃「ロンドンブ-ツ」という20センチものヒ-ルの靴を私は履いていて、ベルボトムのジ-ンズの裾で靴のヒ-ルは隠れて、つまり足が20センチも長いように見えていたのです。 (本当は短足体型なのですがね) 「また来週も期待してるよ」と、ディレクタ-から言われて、 「ついにチャンス到来か」と、私は希望で一杯でした。 ところが・・・・。 ところがです。 私を拾ってくれたプロデュ-サ-に、翌日呼び出されたのです。 「オマエ『ぎんざNOW』のレギュラ-が入ったらしいな」 「ハイ!」 「下りろ!」 「ハァ?」 「あのディレクタ-も何を考えてるんだ!さっき叱ったところなんだがな、オマエは俺の番組にしか暫くは出てはいけない!わかったな」と。 こうして、憧れの「ぎんざNOW」レギュラ-はボロボロと崩れてしまいました。 仕方ないです。何もない私を拾ってくれたのは、そのプロデュ-サ-なのですから。 「ぎんざNOW」といえば、松竹養成所にいた頃の「サブロ-シロ-」さんが、アマチュアとして登場し、当時中学生だった「桂雀々」さんに、アマチュアお笑いコンテストで敗退したという伝説の番組でもあるのです。 PR |
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