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萩原芳樹のブログ
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「マックボンボン」と聞いただけで「ああ、マックボンボンね」と、記憶している方は、かなりのお笑いマニアか、それなりの年齢の方だと思います。

「マックボンボン」とは、昭和40年代後半、渡辺プロイチオシのコンビでした。
二人とも「ドリフタ-ズ」の付き人上がりで、とにかく動きが凄かったコンビ。

私が初めて「マックボンボン」を見たのは、「浅草国際劇場」での「小柳ルミ子ショ-」でした。
歌の合間に、ドイツ兵スタイルの二人が登場し、何と全てドイツ語(もどきだったと思いますが)で、兵隊コントをするのです。

約15分間、全く日本語のない動き中心の兵隊コントに、場内大爆笑。
「全く日本語を喋らずに、動きだけで爆笑を取れるなんて・・・凄すぎる!」見ていた私は圧巻でした。

その「マックボンボン」のボケ役が「志村けん」さんです。
まだ20代前半だったのではないでしょうか。
でも、その動きのキレは、かなりのモノでした。

そんな「マックボンボン」さんと、一度だけ一緒のお仕事をする機会がありました。
「小柳ルミ子ショ-」で、私が司会を。「マックボンボン」さんはコントを。
楽屋で、志村さんが語っていたことを今でも覚えています。

「俺、この前さぁ、新宿の屋台で飲みながらネタのことばかり考えていたらさ、いつの間にか寝ちゃってね。ふと目が覚めると、自分の回りをサラリ-マンがどんどん歩いてやんの。そのまま道ばたで寝ちゃってて、朝の通勤サラリ-マンが、俺をさけるようにして歩いてやんの」
笑いにどん欲で、常にネタのことばかり考えているような方でした。

そんな志村さん、キャリアに対しての「笑いのレベル」が高すぎたのでしょうか。
相方さんは、ついて行けず、どんどん辞めて行ってしまいます。
天才って、相手する方が大変ですよね。

そんな時、「ドリフタ-ズ」のマネ-ジャ-から、私は呼び出されました。
「団ちゃん、実はまたマックボンボンが解散してね、志村の奴、相方を探したるんだが・・・どう?志村とコンビ組む気ない?」と。

私は、即座にお断りしました。
まず、私が見たあの天才芸の人と組んだりしたら、私はヘコンで潰れてしまうという恐怖。
それに、もう一つ。その頃の私は「人とコンビを組むという運命共同体は絶対にしたくはない!」と、思っていたからなのです。

その後、志村さんは「ドリタ-ズ」のメンバ-入りをされる訳ですが、またここでも私はからんで来てしまうのです。
何と、この私も「いかりや長介」さんは、勝手に新メンバ-候補として上がられていたそうなのです。
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